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  • 映画プロデューサー叶井俊太郎氏死去、56歳 膵臓がん余命宣告から1年8カ月、倉田真由美氏夫 - おくやみ : 日刊スポーツ

    映画「アメリ」「いかレスラー」「ヅラ刑事」「日以外全部沈没」などで知られる、映画プロデューサーの叶井俊太郎氏が16日に亡くなったことが分かった。56歳だった。東京都出身。 22年6月にステージ3の膵臓(すいぞう)がんで余命半年の宣告を受けたが、抗がん剤治療、手術を拒否して、1年8カ月生き続けた。夫人は漫画家の倉田真由美氏。 23年11月に、ステージ4のがんを発表した際には、文化人15人と“余命半年”をテーマに語り合った著書「エンドロール」(CYZO)を出版した。また、同12月公開の映画「恐解釈 桃太郎」ではエンドロールに「叶井俊太郎に捧ぐ」と入れるなど、最後までウイットに富んだ姿勢で仕事人生をささげた。 叶井氏が医師の余命宣告を1年2カ月超える“偉業”を成し遂げて、永遠の眠りについた。22年6月に黄疸(おうだん)が出て検査、ステージ3で余命半年を告げられた。日刊スポーツの取材に「『余命

    映画プロデューサー叶井俊太郎氏死去、56歳 膵臓がん余命宣告から1年8カ月、倉田真由美氏夫 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 演歌歌手の冠二郎さん元日に死去 79歳、心不全 紅白に3度出場「旅の終りに」などヒット - おくやみ : 日刊スポーツ

    NHK紅白歌合戦に3度出場し、「セイヤッ」のかけ声で親しまれた演歌歌手冠二郎(かんむり・じろう)さん(名・堀口義弘、ほりぐち・よしひろ)が1日に埼玉県内の病院で、心不全のために死去していたことが11日、分かった。79歳。埼玉県出身。所属レコード会社が公表した。 関係者によると、以前から心臓病や糖尿病の持病があり、13年に口腔がん、19年には虚血性心不全で手術を受けた。22年秋には足腰が弱ったことなどもあって入院し、以来、入退院を繰り返していたという。 容体が急変して今年1月1日午後4時24分に死去。最期は夫人とマネジャーにみとられて旅立った。通夜・葬儀は既に親族で行った。お別れの会などは予定していない。 ◆冠二郎(かんむり・じろう)名・堀口義弘。1944年(昭19)4月23日、埼玉・秩父市生まれ。67年に「命ひとつ」でデビュー。77年に「旅の終りに」がミリオンヒット。NHK紅白歌合戦

    演歌歌手の冠二郎さん元日に死去 79歳、心不全 紅白に3度出場「旅の終りに」などヒット - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 「モンゴリアンチョップ」キラー・カーンさん急死「動脈破裂」経営する居酒屋で意識失う 76歳 - プロレス : 日刊スポーツ

    昭和のプロレスで大活躍した日人プロレスラー、キラー・カーンこと小沢正志さんが29日に亡くなったことが30日、分かった。76歳だった。 関係者によると、前夜の午後8時30分ごろ、東京・西新宿で経営する「カンちゃんの人情酒場」の営業中に倒れた。カウンター席に腕を組んで座ったまま意識を失ったという。 店には数人の常連客がおり、蘇生措置の後、すぐ救急搬送されたものの意識は戻らず、午後10時4分に息を引き取った。死因は「動脈破裂」だったという。 大相撲の春日野部屋で、しこ名「越錦」として幕下で奮闘。1971年(昭46)にプロレスへ転向した。公称195センチ、140キロの恵まれた体格を武器に、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントの足をも骨折させたラフファイターとして人気を博した。 16年間の活動では、北米で「謎のモンゴル人」として売り出し、悪役レスラーとしてファンも多かった。両手を大きく広げ、左右同時に

    「モンゴリアンチョップ」キラー・カーンさん急死「動脈破裂」経営する居酒屋で意識失う 76歳 - プロレス : 日刊スポーツ
  • 元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛 - プロレス : 日刊スポーツ

    新日プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。 関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。 娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。 68年10月に日プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日プロレスを退団し、72年3月、新日の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイ

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  • 作家の伊集院静さん死去、73歳 妻・篠ひろ子「最期まで自分の生き方を貫き通した人生」 - おくやみ : 日刊スポーツ

    作家の伊集院静(いじゅういん・しずか)さん(名西山忠来=にしやま・ただき)が24日、亡くなった。73歳。関係者を通じて発表した。葬儀は近親者のみで執り行われる予定。 で女優の篠ひろ子(75)は名でコメントを発表。「いつもお世話になっております皆様へ」と題し、「突然のご報告となりますが、11月24日伊集院静は永い旅に出てしまいました。かねてより肝内胆管がんの治療をしておりましたが、残念ながら回復に至りませんでした。自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。最期まで自分の生き方を貫き通した人生でした。私たちに寄り添って2人だけの時間を作って下さった皆様、そして応援してくださったファンの皆様に心より礼を申し上げます。ありがとうございました」とつづった。 伊集院さんは先月27日

    作家の伊集院静さん死去、73歳 妻・篠ひろ子「最期まで自分の生き方を貫き通した人生」 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 二郎系代表格「ラーメン富士丸」店主・吉田実義氏が死去 「マスターまだ早いよ」など悲しむ声 - 社会 : 日刊スポーツ

    「野菜増し」など圧倒的なボリュームの「二郎系ラーメン」として全国に多くファンを持つ「ラーメン富士丸」の店主・吉田実義氏が7日、急性心筋梗塞で死去していたことが分かった。56歳だった。同店公式X(旧ツイッター)が13日までに明らかにした。 公式Xでは「訃報のお知らせ」として「ラーメン富士丸店主 吉田マスターこと吉田実義が10月7日急性心筋梗塞にて急逝いたしました、享年56歳でした。葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行いました」と報告した。さらに「ここに生前のご厚誼を深謝し謹んで御通知申し上げます。お店へのご香典ご供花等は一切ご遠慮願います」とした。 「ラーメン富士丸」は元は「ラーメン二郎赤羽店」として91年に開店。その後「ラーメン○二郎」と改名し、07年に「富士丸」と変遷した。店は東京・北区の神谷にあり西新井、明治通り都電梶原、東浦和、平塚、西早稲田に支店がある。 吉田氏の訃報に、SN

    二郎系代表格「ラーメン富士丸」店主・吉田実義氏が死去 「マスターまだ早いよ」など悲しむ声 - 社会 : 日刊スポーツ
  • 古沢憲司氏が死去 16歳3カ月で戦後最年少1軍デビュー、引退後は井川慶や藤川球児育てる - プロ野球 : 日刊スポーツ

    投手として阪神、西武、広島でプレーした古沢憲司(ふるさわ・けんじ)氏が死去していたことが25日までに分かった。75歳だった。 古沢氏は愛媛県出身で、1964年(昭39)に新居浜東を中退して阪神にテスト入団。同年7月25日の国鉄戦で救援登板し、16歳3カ月の戦後最年少で1軍デビューした。同9月30日の中日戦(甲子園)では、史上最年少記録の16歳5カ月で先発登板を果たしている。 71年に12勝、74年は4完封を含む自己最多の15勝を挙げた。78年オフに、新監督となったブレイザーが主砲の田淵幸一の放出を決断。古沢は田淵とともに西武・竹之内雅史、真弓明信、若菜嘉晴、竹田和史との2対4の大型トレードで西武に移籍した。82年シーズン途中にトレードで広島へ移籍し、84年には救援投手としてリーグ優勝に貢献。85年限りで現役を引退した。通算543試合に登板し87勝をマークした。オールスターには74、77年の

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  • 吉本新喜劇の桑原和男さん10日に老衰のため死去、87歳 女形「桑原和子」和子ばあちゃん - おくやみ : 日刊スポーツ

    興業は10日、吉新喜劇の桑原和男さん(くわばら・かずお、名・九原一三=くはら・かずみ)が同日、老衰のため神戸市内の病院で亡くなったと発表した。87歳だった。通夜は11日、葬儀告別式は12日に近親者で執り行う予定。葬儀告別式の場所、喪主などは非公表。 桑原さんは、1936年2月23日に福岡県小倉市(現北九州市)に生まれ、55年に高校卒業後、教師を志し、福岡教育大を受験したのち、大阪で夢路いとし・喜味こいしに弟子入りし、同年に新芸座に入った。翌56年に秋田實が立ち上げた上方演芸株式会社発足と同時に漫才師となり「原こちら」の芸名で漫才の舞台に立った。 61年に吉新喜劇の前身「吉ヴァラエティ」に入団、1970年代に座長に抜擢され、89年の「吉新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」ではベテランとして残留し、新喜劇の復活を支えた。92年に「上方お笑い大賞」金賞を受賞した。 代表的なギャグは、

    吉本新喜劇の桑原和男さん10日に老衰のため死去、87歳 女形「桑原和子」和子ばあちゃん - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 性被害告発した女優水井真希さん、姉がツイッターで死去を報告「永眠いたしました」 - おくやみ : 日刊スポーツ

    女優で映画監督としても活動した水井真希さんのツイッターが28日、更新された。家族が水井さんの死去を報告した。 ツイッターにはこの日「水井真希の姉です 突然のご報告、失礼します 2023年7月23日、水井真希は永眠いたしました 昨日、家族にて見送りは済ませております」と記された。「生前、皆様にはご迷惑をおかけし また、大変お世話になりました 今まで当にありがとうございました」と感謝の言葉もつづられた。 水井さんはグラビア活動などをへて女優として映画などに出演したほか、自らが被害者となった連続少女拉致事件をモチーフにした2015年公開の初監督作品「ら」などで知られる。昨年、仕事関係者から性被害や暴力を受けていたとツイッターで告発したことでも話題となった。

    性被害告発した女優水井真希さん、姉がツイッターで死去を報告「永眠いたしました」 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • キャンドル・ジュン氏1時間弱に渡り謝罪、平和への思い、家族らへの気遣いなどを訴える/全文 - 芸能 : 日刊スポーツ

    ダブル不倫により無期限謹慎中の女優広末涼子(42)の夫で、アーティストのキャンドル・ジュン氏(49)が18日、都内で緊急会見を開いた。まず1人であいさつし、1時間弱にわたって、謝罪、平和への思い、家族らへの気遣い、メディアの報道やネット上などでの匿名の誹謗(ひぼう)中傷への訴えなどを伝えた。全文は以下の通り。 キャンドル・ジュンこと、広末ジュンです。私の、広末涼子が多くの方にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。そして相手方のご家族、親戚、ご友人、関係者の方にもご迷惑とおかけし大変申し訳ありませんでした。 皆さんにお伝えしたいことの一番は、、広末涼子が育児放棄をしたことは、今まで1度もありません。私にとっても良きですし、なにより子どもたちにとって最高の母であり、家族や親戚の中でも最も頑張る、すてきな女性です。それだけはまず最初に伝えさせてください。 私の言葉が切り取られて、それが

    キャンドル・ジュン氏1時間弱に渡り謝罪、平和への思い、家族らへの気遣いなどを訴える/全文 - 芸能 : 日刊スポーツ
    goturu
    goturu 2023/06/19
    ついこの間までタトゥー入れてる人間は云々言ってたはてなーが「他人事」でこの記者会見について語っているのを見るとモヤモヤする。
  • “怪童”中西太さん死去、90歳心不全 本塁打王5回、3球団で監督、イチローら育てた名伯楽 - プロ野球 : 日刊スポーツ

    西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西太氏(日刊スポーツ評論家)が11日午前3時38分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。 90歳。高松市出身。通夜・告別式は家族で執り行った。現役時代は「怪童」と称された右のスラッガーで、塁打王5回、首位打者2回、打点王3回を獲得。西鉄、日ハム、阪神で監督を歴任するなど8球団で指導者を務め、若松勉、掛布雅之、岡田彰布、イチローらを育てた名伯楽だった。 ◇   ◇   ◇ 現役時代は怪童、指導者としては名伯楽の異名を取った中西さんが天国に旅立った。「最期は自宅で」という人の意向で敏子夫人らの家族に見守られ、11日未明に息を引きとった。4月11日に90歳の“卒寿”を迎えたばかりで、突然の別れになった。 高松一(香川)で3度の甲子園出場を果たし、岡山東(現岡山東商)、福島商戦で2戦連続ランニング塁打。戦前戦後を生き抜くのに必死の時代で、行商をしていた母親

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  • 「帰ってきたウルトラマン」団時朗さん死去、74歳 17年に肺がん診断、昨年末悪化し力尽きる - おくやみ : 日刊スポーツ

    1971年(昭46)のTBS系特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」の郷秀樹役などで知られる、俳優の団時朗(だん・じろう、名・村田秀雄=むらた・ひでお)さんが22日午前4時14分、肺がんのため亡くなったことが分かった。74歳だった。24日に所属のアルファエージェンシーが発表した。 同事務所は、万代博実代表取締役名の文書を発表。 「悲しいお知らせです。3月22日早暁4時14分、団時朗(享年74歳)が永眠いたしました。2017年夏に肺癌との診断を受けました。病気になってからも、ユーモアと優しさを失わず、生きるパワーに満ち溢れて仕事に邁進しておりました。残念ながら昨年末より悪化をたどり、力尽きました。葬儀は近親者のみにて執り行います。皆さまには生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。アルファエージェンシー代表取締役 万代博実」 団さんは、1949年(昭24)1月

    「帰ってきたウルトラマン」団時朗さん死去、74歳 17年に肺がん診断、昨年末悪化し力尽きる - おくやみ : 日刊スポーツ
  • ザ・ドリフターズ仲本工事さん死去、81歳 急性硬膜下血腫 交通事故で入院、回復せず  - おくやみ : 日刊スポーツ

    ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの仲工事さん(名・仲興喜=なかもと・こうき)が19日、亡くなったことが分かった。所属事務所の公式サイトで発表された。81歳だった。仲さんは18日、横浜市西区の交差点で道路を渡ろうとしたところ、乗用車にはねられ頭を強く打って緊急搬送された病院で手術を受けていた。 公式サイトで「弊社所属タレント仲工事(名=仲興喜)が、令和4年10月19日22時22分、急性硬膜下血腫のため、満81歳で死去いたしました。ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます。 なお、葬儀等の対応については、ご親族を含めた関係各所と協議した上で後日ご報告をいたします」と記された。 仲さんは、ドリフターズのギターとボーカルを担当し、特技の体操を生かして活躍した。私生活では3度の結婚を経験。俳優としても多数の作品に出演し、20年からはYouTubeチャン

    ザ・ドリフターズ仲本工事さん死去、81歳 急性硬膜下血腫 交通事故で入院、回復せず  - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 歌舞伎俳優の坂東竹三郎さん死去 骨髄異形成症候群、89歳 上方歌舞伎の振興などに注力 - おくやみ : 日刊スポーツ

    歌舞伎俳優の坂東竹三郎(ばんどう・たけさぶろう=名・岡崎正二)さんが17日午前11時28分に骨髄異形成症候群のため、大阪市内の病院で亡くなっていたことが21日、分かった。89歳。大阪松竹座宣伝部が発表した。 葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。 板東さんは1949年(昭24)5月、4代目尾上菊次郎の弟子となり、大阪・中座「盛綱陣屋」の腰元で尾上笹太郎を名のり初舞台。1959年(昭34)9月3代目坂東薪車(しんしゃ)と改名し名題昇進。1967年(昭42)3月に菊次郎の名前養子となり、朝日座「吉野川」の久我之助(こがのすけ)ほかで5代目坂東竹三郎を襲名した。 1978年(昭53)上方舞の東山村流の二世家元となり山村太鶴を名のる。 関西に居を構える数少ない俳優の1人。「すし屋」のお米や「引窓」のお幸、「忠臣蔵六段目」のおかやなど、情愛深い母親役や「封印切」のおえん、「吉田屋」のおきさをはじめと

    歌舞伎俳優の坂東竹三郎さん死去 骨髄異形成症候群、89歳 上方歌舞伎の振興などに注力 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • NHK党が山本太郎氏を擁立 れいわ代表と同姓同名で同い年「最低でも東京であと1人出したい」 - 社会 : 日刊スポーツ

    NHK党(前NHK受信料を支払わない国民を守る党)は28日、国会内で夏の参院選比例代表に新人で会社経営の山太郎氏(47)を公認候補予定者として擁立することを発表し、記者会見を行った。 同党の山氏は、れいわ新選組の山太郎代表と同姓同名で同い年。同党の立花孝志党首は15日に、れいわの山代表が衆院議員を辞職し、参院選の選挙区から鞍替え出馬すると記者会見したことで「有権者をあまりにも混乱させる。バカにした議員辞職」と、同姓同名の候補者の擁立を決めたという。 立花氏は「完全に政治的なパフォーマンスの一種で、できるだけ多くの人に選挙、政治に関心を持っていただきたい」とし、同党の山氏は「一番やりたいことは投票率を上げたい」などと語った。 また立花氏は「今のところ山太郎という候補者が7人います。最低でも東京選挙区で、あと1人出したい」と、山太郎を増殖させる計画を示し、「わが党の山太郎は全国

    NHK党が山本太郎氏を擁立 れいわ代表と同姓同名で同い年「最低でも東京であと1人出したい」 - 社会 : 日刊スポーツ
    goturu
    goturu 2022/04/29
    選挙ハック政党の座を奪い合う戦いとしてれいわ狙い打ち擁立してるという図式。劇場型が票を集めると学習したなれの果て。
  • 宝田明さん急逝、87歳 10日舞台あいさつに登壇も13日容体急変 映画「ゴジラ」など出演 - おくやみ : 日刊スポーツ

    映画「ゴジラ」や、ミュージカルなどで知られる俳優宝田明(たからだ・あきら)さんが急逝したことが17日、分かった。87歳。1953年に芸能界入りして以来、さまざまな作品に出演した。今月10日には、映画「世の中にたえて桜のなかりせば」(三宅伸行監督、4月1日公開)の完成披露舞台あいさつに出席し、映画制作への飽くなき意欲を明かしていたばかりだった。 宝田明さんが大事にしていた「体の中にあるリズム」話題尽きなかったミュージカル話>>宝田さんは今月10日の舞台あいさつで、車いすに乗って登壇した。「腰痛をずっと患っておりまして、ここのところ痛みが激しくなりまして。まずはこの非礼をまずお許しくださればと思います」と説明していた。複数の関係者によると近年、入退院を繰り返していたという。今月13日に容体が急変し、同日深夜から14日の未明ごろに亡くなったという情報もある。 53年東宝ニューフェイス6期生として

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  • 日本ハム今成泰章スカウト死去、66歳 ダルビッシュ有、大谷翔平、上沢直之ら担当 - プロ野球 : 日刊スポーツ

    ハムは3日、今成泰章スカウトが2日に劇症型溶血性レンサ球菌感染症のため埼玉・朝霞市の病院で死去したと発表した。66歳だった。 日ハム今成泰章スカウト襲った劇症型溶血性レンサ球菌感染症とは? 人いバクテリアとも>>ヤクルトとのオープン戦(札幌ドーム)の試合前練習の冒頭に新庄剛志監督ら首脳陣、選手、球団スタッフらがグラウンドに集まり、黙とうをささげた。場内のビジョンには今成スカウトが担当した加藤貴之投手や野村佑希内野手との写真が映し出された。 同スカウトは駒大卒業後に阪神へスカウトとして入団。新庄剛志監督が阪神に入団した89年当時は担当ではなかったが、すでにスカウトとして在籍していた。和田豊氏や桧山進次郎氏らの担当スカウトとして多くの選手獲得に携わった。チーフスカウトだった02年8月末で阪神を退団し、03年から日ハムへスカウトとして入団した。 04年ドラフトではダルビッシュ有投手の担

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  • 西郷輝彦さんが前立腺がんで死去、75歳 「星のフラメンコ」 橋幸夫、舟木一夫と「御三家」 - おくやみ : 日刊スポーツ

    歌手で俳優の西郷輝彦さん(名・今川盛揮=いまがわ・せいき)が20日午前9時41分、前立腺がんのため都内の病院で亡くなった。75歳だった。所属事務所サンミュージックが21日、発表した。葬儀は近親者のみで営む。 【西郷輝彦さん写真特集】はこちら>西郷さんは、バンドボーイとして活動する中でスカウトされ、1964年(昭39)に「君だけを」で歌手デビューし、同曲と「十七才のこの胸に」で日レコード大賞新人賞を受賞。同年には、同名の映画で銀幕デビューも果たした。66年には「星のフラメンコ」が、リリースからわずか2カ月で50万枚を売り上げる大ヒットを記録し、曲をモチーフにした同年の映画「遙かなる慕情 星のフラメンコ」では主演を務めた。橋幸夫、舟木一夫と「御三家」と呼ばれ人気を呼んだ。 73年に劇作家の花登筺さんの誘いを受けてフジテレビ系ドラマ「どてらい男」に主演し、俳優業に格挑戦。演じた山下猛造は当

    西郷輝彦さんが前立腺がんで死去、75歳 「星のフラメンコ」 橋幸夫、舟木一夫と「御三家」 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 急死の元アスレチックスのジェレミー・ジアンビさんは自死、胸を銃で撃つ 兄はジェーソン - MLB : 日刊スポーツ

    9日に47歳で急死した元アスレチックスの外野手ジェレミー・ジアンビさんが自死だったと、ロサンゼルスの福祉保健局が明らかにした。10日付のサンフランシスコ・クロニクル電子版が伝えた。南カリフォルニア州にある両親の家で死亡が確認されており、同局によると胸を銃で撃っていたという。 ジアンビさんは1998年にロイヤルズでデビューし、00年には兄ジェーソン・ジアンビ元内野手(51)が所属していたアスレチックスに移籍し、チームメートとして2年間プレーした。メジャーではフィリーズとレッドソックスにも所属し、6年間で通算打率2割6分3厘、52塁打、209打点で、05年にホワイトソックス傘下マイナーに所属したのを最後に現役から退いていた。

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  • 元TBSアナ宮内鎮雄さん死去 ワイルドな姿で「赤坂原人」 76歳膵臓がん - おくやみ : 日刊スポーツ

    元TBSのフリーアナウンサー宮内鎮雄(みやうち・しずお)さんが14日午後2時40分、膵臓(すいぞう)がんのため、都内で亡くなった。76歳だった。18日に家族葬が行われる。 宮内さんは1967年(昭42)に国際基督教大を卒業して、TBSにアナウンサーとして入社。“Tシャツに長髪、ヒゲという型破りな格好で、同期の久米宏、故林美雄さんらとともに、“民放の雄”と言われた当時のTBSを人気アナウンサーとして支えた。 69年に深夜放送「パックインミュージック」のパーソナリティーを務め、73年から3年間は英国BBCに派遣されて日語放送のアナウンサーを務めた。86年から89年にかけてはバラエティー「風雲!たけし城」のナレーションを務めた。 TBSアナウンサーの中でも長老格として、そのワイルドな姿から「赤坂原人」「万年ヒッピー」などと呼ばれた。01年にTBSがテレビ、ラジオなどに分社化された時に、TBSラ

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