だから「俺らはポリコレで割を食ってばかりだ」って言い分には全然賛成できないんだ。ポリコレのない世界で毎日投げつけられるであろう「キッモ」「くっさ」にどういう態度取ればいいのか教えてくれよ。 「オタク自認をオープンにできる」ってのは十分ポリコレ的なものの成果だろうよ。
11日に都内でおこなわれた障害者施策を議論する厚生労働省の審議会の会場が、建物の中2階だったのに階段しかなかったため、車いすの委員が出席できなかったことがわかりました。厚生労働省は会場の確認が不十分だったとして、この委員に謝罪しました。 このため、車いすの男性委員は建物の前まで来たものの、会場に上がることができず、出席を断念したということです。 これについて厚生労働省は「障害者施策を議論する場なのに、会場を選ぶ際に下見をしなかった。配慮に欠けていたことは誠に申し訳なく、男性委員に謝罪した。今後は会場を事前に下見するなど適切に対応していきたい」と話しています。
よく「日本人は陰湿」「海外には日本人のような陰湿な嫌がらせをする文化がない」なんて言われるけど、それって日本が銃社会じゃないことにも関係しているように思う。 日本が銃社会になれば、もっとカラッとした国になるんじゃないだろうか。例えば今自殺しているような人は、原因となっている相手を銃殺することで問題が解決するし、「相手にあまりに酷いことをすると銃殺される」というストッパーができることで、日本の陰湿さにも歯止めがかかるような気がする。ブラック企業は経営陣が銃殺されることで考えを改めるだろうし、行きすぎたヘイトスピーチも銃殺事件が起きれば静かになるだろう。若者が銃を手にとって老害を駆逐し始めれば、若者を虐げることしか考えていない老害も反省し始めるのではないか。 今虐げられている人たちも、「銃」という武器を持つことで相手と対等の力を手にいれられるわけで、それは社会の安定にもつながるのではないかと思
「私は泣いています」のミリオンヒット曲を持つシンガー・ソングライターの女優りりィ(本名鎌田小恵子=かまた・さえこ)さんが11日朝、肺がんのために死去した。64歳。福岡市出身。かねて肺がんで病気療養中だった。葬儀は故人の遺志で近親者による密葬で行う。 1972年(昭47)にアルバム「たまねぎ」で歌手デビュー。女性シンガー・ソングライターの先駆けとして注目を集めた。ハスキーボイスが人気で、74年には「私は泣いています」が100万枚を超えるセールスを記録。セカンドアルバム「ダルシマ」、サードアルバム「タエコ」もヒットを記録した。 女優としても活躍した。72年に大島渚監督の映画「夏の妹」で女優デビュー。79年には村川透監督の「処刑遊戯」にも出演した。83年に結婚、出産のために芸能活動を休止したが、95年にシングル「でも、さよならが言えない」で音楽活動を再開した。 その後も、ドラマ、映画、音楽などの
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