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ブックマーク / apeman.hatenablog.com (12)

  • 偽の論点による偽の反論(の・ようなもの) - Apeman’s diary

    http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51796333.html 来であれば改めてとりあげるまでもない愚論なのだが、新宿ニコンサロンでの安世鴻写真展をめぐるニコンの腰砕けの対応(仮処分命令後はむしろ自ら写真展を潰しにかかっているようだが)や、先週末に「復帰」40年目の「慰霊の日」を迎えたことで関心をもった方もおられるだろうから、簡単にコメントしておく。 史実にこだわるなら、まず朝日は「慰安婦が女子挺身隊として強制連行された」と記述し、今に至る騒動のきっかけとなった1992年1月11日付の記事を訂正して謝罪すべきだろう。 来ました、定番の「慰安婦」問題=朝日新聞起源論。朝日の、たったひとつの記事がそれほどの影響力を発揮したとは驚きだ! しかし「挺身隊」についての誤解は朝日新聞の専売特許ではなく、読売新聞の記事にもみられることは、ずいぶん前に小倉秀夫

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  • 「成立の余地があるか」否かで言うのなら、「人口20万人」説は「犠牲者30万人」説以下 - Apeman’s diary

    相変わらずネットではちょくちょく「人口20万のところで30万人殺せるはずがない」論法を読まされるわけですが、国際安全区に集まった難民の数についての委員会の推定を信頼する限り(もちろん否定派はそういう前提に立っているはずです)、「人口20万」説が成立する余地はありません。ゼロです。なにしろこの説は (1) 10万人ないしそれ以上の規模の中国軍将兵を無視しており、かつ (2) 安全区の外に残留していた南京市民(その総数を明確に示す包括的な資料はないが、個別の証言、証拠はいくつもある)を無視しているからです。そしてこの2点を無視することが不当であることは自明である以上、不当な主張を平気で主張できるものだけが「人口20万」説を口にできるわけです。 他方、「30万人殺害は不可能」という主張の最大の論拠が「人口20万」説だったわけですから(ほかにも「原爆でも使わないと不可能」論とかがありますが、どれを

    「成立の余地があるか」否かで言うのなら、「人口20万人」説は「犠牲者30万人」説以下 - Apeman’s diary
  • 野田新首相は自らの主張に従うか? - Apeman’s diary

    今年の8月15日には「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」という主張を維持していると発言していた野田新首相は、代表選勝利後の記者会見では「私は政府の立場なので(政府の)答弁書を踏まえて対応したい」と語った、とされています(時事の記事)。これは予想された対応です。吉田裕は1950年代の日で、戦争責任問題に関する「ダブルスタンダード」が成立したと指摘しています。 (……)対外的には講和条約の第一一条で東京裁判の判決を受諾するという形で必要最小限度の戦争責任を認めることによってアメリカの同盟者としての地位を獲得する、しかし、国内においては戦争責任の問題を事実上、否定する、あるいは不問に付す、というように、対外的な姿勢と国内的な取り扱いを意識的にせよ無意識的にせよ、使い分けるような問題の処理の仕方がそれである。 (『日人の戦争観』、岩波現代文庫、91ページ) 冷戦の終結に代表されるような国際環境の変

    野田新首相は自らの主張に従うか? - Apeman’s diary
  • 松井石根の“日中親善主義”なるもの - Apeman’s diary

    最近は文春新書の新刊のチェックなども怠りがちだったのですが、情報提供をいただいて7月にはこんな駄が出ていたことを知りました。 早坂隆、『松井石根と南京事件の真実』 古屋で見かけたら購入するつもりです。立ち読みしてみるまでもなく帯の「昭和史のタブーに挑む問題作」やら「ついに明らかになる南京戦の全貌」という文句がすでに志の貧しさを物語っています。まあそれでもいちおう目次を始めごく簡単に立ち読みはしてみました。松井の「日中親善主義」だのなんだのが繰り返し強調されているようです。しかし松井の日中戦争認識たるや、次のような代物でした。 抑も日支両国の闘争は所謂「亜細亜の一家」内に於ける兄弟喧嘩にして、日が当時、武力に依つて支那に於ける日人の救援、危機に陥れる権益を擁護するは、真に巳むを得ざる防衛的方便たるは論を俟たず。恰も一家内の兄が忍びに忍び抜いても猶且つ乱暴を止めざる弟を打擲するに均しく

    松井石根の“日中親善主義”なるもの - Apeman’s diary
  • Chosun Online の記事が言及している公電について - Apeman’s diary

    先日、江蘇省社会科学院歴史研究所が全78巻に及ぶ南京大殺資料集を完結させたという記事が Chosun Online (朝鮮日報)に「「南京で最低30万人殺害」 日の機密公電収録(上)」「「南京で最低30万人殺害」 日の機密公電収録(下)」というタイトルで掲載された。記事中、 「特別情報:信頼できる目撃者による直接の推算と信頼できる人物の手紙によると、日軍が犯した行為と暴力はアッティラ王と匈奴(きょうど)を連想させる。(編注:5世紀に東欧一帯を征服したアッティラ王は匈奴の子孫とされるフン族の王)少なくとも30万人の民間人が殺りくされ、多くは極度に残酷で血なまぐさい方式で殺害された。戦闘が終わって数週間がたった地域でも、略奪や児童強姦(ごうかん)など民間に対する残酷な行為が続いている」 1937年に日軍による南京大虐殺が起きた直後の38年1月、日の広田弘毅外相が在米日大使館に宛てて

    Chosun Online の記事が言及している公電について - Apeman’s diary
  • 自分が殺した男の娘に会った米帰還兵 - Apeman’s diary

    アメリカの軍事史家デーヴ・グロスマンは人間が他の人間を殺すことに対して持つ抵抗感、特に近距離で殺すことへの抵抗感の強さを例証するものとして、次のようなケースを紹介している。 (……)アメリカ軍の中隊指揮官ウィリス大尉は、部隊を率いてベトナムの川床を歩いていたとき、だしぬけに北ベトナムの一兵士と遭遇した。 ウィリスは兵士に並び、M16で相手の胸を狙った。五フィートと離れていなかった。兵士のAK47もまっすぐウィリスに向けられている。 大尉は激しく首をふった。 北ベトナム軍の兵士も同じように激しく首をふった。 休戦協定、停戦命令、紳士協定、それとも取引か……兵士はそろそろとあとじさって闇に消えてゆき、ウィリスはそのまま進み続けた。 (『戦争における「人殺し」の心理学、ちくま学芸文庫、210ページ) もちろん、すべての兵士が殺人を選択せずにすむわけではない。 (……)あるベトナム帰還兵は、若い北

    自分が殺した男の娘に会った米帰還兵 - Apeman’s diary
  • 歴史修正主義を甘やかしてきた結果がこれ - Apeman’s diary

    関連エントリ:http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20110616/p1 毎日jp 2011年6月21日 大阪維新の会:中学歴史教科書「自由社、育鵬社使用を」 首長政党「大阪維新の会」大阪市議団が、中学生の歴史教科書として、記述内容で賛否両論がある自由社や育鵬社の教科書を使うよう求める方針であることが21日分かった。教科書採択に関する意見書や決議文を、早ければ9月定例市議会に提出する方針。中学校の教科書は来年度に4年に1回の更新を迎えるが、市教委の選考に影響を与える可能性もある。 (後略) 「なんにでも歴史認識問題を絡めるサヨクはうざい」とか「それはそれ、これはこれ」だとか「大同団結」だとか「どっちが大事な問題だと思ってるんだ?」とか「どうせウヨサヨのプロレスだろ」とか……、歴史修正主義の問題から目を背けるための言い訳はさんざん聞かされてきた(つい最近

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  • 「自殺多発…自衛隊の闇」ほか - Apeman’s diary

    29日放送の「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズ、「沖縄 終わりなき持久戦の結末 〜陸軍第24師団〜」。同師団からは南方へ派遣する部隊を組織するために一部が抽出されており、それを現地召集者で埋めたため、北海道(旭川歩兵第89連隊、同連隊から抽出された第3大隊はサイパンに派遣されたので、もちろん全滅)出身の兵士と沖縄出身の兵士とが混在していた。紹介された証言によると、沖縄出身の初年兵に対して、沖縄出身である以上「郷里を守る義務がある」と称して繰り返し切り込み攻撃への参加を命じた中隊長がいたとのこと。好意的に解釈するならば沖縄を「土決戦のための捨て石」ではなく防衛すべき対象と考えた現場の指揮官がいたということになるのかもしれないが、以前からの部下よりも新しく現地招集された兵士の命を軽く見たというのが真相に近いのではないだろうか。また、部隊の撤退に際して殺されるはずだったのに衛生兵が静脈を外し

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  • 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第1回、第2回を見て(追記あり) - Apeman’s diary

    この番組について書く前にとりあげたいもあり、また第3回、第4回も見たうえで評価したいということもあって、とりあえず思ったことを漫然と書いておくことにする。 1月16日に放送された第2回「巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム」について、hokusyu さんが次のようにコメントしておられる。 昨日のNHK戦争話は、まあ実証歴史学の罠というか。よくあるホロコースト機能派批判がそのまま通用してしまう感じ。つまりカタストロフがあたかも「運命」であったかのように物語られることですが。 (http://twitter.com/#!/hokusyu82/status/26857725812019200) たしかに「暴走のメカニズム」といったタイトルは視聴者にそうした「物語」を暗示しかねない。第1回の導入部では当時の軍・政府関係者の戦後の発言が紹介されていたが、佐藤賢了の次のような発言*1は「カタストロフ

    「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第1回、第2回を見て(追記あり) - Apeman’s diary
  • 「合法/不法」論を超えて - Apeman’s diary

    先日言及した西日新聞の記事には「戦争中の不法殺害(虐殺)の定義には諸説あり」という一節があって、「虐殺=不法殺害」(ないし「虐殺⊆不法殺害」)ということが前提とされている。南京事件を巡る議論の原点に東京裁判があることを考えると「合法か不法か」が焦点の一つとなることはやむを得ない側面があるとは思うのだが、他方で私たちが東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を考える際にその不法性を(法廷なり歴史学の土俵なりで通用する水準で)精緻に考えているだろうか? という疑問も浮かぶ。東京大空襲や原爆投下は“犯罪”として裁かれることがなかったが、私たちが犠牲者中の軍人・軍属の人数や軍需工場勤務者の人数をまるで意に介さずにいられるのは、ある意味でこれらの爆撃が裁かれずに終わったからではないのか? 東京大空襲が「不法」な戦争犯罪であることをきちんと論証する準備のある日人はどれくらいいるだろうか? 「無差別爆撃」

    「合法/不法」論を超えて - Apeman’s diary
  • 朝日新聞によれば石破茂・元防衛大臣は左翼なのかもしれない - Apeman’s diary

    「暴力装置」の表現は、かつて自衛隊を違憲と批判する立場から使用されてきた経緯がある。 (http://www.asahi.com/politics/update/1118/TKY201011180169.html) 破綻国家においてどうしてテロは起こるのかというと、警察と軍隊という暴力装置を独占していないのであんなことが起こるのだということなんだろうと私は思っています。国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義のはずなので、ところが、それがなくなってしまうと、武力を統制する主体がなくなってしまってああいうことが起こるのだと。そしてまた、テロは貧困と圧政によって起こるというのは、それはうそで、貧困と圧政の見みたいな国が近くにありますが、そこでテロがしょっちゅう起こっているという話はあんまり聞いたこともない。そこでテロは起こらない。 (http

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  • 『「BC級裁判」を読む』その3 - Apes! Not Monkeys! はてな別館

    書では過去にこのブログでとりあげた事例もいくつかとりあげられている。例えば「武士道裁判」について、当時の新聞にも「武士道裁判」という表現が「デカデカと」出ていたけれども裁判の争点との関連は薄く、「私は裁判記録を読んで、中村さん〔中村孝也・元帝大教授〕の弁論はどう考えても無理があるなと思いました」(井上、246ページ)、「裁判に提出された中村さんの「武士道の再検討」という弁明書がありますが、これは今読んでも弁護にならないと思いますね」(半藤、同所)と厳しい評価が下されている。また「日の場合は兵隊がどこで死のうが知ったこっちゃないというところがある」のに対して「わたくしはこの事件で一番驚いたのは、「アメリカ政府というのは兵隊に対して当に責任を持っているんだな」ということでした。戦後にアメリカ軍がこの日吉村にわざわざ調べに行くんですよ」(半藤、245ページ)という発言は、日米間の戦争を知る

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