大相撲元幕内木村山の岩友親方、木村守さん(きむら・まもる)さんが6日未明、療養中の病院で死去、42歳。和歌山県出身。葬儀・告別式は未定。 東洋大から春日野部屋に入門し、2004年春場所で初土俵を踏んだ。突き、押しを得意とし、08年初場所で新十両、同年名古屋場所で新入幕。幕内に16場所在位した。14年初場所限りで引退し、春日野部屋で後進を指導していた。(共同)
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「星野富弘お別れの会」で献花する参列者=みどり市東町の富弘美術館で2024年6月21日午前11時22分、遠山和彦撮影 今年4月に亡くなった群馬県みどり市出身の詩画作家、星野富弘さんをしのぶ「星野富弘お別れの会」が21日、同市東町の富弘美術館で行われた。山本一太知事をはじめ、須藤昭男みどり市長、友人代表の渡辺護さんら関係者約160人が参列した。 会場は祭壇を白い花であしらわれ、正面には星野さんの遺影が安置された。壁には中学校の体育教師だった星野さんが部活動指導中に事故で手足の自由を失った後、1972年12月に口に筆をくわえて初めて記したカタカナの50音の文字などが大きく描かれた。 参列者はそれぞれ白い花を献花し、星野さんの冥福を祈った。遺族を代表して星野さんの妻、昌子さんが「一人で作品を見ていると描いていた時のことを思い出し、涙があふれてしまいます。(星野さんは)死んでも以前よりもっと高い場
アメリカのビート詩やジャズの影響を受け、鮮烈なイメージの前衛的作品で知られた詩人の白石かずこ(本名・白石嘉寿子=しらいし・かずこ)さんが14日、心不全のため死去した。93歳。葬儀は親族のみで営み、お別れの会を後日開く予定。喪主は夫菱沼真彦(ひしぬま・のぶひこ)さん。 カナダのバンクーバー生まれ。10代後半に詩誌「VOU」に参加し、早稲田大在学中の1951年に詩集「卵のふる街」でデビューした。71年に「聖なる淫者の季節」でH氏賞を受賞。性的な言葉や寓話(ぐうわ)的イメージを大胆に用い、物語性のある長編詩を多く書いた。 アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらビート世代の詩人・作家に影響を受け、ジャズとの共演による朗読にも積極的に取り組み、現代詩の一翼を担った。海外の詩祭・芸術祭に度々参加し、作品は20を超える言語に翻訳された。他の詩集に「砂族」(藤村記念歴程賞)、「現れるものたちをして」
第61回毎日書道展四国展で、「教」と書いた自身の作品について語る三浦白鷗さん=松山市の愛媛県美術館南館で2009年8月14日午前11時53分、柳楽未来撮影 毎日書道展審査会員・毎日書道会参事で、毎日書道展四国展最高顧問の三浦白鷗(はくおう)(本名・征紀(せいき))さんが15日、79歳で亡くなった。18日に松山市内で営まれた葬儀には県内外の書道関係者ら約160人が参列。書道文化の振興に尽くした三浦さんの多大な功績をたたえ、感謝の気持ちを共有した。 三浦さんは22歳だった1966年から本格的に書道を始め、78年にはサラリーマンをやめて筆一本の生活に。大字書を中心に制作し、86年に独立書人団の会員となった。91年に毎日書道展のグランプリである会員賞を受賞。「書道には求道精神がある。広い意味での自己研鑽(けんさん)。地道な修練により技術の習得、鑑賞眼、さらには自己の感性を磨き、独創的な表現力を求め
武田薬品工業の創業家出身で、社長、会長を務めた武田国男(たけだ・くにお)さんが8日、老衰のため亡くなった。84歳。葬儀は家族で営んだ。お別れの会は遺志で行わない。 1781年創業の武田薬品で、国男氏は6代目武田長兵衛氏の三男。1962年、武田薬品に入社し、93年に社長に就任した。成果主義を前面に出して海外展開を強化。医薬品事業に経営資源を集中するなど構造改革に取り組み、中核ではない事業の売却などを進めた。2001年度の連結決算で国内製薬企業として初めて売上高1兆円を達成。社長在任の10年間で営業利益を3倍以上に伸ばし、グローバル企業に育てた。02年には大胆な経営改革が評価され、毎日経済人賞を受賞した。
俳優の山田昌(やまだ・まさ、本名・天野昌=あまの・まさ)さんが16日、肝細胞がんのため死去した。94歳。通夜は18日午後7時、葬儀は19日午後1時、名古屋市千種区内山1の19の22の平安会館今池斎場。喪主は次女小田ひさ英(おだ・ひさえ)さん。 愛知県常滑市生まれ。1949年にNHK名古屋放送劇団に入団。85年に夫で俳優の故天野鎮雄さん(昨年11月死去)と劇団「劇座」を結成した。 植木等と夫婦役を演じた代表作のドラマ「名古屋嫁入り物語」で名古屋の言葉を使ったことから、「名古屋弁俳優」として有名になった。高視聴率だったことからシリーズ化され、98年の10作まで続いた。テレビドラマや舞台、映画で幅広く活躍し、東海地方では「鎌倉ハム」のテレビCMでもおなじみだった。 社会派作品にも精力的に出演し、原爆を題材にした映画「黒い雨」(89年)には商店のおかみ役で出た。志願して出番のない原爆投下シーンに立
ガードナー国際賞受賞の喜びを笑顔で語る遠藤章・東京農工大特別栄誉教授=東京都小金井市で2017年3月30日午後1時50分ごろ、阿部周一撮影 血液中のコレステロールを下げる物質「スタチン」を発見し、長年、ノーベル賞の有力候補とされた東京農工大特別栄誉教授、遠藤章(えんどう・あきら)さんが5日、死去した。90歳。葬儀は近親者で営んだ。お別れの会を後日開く。 秋田県由利本荘市(旧・東由利町)出身。東北大を卒業後、製薬会社「三共」(現・第一三共)に入社。米国留学を経て、カビやキノコの菌約6000株から、肝臓でコレステロールの合成を阻害する物質を探す研究に従事した。 1973年、青カビからスタチンの一種、コンパクチンを発見。動脈硬化を引き起こす脂質異常症(高脂血症)の治療に広く使われる薬の開発につながった。 2008年にラスカー賞、17年にガードナー国際賞を受賞。11年度に文化功労者に選出された。1
毎日新聞大阪本社版の「近藤流健康川柳」選者を務めた毎日新聞客員編集委員、近藤勝重(こんどう・かつしげ)さんが10日、膿胸(のうきょう)のため死去した。79歳。葬儀は近親者で営む。喪主は長男圭(けい)さん。 1969年毎日新聞社入社。論説委員、「サンデー毎日」編集長、夕刊編集長などを歴任した。 健康川柳は2007年4月から連日掲載。キャッチフレーズは「1日1句医者いらず」で、近藤さん出演のMBSラジオの番組「しあわせの五・七・五」との共催企画だった。毎年、大阪市で開かれた「健康川柳の集い」は読者、リスナーが多数参加した。 「しあわせの五・七・五」パーソナリティー、水野晶子さんは「近藤さん、なんで突然逝ってしまったんですか。読者にもラジオリスナーにも私にも、何も言わないで……。『健康川柳を人生の杖(つえ)に』と先頭を歩んできた近藤師範。これからが老いの道の本番だったのに。ラジオの報道番組を通じ
日本高校野球連盟の第6代会長で、元早稲田大総長の奥島孝康(おくしま・たかやす)さんが1日、東京都内の病院で亡くなった。85歳。葬儀は近親者のみで営む。 愛媛県出身。早稲田大第1法学部を卒業後、法学部教授・同学部長などを経て1994~2002年に総長を務めた。 08年11月、日本高野連の脇村春夫・第5代会長の後任に就いた。野球経験はなかったが、07年から有識者会議のメンバーとして関わっていた特待生問題を巡る議論を進め、「1学年5人以内」などとするルールを制度化した。13年には、日本学生野球協会会長で、後に日本高野連の第7代会長になる八田英二さんとともに、元プロの学生野球資格回復条件の大幅緩和に尽力した。 現在の全国高校選手権の前身にあたる全国中等学校優勝野球大会が始まって100年の節目だった15年夏の甲子園大会を終え、同年9月に退任した。
鐘紡(2001年にカネボウ、07年解散)で社長や会長を務め、日本航空会長にも就いた伊藤淳二(いとう・じゅんじ)さんが、21年12月に死去していたことが16日分かった。99歳だった。 1948年に慶応大経済学部を卒業後、鐘淵紡績(71年に鐘紡)に入社。68年に45歳の若さで社長に就任し、繊維・化粧品・薬品・食品・住宅関連の5事業を展開する「ペンタゴン(五角形)経営」と呼ばれた多角化路線を進めた。社長就任5年目に繊維業界で売り上げトップとなり、化粧品は国内2位となった。84年まで社長を務め、会長を退任する92年まで24年にわたって経営に関与した。 85年8月の日航ジャンボ機墜落事故後、日航の立て直しを当時の中曽根康弘首相に要請され、86年6月に鐘紡会長と兼務で日航会長に就任。しかし、労務政策を巡り日航内外から不協和音が起こり、87年3月に辞任した。山崎豊子さんの小説「沈まぬ太陽」に登場する航空
「MILK DO dore iku?」(ミルクドドレイク)の生ドーナツ=福岡市西区で2024年4月11日、久野洋撮影 ふんわり、しっとり、中にはクリームなどの具材がどっさり。そんな「生ドーナツ」が人気だ。若い女性を中心に長蛇の列ができる有名店も多く、SNS(ネット交流サービス)で話題になっている。各地で専門店の開店が相次ぎ、ワッフルやタピオカのようなブームを呼びつつある。 生ドーナツの火付け役は、福岡市発祥の人気パン店が東京・中目黒に2022年に出店した「I’m donut?」(アイムドーナツ?)とされている。都内や福岡市で店舗を増やし、行列は数時間待ちになることも。SNSで「朝から並んだ」などと話題になっている。 波に乗ろうとカフェやパン店でも生ドーナツの新商品が続々と誕生し、コンビニも商品化。新業態として専門店を展開する企業もある。 北海道の牧場が母体の「MILK DO dore ik
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