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2010年2月24日のブックマーク (2件)

  • 坂のある非風景 愛すれば愛するほど愛し足りない

    存在か当為かという対立がある。「ある」と「あるべき」は同時に助け合いながら現実を出現させる。たしかにあるがままの存在を見ることはなかなかできない。存在は「あるべき」姿という幻想によって私たちの視界に浮上する潜水艦みたいなものだ。 時折、当為を語ることによって自分の価値観を他者に押し付けているのではないかとびくびくしている者を見かける。が、その姿は謙虚に見せかけた植民地主義者の憂いである。価値観を押し付けられる主体とはいったい何か。対象は子供のように、未開の原始人のようにどんなものにも易々と洗脳され信じ込んでしまう愚かものとして思い描かれている。そこには諦められているコミュニケーションがあるが、それ以上に、私の愛によって包まれるべき他者という幻想の支配がある。 「あるべき」を強制することが植民地化を現すことよりも、あるがままを愛し、「あるべき」を禁止するという博愛にこそ植民地化が露出する。こ

    ggg123
    ggg123 2010/02/24
    そこには諦められているコミュニケーションがあるが、それ以上に、私の愛によって包まれるべき他者という幻想の支配がある。
  • 薄曇り - finalventの日記

    2月も下旬。ありゃりゃという感じだ。このところ睡眠サイクルが乱れて、昨晩も寝付かれずいろいろ思っていた。というか、奇妙に青春のころの早春のこと、いやある感覚を思い出していた。自分が若かったのだというのが、とても不思議な気がする。それから、今でもそうだが、自分がよくない人間であったなという後悔がいろいろ押し寄せる。理屈で自分を弁護もできる。ひどい運命だったじゃないか、いや他人と比べてそんなよくないわけでもないな、とか。しかし、よくないことはよくない。これは失笑を買うかもしれないが、私は他者に啓蒙的なことはしたくない、いやそうでもないかみたいな矛盾によく悩む。概ね人にうまく通じるように説明はしないようだ。ここも微妙で、これ以上言っても理解の感受性がなさそうだという人をどっかでスパっと自然に切ってしまう。いや人を切る、というのでもない。だめだな、これは、またか。みたいな感じで自分が引き下がる。以

    薄曇り - finalventの日記