琉球ガラスで泡ガラスの技法を確立し、沖縄の工芸品としての価値を高めた稲嶺盛吉(いなみね・せいきち)さんが26日午後5時7分、読谷村内の自宅で死去した。83歳。2年前にがんを宣告され、自宅療養していた。家族葬を28日に執り行った。住所は読谷村座喜味2748。 1940年、那覇市生まれ。米兵が捨てたビールやコーラの廃瓶を溶かして再生ガラスを作る戦後の物不足の時代に、家計を助けるため15歳で那覇市の奥原硝子製造所に入った。以降、60年以上制作に励み、独創的で個性あふれる作品は琉球ガラスのイメージを一新させた。 造形的な美しさを追求する一方で、「使ってもらえるガラスが私の原点」と語っていた。...
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