【ロサンゼルス=共同】米大リーグで通算660本塁打、3293安打を放つなど「史上最高の万能選手」と呼ばれたウィリー・メイズさんが6月18日、死去した。93歳だった。米大リーグ機構が発表した。走攻守の三拍子そろった外野手。黒人リーグを経て20歳の1951年にジャイアンツでメジャーデビューし、20本塁打、新人王。52年途中から兵役に就き、復帰した54年に3割4分5厘で首位打者になるなどし、最優秀選
元力士で人気ドラマ「HAWAII FIVE‐0」で知られる米俳優のテイラ・トゥリさんが20日(日本時間21日)、死去した。享年56。 複数の米メディアが報じた。死因は明らかにされていない。また「HAWAII FIVE‐0」プロデューサーのピーター・レンコフ氏は自身のインスタグラムを更新し「私は打ちのめされている。心が折れている。今は辛すぎる」と記し、トゥリさんとの撮影現場での2ショットをアップ。続けての投稿に「T、何度も言ったように、私は最初のオーディションで君に恋をしたんだ。タオルを頭にのせて汗を拭きながらやってきて、私はほれ込んだ。あなたは私を魅了し、あなたをレギュラーにした…番組で…そして私の人生で。あなたは家族だった。さびしいよ、兄弟」とトゥリさんをしのんだ。 トゥリさんは同じハワイ出身である元関脇・高見山(渡辺大五郎氏=米国名はジェシー・クハウルア)にスカウトされ大相撲の世界に入
佐々木昭一郎さん死去、88歳 元NHKディレクター 時事通信 文化特信部2024年06月21日20時01分配信 佐々木昭一郎さん(シグロ社提供) 佐々木 昭一郎さん(ささき・しょういちろう=元NHKディレクター)14日午前1時50分、肺炎のため神奈川県大和市の病院で死去、88歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻恵理子(えりこ)さん。後日、しのぶ会や追悼上映の開催を予定している。 〔写真特集〕追悼2024 60年、NHK入局。ドキュメンタリーとフィクションが混ざり合う演出を得意とし、ドキュメンタリー風ドラマ「マザー」(70年)はモンテカルロ国際テレビ祭最高賞を受賞。「四季・ユートピアノ」(80年)でイタリア賞RAI賞、国際エミー賞優秀作品賞を受賞した。 他の作品に「さすらい」(71年)、「川の流れはバイオリンの音」(81年)など。95年に退局し、14年公開の映画「ミンヨン 倍音の
「星野富弘お別れの会」で献花する参列者=みどり市東町の富弘美術館で2024年6月21日午前11時22分、遠山和彦撮影 今年4月に亡くなった群馬県みどり市出身の詩画作家、星野富弘さんをしのぶ「星野富弘お別れの会」が21日、同市東町の富弘美術館で行われた。山本一太知事をはじめ、須藤昭男みどり市長、友人代表の渡辺護さんら関係者約160人が参列した。 会場は祭壇を白い花であしらわれ、正面には星野さんの遺影が安置された。壁には中学校の体育教師だった星野さんが部活動指導中に事故で手足の自由を失った後、1972年12月に口に筆をくわえて初めて記したカタカナの50音の文字などが大きく描かれた。 参列者はそれぞれ白い花を献花し、星野さんの冥福を祈った。遺族を代表して星野さんの妻、昌子さんが「一人で作品を見ていると描いていた時のことを思い出し、涙があふれてしまいます。(星野さんは)死んでも以前よりもっと高い場
アメリカのビート詩やジャズの影響を受け、鮮烈なイメージの前衛的作品で知られた詩人の白石かずこ(本名・白石嘉寿子=しらいし・かずこ)さんが14日、心不全のため死去した。93歳。葬儀は親族のみで営み、お別れの会を後日開く予定。喪主は夫菱沼真彦(ひしぬま・のぶひこ)さん。 カナダのバンクーバー生まれ。10代後半に詩誌「VOU」に参加し、早稲田大在学中の1951年に詩集「卵のふる街」でデビューした。71年に「聖なる淫者の季節」でH氏賞を受賞。性的な言葉や寓話(ぐうわ)的イメージを大胆に用い、物語性のある長編詩を多く書いた。 アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらビート世代の詩人・作家に影響を受け、ジャズとの共演による朗読にも積極的に取り組み、現代詩の一翼を担った。海外の詩祭・芸術祭に度々参加し、作品は20を超える言語に翻訳された。他の詩集に「砂族」(藤村記念歴程賞)、「現れるものたちをして」
第61回毎日書道展四国展で、「教」と書いた自身の作品について語る三浦白鷗さん=松山市の愛媛県美術館南館で2009年8月14日午前11時53分、柳楽未来撮影 毎日書道展審査会員・毎日書道会参事で、毎日書道展四国展最高顧問の三浦白鷗(はくおう)(本名・征紀(せいき))さんが15日、79歳で亡くなった。18日に松山市内で営まれた葬儀には県内外の書道関係者ら約160人が参列。書道文化の振興に尽くした三浦さんの多大な功績をたたえ、感謝の気持ちを共有した。 三浦さんは22歳だった1966年から本格的に書道を始め、78年にはサラリーマンをやめて筆一本の生活に。大字書を中心に制作し、86年に独立書人団の会員となった。91年に毎日書道展のグランプリである会員賞を受賞。「書道には求道精神がある。広い意味での自己研鑽(けんさん)。地道な修練により技術の習得、鑑賞眼、さらには自己の感性を磨き、独創的な表現力を求め
武田薬品工業の創業家出身で、社長、会長を務めた武田国男(たけだ・くにお)さんが8日、老衰のため亡くなった。84歳。葬儀は家族で営んだ。お別れの会は遺志で行わない。 1781年創業の武田薬品で、国男氏は6代目武田長兵衛氏の三男。1962年、武田薬品に入社し、93年に社長に就任した。成果主義を前面に出して海外展開を強化。医薬品事業に経営資源を集中するなど構造改革に取り組み、中核ではない事業の売却などを進めた。2001年度の連結決算で国内製薬企業として初めて売上高1兆円を達成。社長在任の10年間で営業利益を3倍以上に伸ばし、グローバル企業に育てた。02年には大胆な経営改革が評価され、毎日経済人賞を受賞した。
俳優の山田昌(やまだ・まさ、本名・天野昌=あまの・まさ)さんが16日、肝細胞がんのため死去した。94歳。通夜は18日午後7時、葬儀は19日午後1時、名古屋市千種区内山1の19の22の平安会館今池斎場。喪主は次女小田ひさ英(おだ・ひさえ)さん。 愛知県常滑市生まれ。1949年にNHK名古屋放送劇団に入団。85年に夫で俳優の故天野鎮雄さん(昨年11月死去)と劇団「劇座」を結成した。 植木等と夫婦役を演じた代表作のドラマ「名古屋嫁入り物語」で名古屋の言葉を使ったことから、「名古屋弁俳優」として有名になった。高視聴率だったことからシリーズ化され、98年の10作まで続いた。テレビドラマや舞台、映画で幅広く活躍し、東海地方では「鎌倉ハム」のテレビCMでもおなじみだった。 社会派作品にも精力的に出演し、原爆を題材にした映画「黒い雨」(89年)には商店のおかみ役で出た。志願して出番のない原爆投下シーンに立
オアフ島、ノースショアのレジェンドサーファー、タマヨ・ペリーがオアフ島沖の小さな島、ゴート島でサーフィン中にシャークアタックに遭遇して死亡。 遺体は腕と足がない状態で発見されたと報告されている。 2003年に当時13歳だったべサニー・ハミルトンがカウアイ島でシャークアタックに遭い、片腕を失ったのは映画にまでなった有名な話だが、シャークアタックでプロサーファーが亡くなるのは初めてとのこと。 49歳の早い死にサーフィン業界は騒然としている。 タマヨ・ペリーのキャリア 1975年にオアフ島・イーストサイドで生まれたタマヨはノースショアで12歳でサーフィンを始め、パイプラインでスペシャリストと呼ばれるまでになった。 コンテストでは結果を残していないが、ジェリー・ロペス、アンディ・アイアンズ、ブルース・アイアンズ、ショーン・ブライリー、マイケル・ホー、デレク・ホーなどと共にパイプラインのスペシャリス
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