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ブックマーク / ryukyushimpo.jp (12)

  • <訃報>本村紀夫さん死去 国会爆竹事件「沖縄青年同盟」 75歳 - 琉球新報デジタル

    1971年に国会爆竹事件を起こした「沖縄青年同盟」の一人、村紀夫(もとむら・のりお)さんが11日午前8時54分、大腸がんのため那覇市の病院で死去した。75歳。宮古島市出身。自宅は那覇市。葬儀は近親者のみで行う。 71年10月19日、第67回臨時国会で佐藤栄作首相(当時)が衆院会議場で所信表明演説中、自身を含む沖縄出身の若者3人が傍聴席から「沖縄返還協定粉砕」を叫び、爆竹を鳴らしビラを配った。3人は逮捕・起訴され、裁判ではそれぞれ地元のうちなーぐち使用を主張し、「沖縄は日か」を問うた。 東京や沖縄で平和運動に取り組み、基地が集中する不条理に抗議の声を上げ、沖縄の自立や自己決定権を求め続けた。琉球独立総合研究学会などの設立にも携わった。

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  • <訃報>女性史研究家のもろさわようこさんが死去 - 琉球新報デジタル

    女性差別の歴史に関する著作などで知られる女性史研究家のもろさわようこさんが29日未明、間質性肺炎のため川崎市で死去した。99歳。長野県出身。

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  • <訃報>上原正吉さん死去 82歳 民謡歌手、「ナークニー」が人気に - 琉球新報デジタル

    民謡歌手の上原正吉(うえはら・せいきち)さんが5日午後5時半ごろ、心筋梗塞のため那覇市長田の自宅で死去した。82歳。今帰仁村謝名出身。告別式は13日正午から午後1時、那覇市首里山川町3の1、首里観音堂で。喪主は恵美子(えみこ)さん。 1957年に民謡の巨匠・前川朝昭さんに弟子入り。デビュー曲の「ナークニー」をおはことし、哀調を帯びた高音の歌声で人気を集めた。 70年にNHKのど自慢で優勝し沖縄代表になるなど民謡大会での受賞多数。恵美子さんと那覇市泊などで民謡クラブ「ナークニー」を約50年経営し、2019年に閉じた。代表曲にラジオ沖縄主催第1回新唄大賞グランプリの「あかばんた」などがある。 今月3日には那覇文化芸術劇場なはーとの公演「ドーナツ盤からの唄声~沖縄民謡最盛期の情熱~」に出演し、変わらぬ歌声を聞かせていた。前川流民謡協会名誉会長、前川流二代目家元。県民謡合同連合会顧問。21

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  • <訃報>横田六十一さん 元県柔道連盟理事長 85歳 - 琉球新報デジタル

    横田 六十一(よこだ・むそいち=元県柔道連盟理事長) 10月30日午前9時16分、敗血症による多臓器不全のため、北中城村の病院で死去、85歳。与那国町出身。自宅は北谷町字桑江。告別式は2日午後2時から2時45分、北谷町大村455、樹昌院堂で。喪主はエミ子(えみこ)さん。 八重山高校で柔道を始めた。少年院で法務教官をしながら、県柔道連盟理事長を1979年から2003年まで務めた。

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  • 【訃報】仲本明光さん死去 元南風原町文化協会会長 73歳 - 琉球新報デジタル

    明光さん(なかもと・あけみつ=元南風原町文化協会会長、イカリ消毒沖縄会長)12日午後12時45分、肺がんのため宜野湾市内の病院で死去、73歳。南風原町宮平出身。自宅は同町宮平。告別式は16日午後4時から4時半、南風原町津嘉山1679の1、拓商セレモニー会館で。喪主は美恵子(みえこ)さん。 1999年に営業所から現地法人化したイカリ消毒沖縄の初代社長。2018年に会長に就任した。2000年に設立された南風原町文化協会の立ち上げに携わり、2期4年会長を務めた。15年に県文化協会の功労賞を受賞。

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  • 【訃報】上原米子さん死去 元なごらん学徒の語り部 96歳 - 琉球新報デジタル

    上原 米子さん(うえはら・よねこ=元なごらん学徒の語り部)11日午後5時51分、老衰のためうるま市の病院で死去、96歳。恩納村山田出身。自宅は恩納村山田。告別式は13日正午から午後0時半、恩納村恩納7071の67、村斎場で。喪主は長男誠(まこと)さん。 沖縄戦当時、県立第三高等女学校(三高女)に在籍、看護学徒として従軍した。戦後は語り部として戦争体験の継承に力を尽くした。

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  • 【訃報】伊良波マサ子さん死去 県IMモード協会創設者 74歳  - 琉球新報デジタル

    伊良波 マサ子さん(いらは・まさこ=県IMモードデザイナーズ協会会長、旧姓伊舎堂)4日午前4時34分、病気のため那覇内の病院で死去、74歳。伊良部町(現宮古島市伊良部)佐良浜出身。自宅は那覇市安謝。告別式は10日午後2時から2時45分、那覇市曙1の20の39、那覇葬祭会館館で。喪主は夫光雄(みつお)さん。 1977年にこくら洋裁教室・伊舎堂服装学院(後の伊舎堂沖縄ファッション学院)を設立。2000年に県IMモードデザイナーズ協会を創設。同協会のファッションデザインコンクールのグランプリ受賞者をパリ国際大会へ派遣するなどデザイナーを育成した。

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  • 【訃報】又吉桃子さん死去、83歳 沖縄調理師専門学校前理事長

  • 【訃報】仲田勝男さん死去、79歳 沖縄明治乳業社長など務める - 琉球新報デジタル

    仲田 勝男氏(なかだ・かつお=元沖縄明治乳業社長、元沖縄明販社長)16日午後1時35分、心不全のため那覇市の自宅で死去、79歳。那覇市出身。告別式は19日午後2時から3時、那覇市松山1の9の1、大典寺で。喪主は光子(みつこ)さん。 2011年まで沖縄明治乳業の社長。沖縄明販の社長も務めた。

    【訃報】仲田勝男さん死去、79歳 沖縄明治乳業社長など務める - 琉球新報デジタル
  • 沖縄知事選「佐喜真候補向け薬きょう、を報じず」は誤り 紙面・ウェブでも掲載<ファクトチェック> - 琉球新報デジタル

    沖縄県知事選候補者の佐喜真淳氏が26日に那覇市内で演説中、複数の薬きょうのようなものが投げつけられた件について、短文投稿サイトのツイッター上で「沖縄地元二紙は(中略)一切報道せず」とのつぶやきが26日午後11時に投稿された。だが琉球新報は27日付朝刊社会面で掲載、琉球新報デジタルでも27日午前に記事をサイトにアップしており、誤りだ。記事は沖縄タイムスも27日付社会面に掲載している。 【沖縄県知事選の情報ならこちらから】 知事選候補者の佐喜真淳氏の演説中に薬きょうのようなものが投げられたことを沖縄2紙が報じていないとするツイート(一部画像を加工しています)。これは誤りだ 投稿には、4年前の県知事選で琉球新報が出した「新知事に玉城氏」の当確速報を持つ玉城デニー氏の写真を掲げて「玉城デニー知事が不利になる案件は、例え事件であっても報道しない。これが反日メディアの実態だ」とつづっている。 27日午

    沖縄知事選「佐喜真候補向け薬きょう、を報じず」は誤り 紙面・ウェブでも掲載<ファクトチェック> - 琉球新報デジタル
    goturu
    goturu 2022/08/28
    ↓26日の午後に起きた事件に対して26日の夜に「沖縄の新聞はどこも報じてない!」って言ってる方がよほど「何言ってんだ」じゃないか?
  • 産経報道「米兵が救助」米軍が否定 昨年12月沖縄自動車道多重事故 - 琉球新報デジタル

    車両6台の衝突事故が発生、北向け車線が通行止めとなった沖縄自動車道=2017年12月1日午前10時半ごろ、沖縄市知花 昨年12月1日に沖縄自動車道を走行中の米海兵隊曹長の男性が、意識不明の重体となった人身事故で、産経新聞が「曹長は日人運転手を救出した後に事故に遭った」という内容の記事を掲載し、救出を報じない沖縄メディアを「報道機関を名乗る資格はない」などと批判した。しかし、米海兵隊は29日までに「(曹長は)救助行為はしていない」と紙取材に回答し、県警も「救助の事実は確認されていない」としている。産経記事の内容は米軍から否定された格好だ。県警交通機動隊によると、産経新聞は事故後一度も同隊に取材していないという。産経新聞は事実確認が不十分なまま、誤った情報に基づいて沖縄メディアを批判した可能性が高い。産経新聞の高木桂一那覇支局長は「当時のしかるべき取材で得た情報に基づいて書いた」と答えた。

    産経報道「米兵が救助」米軍が否定 昨年12月沖縄自動車道多重事故 - 琉球新報デジタル
  • 百田氏発言をめぐる琉球新報・沖縄タイムス共同抗議声明 - 琉球新報デジタル

    百田尚樹氏の「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという”言論弾圧”の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。 百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党部で開いた会合の席上であり、むしろ出席した議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し、百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め、看過できるものではない。 さらに「(米軍普天間飛行場は)もともと田んぼの中にあった。基地の周りに行けば商売になるということで人が住みだした」とも述べた。戦前の宜野湾村役場は現在の滑走路近くにあり、琉球王国以来、地域の中心地だった。沖縄の基地問題をめぐる最たる誤解が自民党内で振りまかれたことは重大だ。その訂正も求めたい。 戦後、沖縄の新聞は戦争に加担した新聞人の反省から出発した。戦争につながるような

    goturu
    goturu 2015/06/27
    せめて百田氏にはあの発言は「冗談」で済まされるものではない。ということをこの声明で認識してもらいたい。
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