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ブックマーク / antimainstreameconomics.blogspot.com (264)

  • ユーロ圏の危機 8 貨幣的ユートピアとマネタリズムの作用

    ユーロ圏の債務危機、あるいはユーロ自体の存続の危機は、1990年前後からヨーロッパ諸国が追求してきた「貨幣的ユートピア」とそれを支えたマネタリズムに由来します。そのことを以下に示したいと思います。議論に際しては、欧米のいくつかの論文(Levy Economics Institute, Working Paper, The Journal of Post Keynesian Economics, The Cambridge Journal of Economics などに掲載)に依拠しているところが多々ありますが、それらの紹介は後に回します。 トッド氏(E. Todd, 1999)が冷静に観察していたように、ヨーロッパでは多くの国の指導者たちがあたかもレミング(ネズミ)のように1990年前後から単一(ユーロ)通貨圏の創設の方向にいっせいに疾駆しはじめました。それらの国では(日でも?)、それ

    ユーロ圏の危機 8 貨幣的ユートピアとマネタリズムの作用
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    gruza03 2014/02/16
    金利の低下は、周辺国側の資金需要を拡大すると同時に、中心国側から周辺国への資金供給意欲を拡大する。その理由は、為替リスクの消失の条件下で、長期金利(名目)が相対的に高いことにある。
  • ユーロ圏の危機 7 ユーロ不均衡(Euro-imbalance)

    現在ユーロ圏で生じている経済危機は、一言で表現すれば、人口もきわめて大きく、産業・貿易構造も技術水準・所得水準も宗教・文化・言語・家族形態も異なる多様な国・地域が一つの「通貨圏」(currency area)を生み出したことに起因していると、私は考えています。 もとより、多様だから単一通貨圏への統合が不可能だと最初からアプリオリに断定するわけではありません。しかし、様々な困難があると思うようになりました。その一つは貨幣ユートピアの幻想です。単一通貨が発明される前は、それらの国・地域間には大きな不均衡(imbalance)があり、そこから生じる問題が様々な方法による調整(adjustment)によって解決されてきました。そのような調整手段の一つは為替調整です。前々回も書きましたが、ドイツとフランスの経済には大きな制度的相違が存在しました。そして、それらの体質を異にする経済間の調整において大き

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    gruza03 2014/02/14
    人々は「底辺への競争」を強いられます。実際には、利潤とその分配分(経営者報酬、配当など)は増えている。悪名高い「セイ法則」(「供給は必ずそれ自らの需要を生み出す」という供給側の経済学)の誤り
  • <世界需要の構造的不足>と<不均衡> 現代経済の根本問題

    先日のNHKテレビで、熾烈な「グローバル競争」の展開を想起させるニュース番組が放映されていた。しのぎを削る国際競争の中で日企業が苦戦している様子を映像を通して見せられた人々の多くは、あらためて国際競争の激しさを知り、日の(つまり自分の)将来に対する不安にかられたであろう。またその渦中にいる人々(技術者、ビジネスマン、従業員)は自己の属する企業がこの熾烈な競争に生き残るべきかに思いをはせ、価格の引下げのための人件費の引下げや、新しい製品開発、生産性の引き上げの方策(日々自分たちが直面していること)を思い起こしたかもしれない。 しかし、この姿を第三者(例えばーー私はそのような存在を信じていないけれどーーUFOに乗って地球にやって来た宇宙人)が客観的に見たら、事態はかなり変わったものに見えるはずである。そして、この見方は経済社会に生起していることを客観的・冷静に分析する経済学者や政治家も共有

    gruza03
    gruza03 2014/02/14
    現代の一連の人々(エリートたち)は、エマニュエル・トッド氏風に表現すると、「単一思考」または「ゼロ思考」に陥っているという事実である。つまり、彼らは、「セイ法則」というコペルニクス以前的な地動説に逆戻
  • ユーロ圏の債務危機 6 「ゼロ思考」への陥落と「失われた10年」

    ユーロ圏の登場は、人々に、特に国民の80%以上の人々に何を与えたでしょうか?。 まずは私の作成した図(EURO圏12カ国における労働生産性と実質単位労働費用の推移)を見て欲しいと思います。(図はAmeco on line data よく作成しています。) 」 この図で、労働生産性としているのは、従業員一人あたりの実質GDP(指数、1991年=100)であり、(実質)単位労働費用は、生産物1単位あたりの人件費(物価指数を考慮済みの実質、指数、1991年=100)です。 差し当たり、今回問題とする1990年代だけを取り上げると、この時期にも労働生産性は一貫して上昇しています。つまり、一人あたりの国民総生産は増加しています。ただし、経済の成長ペースは以前と比較すれば低下しています。一方、単位労働費用のほうは1980年頃から低下しており、1990年代にも低下は続いています。つまり、リストラ(昔風に

    ユーロ圏の債務危機 6 「ゼロ思考」への陥落と「失われた10年」
    gruza03
    gruza03 2014/02/12
    本来、労働生産性に比例して人件費(つまり労働者の賃金所得)が増加しているならば、このようなことは生じません。これは明らかに賃金が抑制され、労働者の取分(賃金シェアー)低下してことを意味しています。
  • ユーロ圏の債務危機 5 1992年9月のヨーロッパ債務危機

    1992年9月〜1993年7月のヨーロッパ通貨危機(ERM危機)は、何故生じたのか? この時期に生じたポンド・スターリング(£)のERM(為替相場メカニズム)からの離脱、イタリア・スペイン・ポルトガル(リラ、ペセタ、エスクード)の通貨不安、フランス・フランの危機などが何故生じたのかを、詳細に描くことは難しい作業であり、特にこのようなブログでは不可能ですが*、ここで2、3の重要な点について(のみ)指摘して置きたいと思います。 *David Cobhamの"Causes and Effects of the European Monetary Crisis of 1992-93, Journal of Common Market Studies, Vol.34. No.4, December 1996  で諸説が検討されています。 この通貨危機(ERM)を検討することは、現在のヨーロッパ債務危

    ユーロ圏の債務危機 5 1992年9月のヨーロッパ債務危機
    gruza03
    gruza03 2014/02/12
    ドイツの「独善的な金融政策」に対する批判が様々なところで行われることになります。しかし、多くの人々の不信感にもかかわらず、ユーロ・ランドに向かう動きは、止まりませんでした。
  • ユーロ圏の債務危機 4 1990年代=ヨーロッパの「失われた10年」

    マーストリヒトがヨーロッパ諸国民に決して幸福をもたらさなかったことは、様々な統計から知ることができますが、その中でも最もよいのは失業率のデータでしょう。下の図は、ユーロ12カ国の失業率を示す図です。(Ameco on line より作成。) *若干の補足説明をします。1973年頃まで低い水準にあった失業率が1974年頃から急上昇し、1988年頃にピークに達しているのが分かりますが、この一つの理由が二度(1973年と1979年)にわたる石油危機にあったことは言うまでもありません。石油価格の数倍への高騰と巨額のオイルマネー(オイルダラー)の流出、それに伴う石油輸入国の実質可処分所得の低下は(カルドア氏、Nicolas Kaldor の推計では)世界全体の可処分所得の4%にも及び、有効需要の縮小をもたらしました。つまり輸入されたインフレーションと景気後退の同時発生(スタグフレーション)です。 こ

    ユーロ圏の債務危機 4 1990年代=ヨーロッパの「失われた10年」
    gruza03
    gruza03 2014/02/12
    しかし、1991年から1997年にかけてヨーッパ全体を覆った景気の停滞は、サッチャー不況と比べてもかなり長く、その規模も深刻なものでした。
  • ユーロ圏の債務危機 3 マーストリヒト条約と安定成長協定

    政治経済統合や通貨統合の理念は、ヨーロッパではかなり早くからあったことは間違いないとしても、それが現実化したきっかけをなしたのはドイツ統一という歴史事件であったことは間違いないでしょう。 フランスのミッテラン大統領は、ドイツの勢力的拡大を恐れ、単一通貨圏の中に封じ込めることを意図し、ドイツのコール首相がそれを受け入れたという経過は、おそらく間違いない事実と思われます。 しかしながら、こうしたミッテランの目論みが実現したかというと、決してそうではありません。むしろそれはドイツの勢力拡大に寄与したとさえ言えるように思います。 さて、このことを示すためには、欧州通貨統合に関する最低限の制度設計を説明しなければなりませんが、ここではそれについて詳しく説明することは省略します。ただ念のために、1989年に「ドロール報告」が発表され、翌年にEMU(経済・通貨同盟)の第一段階が始まったこと、また199

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    gruza03 2014/02/12
    好況であろうが不況であろうが、財政基準を満たすために政府は緊縮財政政策を取ることを求められます。イタリア・リラを切り下げ、輸出(外需)を拡大することによって景気を好転させるという方策も禁じられています
  • ユーロ圏の債務危機 2 多様なヨーロッパの単一通貨

    昔、岡倉天心(たしか)が「アジアは一つ」といったことは有名です。しかし、現実のアジアはいろんな意味で一つどころではありません。ヨーロッパはどうでしょうか? ヨーロッパも多様です。 試しにエマニュエル・トッド氏(Emmanuel Todd)の『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』(どちらも藤原書店の出版)を見ると、宗教、家族形態や相続慣行、イデオロギーなどの点で、ヨーロッパが実に多様であることがわかります。すべての国・地域を見る余裕はありませんが、イギリス(連合王国)、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ギリシャだけでも、ざっと次の通りです。 優勢な宗派/(伝統的な)相続慣習・家族 連合王国  旧教(カソリック)、新教(カルバン派)の諸教派、イングランド国教会       /不平等相続と核家族、不平等相続と直系家族 フランス  旧教(カソリック)、カルバン派の諸教派・核家族と平等相続、直系

    gruza03
    gruza03 2014/02/12
    かりに日本が統一通貨(円)を持つけれども、財政は地方ごとに完全に独立しているといった仮想の事例を考えましょう。中央政府が存在し、(十分かどうかは別として)それなりに再分配の機能を果たしています。
  • ユーロ圏の債務危機 1 怠惰と放漫財政のためではない

    ユーロ圏、特にギリシャ、スペイン、ポルトガル、アイルランドなど周辺諸国を中心としてヨーロッパ諸国が近年深刻な経済危機(債務危機、財政危機、景気後退、失業など)に見舞われていることは、マスコミ等でも周知のところです。失業率は危険水域に達し、特に若年者の失業率にいたっては40%を超えている地域もざらにあります。 (日では、ヨーロッパ債務危機など昔の話という雰囲気もありますが、決してそうではありません。ヨーロッパでも米国でも大問題でありつづけています。これは日のことを考えればよく分かるでしょう。1990年代の初頭の金融危機から日は「失われた20年」(lost two decades)を経験しました。また、欧米日などでバブルが再発すれば、ふたたび同じことが繰り返される危険性があります。) どうしてこのようなことになったのか? よく広まっている意見の一つは、簡単に言うと、「ギリシャ人は怠惰(l

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    gruza03 2014/02/12
    要するに財政支出の拡大は、金融危機の原因ではなく、むしろ結果です。今度は、人々の可処分所得=購買力=有効需要を減じることになり、デフレ不況の効果を強めることになります。
  • 無理難題 人件費を下げたい、でも需要は増えて欲しい

    カール・マルクスの『資論』(たしか1868年)は、今から150年も前の。古めかしいという人も多いと思います。たしかにその通りです。しかし、古くても、現代経済の特質をずばり指摘している鋭い経済分析のであることは事実です。 その一つが、個別資(企業)の立場と社会的総資(一国の企業全体)の立場の区別と対立です。これは1936年にケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』で展開したこととも共通する論点です。簡単に言えば、次のようなことです。 個々の企業は、社会全体の総需要が一定(不変)という仮定の下では、賃金(人件費)を引下げ、自社製品の価格を引き下げれば、売れ行きが増えるため、生産量を増やし、雇用も拡大し、利潤も増やすことができます。これは正しい命題です。 しかし、一国のすべての企業が同じことをやったらどうでしょうか? 例えばすべての企業が貨幣賃金率を(例えば5%)引き下げるのです。

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    gruza03 2014/02/09
     もとより消費税率の3%分が多数の、特に所得の低い人々の個人的支出を補うような形で政府によって使われるならば(例えば、教育費や医療費、年金など)、事情は異なります。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 12 極めつきの欺瞞・金融

    次に、ガルブレイスが『悪意なき欺瞞』(*)で言及している「極めつきの欺瞞」と呼ぶ中央銀行制度(米国では、連邦制度理事会)をめぐる欺瞞を紹介することにします。 中央銀行の虚偽のシナリオ しばしば金科玉条のようにされている金融政策上のスタンスがあります。それは次のように要約できます。 ・景気後退の場合。中央銀行は、金融緩和(金利引下げ、買いオペによる貨幣供給)により、市中銀行が金利を引下げ、マネーサプライを増やすことが期待される。つまり、金利の引下げが、企業の借用を増やすことが期待されています。 ・景気が加熱気味となる場合。中央銀行は金融引締め策(金利引き上げ、売りオペによる貨幣供給の縮小)によってマネーサプライを抑え、インフレ懸念を払拭するとされています。 これは多くの人によって正しいと考えられていますが、実際には教科書の中ではあり得ても、現実にはあり得ないシナリオだとガルブレイスは主張しま

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    幻想に過ぎない中央銀行の役割「金融政策が無効であることほど、歴史によって繰り返し証明されてきた経済法則は他に例がない。」
  • 社会科学の裸の王様・経済学 11 時間のない不思議な仮想空間

    主流派のミクロ経済学に関する教科書を読んでいると、奇妙な事柄に頻繁に出会います。私は経済学部に入学した直後にすぐ、そうした奇妙な事柄に遭遇してしまい、大いなる違和感を感じました。ジョウン・ロビンソン氏は、「経済学者に騙されないようにするために経済学を始めた」と言っていますが、大げさに言えば私もそうです。 どこがおかしいのでしょうか? ブログでは、これまでもおかしな事柄を取り上げてきましたが、ここでは「代替」と時間について検討することにします。 代替というのは、例えば「労働」と「資」とが一定の比率で取り替え可能だというようなことです。既にここでまともな人ならば、「労働」のほうはともかくとして、「資」という言葉で教科書が何を表現しようとしているのか、戸惑います。 <資というのは、資金(お金・貨幣)のことだろうか? いや、労働と取り替え可能というのだから、ここで述べているのは物的な実物資

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    ジョウン・ロビンソン氏は、「経済学者に騙されないようにするために経済学を始めた」と言っていますが、大げさに言えば私もそうです。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 9 新古典派経済学の正体を暴露する

    世界の著名な・優れた経済学者が「主流派(新古典派)」の経済学についてどのように述べているか、ちょっと覗いてみましょう。それぞれ異口同音に、それが現実離れした前提の上に構築されており、現実世界を映すものではないことを強調しています。 ジョン・M・ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』 「(新)古典派理論の想定する特殊な事例はあいにくわれわれが現実に生活を営んでいる経済社会の実相を映すものではない。それゆえ古典派の教えを経験的事実に適用しようとするならば、その教えはあらぬ方向へ人を導き、悲惨な結果を招来することになるであろう。」 スティーヴ・キーン『経済学の正体を暴く』(Debunking Economics) 「それは現実の資主義経済の動学的には妥当せず、事実上は間違った直感的で静態的なスナップ・ショットに過ぎない。」 *これは近代の(例えばニュートンの)力学(dinamics)などと

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    完全競争は、決して存在しなかったし、また決して存在できなかった。その理由は、企業は小規模なときでさえ、価格を受け入れるだけということはなく、価格を創り出そうとするからである。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 8 貯蓄と投資

    貯蓄と投資との現実の関係もまたしばしば間違って理解されている。 以下では簡単のために外国と政府を捨象して考えることとする。 この仮定の下では、貯蓄とは所得のうち、消費財の購入のために支出されなかった部分に等しい。これは定義のようなものだから、何故そうなるのか、理由を考えずに受け入れるしかない。いま、所得をYとし、消費財の購入のための支出(消費支出)をCとすると、貯蓄Sは、次のように示される。 S=YーC    よってY=C+S                 (1) 定義上、貯蓄の範疇に入るのは、銀行等に預金すること、株式や国債などの金融資産を購入することである。タンス預金(現金を保有し続けること)も貯蓄であり、土地(実物資産)の購入も貯蓄の範疇にいれてよいだろう。問題となるのは、居住用の住宅を購入するような場合である。住宅は見方によっては耐久消費財と考えることもできるが、見方によっては実

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    不均衡は、もっぱら市場外部の要因によって説明されることとなる。曰く、貨幣供給を司る金融政策や財政政策の誤り、労働者の高賃金、その元となっている労働者保護立法の誤り、等々である。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 7 合理的な馬鹿

    アマーティア・センの著作に『合理的な馬鹿』というものがあります。それをタイトルに使いましたが、ここでの内容はセンの解説ではありません。 さて、学生の頃、消費者選択の理論というものを学ばされました。先日の演習のときに学生の一人に聴いたところでは、現在でも教えているようです。 ところがこれがいろいろな意味で合理的な馬鹿げた「理論」です。何故か? 詳しくは説明しませんが、この理論では、2財(例えばリンゴとミカン)を取り上げ、 限られた予算制約の中でどのような選択が最適(個人的な効用を極大化する)かを説明するものです。2年生くらいの学生には結構難しく感じるようです。 さて、この理論のどこが馬鹿げているのでしょうか? 普通教室では(教科書でも同じです)、2財を素材とした説明が終わったあと、教師が「それをN財に拡張します。それでもこの理論は成立します」と宣言して終わります。すなおな学生はなるほどと納得

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    ヒューリスティックにと言いますが、いくつかの行動(商品選択)パターンは決まっていて、ただ値段や嗜好、大きさ、季節などのによって多少変えているに過ぎません。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 6 「セイ法則」の欺瞞

    実は、このブログ<社会科学の裸の王様・経済学>は、Steve Keenという経済学者の著書のタイトルを拝借したものです。彼の書いた著書は、いろんな点で面白いものとなっており、このシリーズでも機会を見つけて紹介したいと考えています。 さて新古典派批判というある意味ではやりがいのない作業を遂行する上で、「セイ法則」ということについて触れない訳にはいきません。セイというのは、19世紀のフランスの経済学者の名前(Jean Baptist Say)ですが、その名を冠した「法則」は決して法則といえない代物です。このシリーズの第1回に紹介した引用を参照してください。「原理」と呼ばれるものは、ほとんどの場合、当該社会で力のある富裕者に役立つときに「原理」の名前をつけられるということでしたが、この原理もその通りです。 セイ法則は、「供給はそれ自らの需要を創り出す」という風に定式化されます。それは、<需要側を

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    新古典派は、「セイ法則」にしがみつきます。これが崩壊すると、彼らの経済学の全構築物が崩れるからです。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 5 市場の欠陥

    現代経済は「市場経済」と呼ばれています。この市場(market)と呼ばれる制度は必要なものでしょうか? 私は必要な制度であると考えています。 しかし、必要だということと完全、完璧ということは同義ではありません。例えば親にとって子供は大切な宝ですが、子供がすばらしい人格を兼ね備えているとは限りません。 市場は公正な制度であるとしばしば考えられ、そう言われていますが、実際には様々な欠点・欠陥を備えています。 市場はなぜ公正な制度だと考えられているのでしょうか? それは多くの人にとっては、単にそのように喧伝されているから、そう思っているに過ぎません。では、そのように語る人(経済学者や政治家)はどうしてそのように言うのでしょうか? 新古典派の経済学者は、その教科書的な、かつ最も抽象的な理論においては、市場に参加するプレイヤーたちが多数の等しい力(つまり購買力や供給能力、つまりところは貨幣)を持つ同

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    gruza03 2014/01/13
    景気をGDPの量や成長率だけで判断してはいけません。賃金シェアーの低下は、大衆消費財の市場の不況を招き、結局は国内市場を停滞させます。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 4 前提の非現実性と理論の崩壊

    実は、どんなにつまらない事に思えても、「規模に関する収穫逓減」と「限界効用の逓減」(それに後で触れる「労働の限界不効用の逓増」)といった前提が否定されると、新古典派の理論体系はガラガラと崩壊してしまいます。つまり、これらの諸前提は、それほど重要なものなのです。 そこで、新古典派の経済学者はそれを守ろうとして必死に努力します。 あるときは批判を無視します。そして、批判される心配がないところ(おとなしい学生のいる教室、批判者のいないマスコミ、教科書の中など)では、その見解を主張します。 また例えば西村和雄氏のように、「新古典派を捨てたら、経済学は科学でなくなる」と言う人もいます。(『複雑系入門』、NTT出版、1998年) しかし、彼の言う「科学」とは一体なんでしょうか? 実は、そのことを理解するためには次のような歴史を知る必要があります。 その昔、経済学は political economyと

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    経済学者がそれにあこがれをいだき、生産量、価格、所得、労働量、資本などの諸量の関係を数学的に取り扱いたいと熱望したふしがあります。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 3 収穫法則の誤り

    規模に関する収穫逓減の間違い 「規模に関する収穫逓減」が間違いであることは、1920年代のイギリスではじめて明らかにされました。それ以来現在に至るまで、米国や日で行われた企業調査によって同じことが再三確認されてきました。 その前に「規模に関する収穫逓減」とは何かを説明します。 もの(財・サービス)を生産(産出)するとき、ものの投入が必要となることは言うまでもありません。また労働力の投入も必要となります。もちろん、これらの投入には費用がかかります。そして普通は産出量の増加とともに費用も増加します。この費用はどのように増加するのでしょうか? まず産出するには、産出量がゼロでも必要な固定費が必要となります。ここでは簡単のため機械・設備(資装備)の費用と考えておきます。次に産出量に比例的に増えてゆく費用、すなわち原材料費・燃料費や人件費(賃金コスト)があります。 ここで重要となるのは、産出量が

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    新古典派の想定するような事態(収穫逓減、費用逓増)は、企業が生産能力を超えて生産を行おうとする場合に生じますが、そのような事態はきわめて例外的であり、新古典派でさえ想定するところではありません。
  • 社会科学の裸の王様・経済学 2 富裕者に奉仕する原理

    経済学者は、自分たちの考えや理論を「科学的」であり、「価値自由」だと宣伝してきました。しかし、事実はまったく異なります。ここで「価値自由」というのは、19世紀末〜20世紀初頭のドイツを代表する社会科学者マックス・ヴェーバーの言葉であり、各人の持つ価値(目標、目的、理想、理念、倫理感)にかかわりなく客観的な妥当性を有することをいいます。 しかし、経済学、特に米国の主流派、つまり新古典派(新古典派総合、ニューケインジアンを含む)は「科学」と言える状態からはほど遠く、「価値自由」でもありません。以下では、そのことを示してゆきたいと思います。 むしろ、それは著しくイデオロギー的であり、その結論は、ほとんどいつも、富裕者、地主、ボス、資家、経営者の耳に心地よく響くものばかりです。 残念ながら、このことは私の独創的発見ではありません。優れた先人たちが見抜いています。 まずは昔のロシア経済学者、クロ

    gruza03
    gruza03 2014/01/13
    新古典派にとってケインズは憎い敵であり、それゆえしばしば新古典派による「ケインズ殺し」(ケインズは死んだ!)が行われてきました。彼らのほとんどは、ケインズなど読んだこともない人たちです。