1972年に「昭和放浪記」を書いた阿久悠は、歌詞が出来上がったときにいい手応えがあったので、凡庸な演歌の作品で終わらないようにと、あえてポップス系の小林亜星に作曲を依頼した。 その後に隠れた名曲と呼ばれたことについて、阿久悠はこのように述べている。 これは演歌好きの人からは、隠れた名曲のように言われている。別に隠したつもりはなかったが、ただもう一つ売れなかっただけである。 それでも、詞ができた時も、曲がついた時も、レコーディングが終わった時も、なかなかの盛り上がりで、もしかしたら、伝説的な大ヒットとささやかれたのだが、結局は隠れた名曲どまりであった。 この「昭和放浪記」はねらいうちのように、水前寺清子のために書いた。 水前寺清子は1970年に放映されたテレビのホームドラマ『ありがとう』が高視聴率を取って、シリーズ化されたことから俳優としても人気を博していたが、歌手としてはヒット曲が途切れて
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