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こころとblogに関するhalca-kaukanaのブックマーク (38)

  • 心の栄養になるものは、ゆっくり味わって食べたい。 - Talk to Your Heart

    同じメニューでも、せかせかと口を動かしてべたときより、ゆっくり味わってべたときのほうが美味しく感じられるものです。 せっかく美味しいご飯をべているのに、味わう間も無く、次を口に入れるのはなんだかとてももったいないですよね。 べ物の話なら自然とそう思えても、私たちは、心の栄養になる「ポジティブな感情」に対して、そういう扱いをしていることが多いような気がします。 ポジティブな感情は、心に落ち着きをもたらし、視野を広げ、他者への思いやりの源となり、明るい展望を描き、それに向かって行動する活力を与えてくれます。 しかし、ポジティブな感情をもたらす事柄と、ネガティブな感情をもたらす事柄が同時にあると、私たちの能は危険に備えようとするため、ネガティブな感情をもたらす事柄のほうに注意が惹きつけられてしまいます。 大好きな恋人と一緒にいても、些細なことがきっかけで、その人と別れることになるのでは

    心の栄養になるものは、ゆっくり味わって食べたい。 - Talk to Your Heart
  • 誰にも読まれなくても文章を書く - phaの日記

    もう20年くらい、ずっと文章を書いている。最初は趣味で、ウェブ上の日記に思ったことを書いたりしていただけで、読むのは知り合いくらいだったのだけど、いつの間にか顔も知らない人に読まれることが増えて、書くことでお金をもらうようにもなった。 だけど、文章を誰かに褒められたり、文章でお金をもらえたりするとうれしいのはうれしいけれど、それはあくまで二次的なものだという意識がある。 僕が文章を書くのは自分のためだ。自分が何かを考えたいから書くし、自分が何かに納得したいから書く。書かないといつまでも同じところを堂々巡りしてしまうけれど、書くと思考や人生が前に進むような気がする。 生物というものがべ物を摂取して排泄するように、自分にとって何かを読んで何かを書くことは、生きることと一体化しているような感じがある。 いや、もっと大きい理由は、書くことに圧倒的な快楽があるからだ。どんな快楽よりも文章を書くこと

    誰にも読まれなくても文章を書く - phaの日記
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2020/05/13
    ブログを書いて15年も経っていた。手書きの日記帳は25年ほど。誰も読んでいないから続けられているのかも。「それは僕が面白いんじゃなくて世界が面白いんだから、当たり前」
  • ただ居られるだけの場所をつくる。|岩間 洋介|moicafe.com

    便利なのでつい使ってしまいがちだが、言うまでもなく「居場所」という場所があるわけではない。それは話をわかりやすくするための、まあ、符丁のようなものといっていい。 居ることで、そこははじめて居場所になる。 居場所をつくるということは、人が行きたいと思い、そこに居たいと感じ、実際に何をするわけでなくただ居られる場所を用意するとともに、そこが「居場所」になるまで耕し続ける不断の営みのことをいう。要するに、ただ場所を確保しさえすればよいという話ではなく、空気のようなものを育ててゆくことだと考える。カフェをやってきた自分のような人間が、こうした居場所づくりに適任だと思うのはそうした理由からである。 とりわけ、いま僕らがやっている「喫茶ひとりじかん」というプロジェクトの場合、家にこもりがちであったり、団体行動が苦手、あるいはしばし一人になれる場所が欲しいといった人たちに、一人で居られる自由と、でも独り

    ただ居られるだけの場所をつくる。|岩間 洋介|moicafe.com
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2019/10/17
    落ち込んでいる、元気がないけれど一人でいるのは寂しい。でも積極的に話しかけられるのは困る。人の気配はあるけどひとりにさせてくれるカフェに行くとほっとする。
  • よめことここの日記: 加藤和彦さんと、ちゃんと応援すること

    加藤和彦さんと、ちゃんと応援すること 先日、加藤和彦さんが亡くなられ、遺書の一部を読み、 さらにさとなおさんのブログを読んで、今日は「応援する」ということが頭から離れません。 加藤さんの遺書のなかに、こんな言葉があったそうです。 一生懸命音楽をやってきたが、音楽そのものが世の中に必要なものなのか、 自分がやってきたことが当に必要なのか疑問を感じた。 加藤さんのことは特別ファンというわけでもなく、 「フォークルの人だよね…」と知識として知っているレベルでしかないけれど、 二十歳過ぎのころ、この先どんな風に働きたいのか見えなくて 大学に泊まり込んで課題にとりくむ夜中、缶コーヒーを買いにキャンパス内を歩いているとき よく口ずさんでいたのが加藤さん作曲の「悲しくてやりきれない」でした。 私にはこの歌が支えだった時期が確かにある。 だから、今更だけど「あなたのやってきたことは必要だっ

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2009/10/20
    「ブログを書くことも、応援を言葉にする行為の一つかもしれない。 時々なんでブログ続けてるんだろう?と思うことがあるけど、 自分が見聞きして、素敵だと思ったものを、ただ応援したいのかもしれない。」
  • ブログの文章、見えない部分。 - もっこもこっ

    先日、ベランダから行きかう車や立ち並ぶマンションを見ていた。ひたすら見ていた。車の中にも立ち並ぶマンションの中にも人は住んでいて、車の場合人が運転していたりして、ああ、そうかー、人の数だけ人生ってあるんだよなーと思ったりした。 そして、見えないけれど人の数だけ内面世界というのは存在していて、その内面世界というのは、その人を取り囲む外の世界と同じくらいに広く深いものなんだろうなと思った。人の内面世界は書いたりしゃべったりといった行為で外側に明らかにされ、つまりはそうすることによって他人は触れることができる。「言葉で表現すること」それは「他の人が触れること」を可能にする。言葉によって人は触れ合える。コミュニケーションのはじまりは多くの場合挨拶であり、言葉を交わすことからはじまる。自分が発した言葉に他人が触れ、また他人の発した言葉に触れて言葉を返すこと、それがコミュニケーションなのかなと思う。し

    ブログの文章、見えない部分。 - もっこもこっ
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/06/27
    見えなくなった部分は決して無駄ではなくて、文章の行間を読むような、考えさせてくれる余裕のようなものを感じます。
  • suVeneのあれ: 「感覚」と「理屈」

    2008年02月26日 「感覚」と「理屈」 「感覚」と「理屈」が、かけ離れているということは、よくあることだと思う。理屈の上では、「A という手段が合理的」だとわかっていても、自分の「実感」からその方法を取れない場合などだ。 少しわかりにくいかもしれないので、具体例を挙げると、 (感覚)コミュニケーションに対して、「上手くいきっこない」と悲観的である。 → (理屈)上手くいくかどうかは、やってみなければわからない。 (感覚)過去の行動に対して、執着して考え込んでしまう → (理屈)済んだことは取り返しようがないので、重要なのは「過去の失敗に対して、どういう行動を起こすか」である。 などというような、「理屈の上ではわかっているが、実感としてそうでない」場合などだ。 (例に挙げたのは、「ネガティブ」な実感に反する理屈であるが、逆のパターンもあるかもしれない) このような、「感覚」と「理屈」の齟

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/03/18
    「齟齬を責められること恐れて表現しない表現者が増えるのは、個人的には寂しいことだから。」内面を吐露することが怖いと感じることが時々ある。こういう理由もあったのか…自分でも気が付いていなかった。
  • 楽しいことすら億劫に感じてしまう - 遥か彼方の彼方から

    戯言こんな記事を書く事からもわかるかもしれませんが、僕はブログを書くのが大好きです。自分の考えていたことを文章化すること、そしてそれに対して色々な反応をもらえたりもらえなかったり*1することが楽しくて仕方がないです。ネットが楽しい理由は動画を見ることだとかゲームを見ることだとか記事を読むことだとか色々ありますけど、やっぱりブログをやっているからというのが一番大きい。特に、ブログをきっかけに人脈が広がるのって素敵ですよね。ブログとはMMORPGだ、なんて記事を書きたくなってしまうほどです。*2 でも、毎日書こうと思うと正直きびしいものがあります。ネタはある。もう書ききれないほどに。面白いもの個性的なものと条件を厳しくすると途端に書けなくなりますが、こだわらなければずっと書いていられるほどにネタが溢れてます。というか、ネタ元となる他の方の記事が増えて居るんですから当然ですよね。 ネタはあるけど

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/02/23
    わかる。書きたいことがあっても、まとまらない・まとめようとしなくて結局書かなかったことが何度も。忙しくても、時間が無くても好きなことに労力を惜しまない人…私も尊敬します。
  • 自分の書いた文で誰かが傷つくことは辛いけど - うどんこ天気

    ブログで文を書くけれど、その内容が誰かの気に障ったからと言って削除はしない。*1世の中全ての人に好かれるのは無理だ。私は、出来れば人に嫌われたくないし、好かれたほうが嬉しい。いや、好かれたい方だと思う。誰かを傷つけてまで生きていたくない、とは思っていた。「お前が」「お前の文が嫌いだ」「お前の存在が嫌だ、辛い」と言われると、とても辛い。自分に自信がないから、好かれていないと、そこに居ていいかすぐ不安になっていた。また、どこか行け、と言われたらそうしがちだった。今でもそう言うところは多少ある。今まで、そうやって嫌われたり好かれていないと思ったら、違うところに逃げた。でもそれでは、いつまでたっても、どこまでも逃げなくてはいけない。嫉妬されて身を隠して、間違いを正したら疎まれて、利用されるのが嫌で拒否したら言いふらされる。どこまでも逃げなくてはいけなくなる。どこまでも。へらへら笑うのはもう嫌。好か

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/01/28
    誰にでも好かれる、受け入れられるなんて無理。一方、誰かを傷つけたからと言ってすぐに自分の主張を曲げてしまうのもどうかと思う。譲歩できる部分と譲れない部分があるってことを、皆が理解する必要はあると思う
  • 柔らかな頭と心 - こころの風景

    自分とは違う発想や考え方をする人が書いたものを読むと、「目からウロコ」だったり「ガツンと一発殴られて」目が覚めたり、目の前が開けたりすることがあります。ブログについて言えば、「読む=インプット」では、自分の考えの裏付をしてくれそうな記事ばかりを選んでしまい勝ち。「書く=アウトプット」でも、おおかたは記事に対する同意・共感の「そーだそーだ」と、中には「ヨイショ」のコメント。それだけを読んで満足していては(もちろんうれしいですが)、他の立場や社会を見るきっかけは失われて、見方や考え方が狭くなってしまいます。 私は自由に生きたいから、固定観念や自ら築いた信念からも自由でいたいと思います。常に「柔らか頭」でいたいものです。 ところが「頭」は柔らかにしていることはできても、困難なのは「感情」からも解放されることです。「その考え方は嫌い、肌に合わない」と、生理的な感情で拒絶してしまうようなことは往々に

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/01/24
    感情にカチンとくるものがあるからこそ、自分の足りないものとか、見落としているものなんかがそこにあるんじゃないかと思う。
  • あの人ともっと話そう。それよりもっと話を聞こう。 - Attribute=51

    難しい話は嫌いじゃないんだけど、 あんまりやりすぎると頭でっかちになっちゃうのん。 だからなるべくシンプルにいきたい。 てことで、最近の反動みたいなエントリー。 1人で 「どういうふうに生きるのが幸せか」とか 「人生ってこうだ」とか 「オレの性格はここが問題なんだ」とか いろいろ考えて煮詰めて答えを出すのって確かに楽しいところがある。 けれどもね、それが、さも尊いことのようになっちゃ良くないと思うんです。 たくさんのブログを読んだりを読んだりして、多くの意見に触れたり、 ブログで自分の考えを発表して、コメントもらって、また書いて、ってのも もちろんとてもとても素晴らしいことなんですけど、 なんかそれで 「自分はいろんなことについて考え、自分なりに答えを出している」って思ってたりしたら、赤信号だと思うんです。 基は人と 何が言いたいって、自分の中でうんうん考えながら答えをひねり出すこと、

    あの人ともっと話そう。それよりもっと話を聞こう。 - Attribute=51
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/12/02
    「人と触れ合うことを楽しもうぜ、って感じかなぁ。」
  • 完璧に分かり合うことはありえないけど分かり合うためには - 北の大地から送る物欲日記

    「私の見ているあなたは、あなたではない何か - 深く考えないで捨てるように書く」を読んで。 ネットでもリアルでも、たくさんの自分ではない他人と接しているわけですが、他人がどういう人なのかという自分の捉え方がリアルでは修正しやすいがネットではそうではないかも、という記事。 こういう感覚は確かにあります。ある他人がどういう人か?ってのは、自分が感じたその人の印象ってのが自分の中にあって、その人とのさまざまなやり取りによってそれは修正されつつ構築されていくのが、リアルだと情報量が多いので修正しやすいが、ネットだとどうしても文字中心になりがちで修正が効き難いという。 文字だけのやりとりが多いブログなどでは、書いたエントリひとつひとつが独立して読まれることが多いですから、書いた人である私が意図していない内容として読まれることが多々あります。基的に人は「自分の読みたいように読む」という習性がありま

    完璧に分かり合うことはありえないけど分かり合うためには - 北の大地から送る物欲日記
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/12/02
    「なるべく分かり合いたいと思ったらやりとり・修正を続けていくしかない。一方的に自分の主張をぶつけるだけではなかなか近づけません。」ブログ記事を書いているだけじゃ一方通行。コメント・TB等を使ってこそ。
  • トラックバック、もらってます。 - ちゃずけのはてなにっき

    たとえば「女であるのは不幸だ」という考えがあって、それがもし正しいことであれば確かに女は全員不幸なんだろうが、 「私は女であるから決定的に不幸だ」とずっと繰り返すよりは 「だからどーした」と開き直って、別の「楽しみ」を見つける人が私は好きだ。 あるいは「女やめます!」と整形に走るとかね、自分はしないし、いいことかどうかはわからないけどそれも一つの解決方法かな。 「女やめます!」で整形に走るとしたら、それは世間一般の押しつけられた「価値観」にどこまでもこだわっていく、ということで なんで、自分が作ったわけではない「価値観」をそんなに大事にするのかなあ、と不思議ではあるものの、 どうしても自分が「女」であることに違和感がある、っていうのは私にはよくわからんのでそれもありなのか。 それはともかく、「女である私は不幸だ」と言い続けて女でなくなることは決してないので、 それよりは「女」であることで多

    トラックバック、もらってます。 - ちゃずけのはてなにっき
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/11/19
    「確かに「メリット」はあるだろうけど、「「メリット」を受け入れたときにもう「デメリット」も否応なく受けとるようになっているんで、押しつけられた「不幸」と同じ、逃げようのないものでもあるんだよね。」
  • ブログを書くことについて - 忘れ去られるべき日々について

    ここでブログを書くことに決めて、新しく住む場所にはどんなブログがあるのだろうと、色々見て回った。大変恐縮なのだが、どうも読みたいと思わせてくれるようなブログにはなかなかめぐり会えなかった。きっとそう思わせる理由というのは、文章力でもなく、テクニックでもなく、いわんやその人の魅力が足りないからではない。書かれた文章の向こうには読者がいるという意識が欠けているからではないかと感じられた。ブログというシステムの利用することで対読者という意識が欠けやすいのかもしれない。もちろんブログなんてその人の自由で構わないし、それに対してとやかく文句を言うつもりはない。ただ、ぼくはつまらない日記であろうと、風景であろうと、情報であろうと、人生であろうと、相手に届く言葉で書きたい。それはぼくのことをたくさんの人に知ってもらいたいとか、注目されたいとか、そういう気持ちともいささか違う。自分は美文家ではないけれども

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/11/16
    「読まれるという緊張感」私も失わずにいたい。PC画面に向かっていても読者は見えないけど、きっと誰かは読んでいる。その人に言葉・感情・伝えたいことが伝わっているかどうか。独りよがりにならないように。
  • 本の感想にスターやブクマがつくのが一番嬉しい - ブログというか倉庫

    うん、タイトルの通り 妄想とか脊髄反射垂れ流しの「雑記」とか、データとは言えないようなデータを元に書かれた「まとめ」にスターやらブクマがつくのより、の感想にスターやブクマがつく方が嬉しいんですよ。妙に。 自分の中で その理由がはっきりしている訳ではないんだけど、多分・・・「雑記」や「まとめ」は読者から「何か(大抵は知識)をもらう事」が多いように感じるけど、「感想」を書いたエントリにブクマについていたり、スターがついていたりすると「何かをあげる事が出来たかも」って気がするんですね。 特に嬉しいのは やっぱり自分で高い評価を付けた作品につくスターやブクマですね。 「いつか買う」とかのタグがついていたりするとかなり嬉しい。作品を読んで、自分の感じた楽しさのほんの少しでも人に伝えられたと感じるからだと思う。 このブログが 私的記録の域を出ていないというのは良く言っている事だけど、それでも公開して

    本の感想にスターやブクマがつくのが一番嬉しい - ブログというか倉庫
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    halca-kaukana 2007/10/31
    「作品を読んで、自分の感じた楽しさのほんの少しでも人に伝えられたと感じるからだと思う」面白かったものは「面白かった」と言いたい。その声が誰かに届くのも嬉しいが、その声が形になっているのが嬉しい。
  • 過去ログに目を通しながら - いまここにいる自分を感じるとき - 余暇の記録

    ふとしたことがきっかけで、自分の日記の過去ログに目を通したとき。 あてどもなく湧きあがってきた思いを、忘れないうちに書き留めておきたいと思います。 肯定できる自分 まず飛び込んでくるのは、遠くからでもそれとわかる「熱さ、一途さ」を漂わせる記事。 誇らしげに大仰な言葉を並べた文章を読んで、そのとき確かに味わった興奮を呼び覚ます。 今の自分に同じことができるだろうか? 眩しく見える過去の自分に、ちょっとだけ嫉妬してみたくなるとき。 青さと黒さとたどたどしさと とはいえ、過去ログがきれいな思い出ばかりで彩られているわけではない。 気づかないうちににじみ出ている自分の「青さ」そして「黒さ」。 「何が言いたいんだこれは」。 思いついたことをただ書き殴っただけのまとまりのない文章に、体中がむずがゆくなって居ても立ってもいられなくなる。 「なんだこれは」。 ざらついた感情が露わに覗く文章に、最後まで目を

    過去ログに目を通しながら - いまここにいる自分を感じるとき - 余暇の記録
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/10/27
    過去ログが教えてくれる色々なこと。青くても黒くても今に繋がる自分自身。だから過去ログは基本的に消しません。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/10/23
    「今までその人が培ってきた労力に目を向けないで,今ある地位や結果の部分だけでその人を判断して,“この人はすごい人”っていう,ラベルを貼っているだけなんじゃないのかって」そうだね、自分も相手も傷つける…
  • 冷静になったら負けかなと思ってる - ブログというか倉庫

    ラブレターを書いた事があるだろうか? うん、恋する相手に自分の思いを伝えるあの「ラブレター」です。 俺も書いた事があるような気もする。いや、無かったか? まあこの際それはどっちでもいいや。 で、誰かの助言だったか格言だったか忘れたけど「夜書いたラブレターは翌朝に読みなおせ」ってどこかで聞いた事がある。で、言われた通り実際に朝になって読み返すと、自分で読んでいてもの凄く恥ずかしい事が書いてあって、 「昨晩の自分の頭はおかしかったんと違うかー!?」 と思ったりする。 で、いきなり昨晩書いたラブレターを破り捨て、昨晩の自分に一人で勝手に赤面し、まあ大抵の場合無かった事にするんじゃなかろうかな〜なんて思ったりする。でもまあ、最近はラブレターもメールだから送っちゃった後に、 「うわぁー! もう送っちまったー!」 ってなる事が多い様な気もする。 もしその赤面ラブレターの結果付き合い出したとしても事ある

    冷静になったら負けかなと思ってる - ブログというか倉庫
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/10/15
    私も後から削除したいと思った記事はいくつも。それでも、その時の自分の感情・考え・哲学・息吹がない記事もつまらないなと思う。たどり着くところはライブ感のあるブログ・文章なんだろう。
  • まんじゅう怖いwww

    好き勝手に書き散らかしているこんなサイトでも、ニュースサイトで紹介されたり、はてなブックマークの注目エントリに入ったりすることがときどきある。 1日6hit以下の零細サイトが、「私信の多いニュースサイト」を書いたときはアクセス数が普段の100倍以上になったこともあった。すぐ元に戻ったがな'`,、('∀`) '`,、 そのようなとき、(賛否含めて)記事を紹介してくれた人や、読んでくれた人に対してありがたさを感じる反面、ある種の怖さも感じるのだ。 はじめてサイトを作ったときは、「どうせ誰も見に来やしないから好きなこと書こうぜ」というスタンスで好き勝手なことを書いていた。 誰も見に来ないならなぜ書いたのか?それは単純に「書きたかったから」だ。 ウェブにアップロードする時点で、「自分の書いたもので注目を集めたい」という気持ちが多少なりともあるのは間違いない。しかし、それ以上に、「書きたい

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/10/14
    見ている人が少なければ人の目を気にすることは無いけど、多くの人が見ているとわかった瞬間、人の目を気にせずにはいられない。それなのかも。
  • アマチュア意識 - 304 Not Modified

    個人ニュースサイトの公平性 萌え理論Blog - アマチュアブロガーとプロブロガー 有名税ってわけじゃないけれど。 情報を発信していると、その読者の中にごくわずかだけれど発信者が望まない読者がでてきてしまうってのは、仕方の無いことだと思うんだ。だから、読者が100人の頃はいなかった人が、1,000に増えたときに出てきてしまうのはどうしようもないと思う。これはもう確率の問題なんだから。 それでも、ニュースサイトに公平性を求めるなんておかしいよね。 ブロガーにプロ意識を求めようとするのもおかしいと思う。 だって、みんな好きでやっているんだから。 もちろん、気でやっている人もいて、好きでやっている人もいて、それが同じ舞台で横一線で評価をもらえる場としてのブログなんだから、プロと同じように評価されるべきだって考えも分からなくない。でも、私にはそんな気はないよって人がほとんどだと思う。そしてそんな

    アマチュア意識 - 304 Not Modified
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/09/05
    「プロにプロ意識があるように、アマチュアにだってアマチュアなりの意識があるのさ。自由に、好きに、そして楽しくやりたい。これだけは、プロにだって負けたくないんだ。」
  • 「ネット上の嫌いな人」との付き合いかた:ekken

    誰だって一人や二人、どうしてもウマの合わない嫌いな人がいるものさ、にんげんだもの 。 正直、僕も嫌いなブロガーが何人もいたりするわけですが、そのほとんどが「嫌い」という理由だけですべての関わりを絶つのはもったいない人である、と考えています。 ですから、RSSリーダーに登録して積極的に読む、ということはしないものの、(ネット上の)知人が言及していたり、はてなブックマークの「お気に入り」で見かけた時は、極力「嫌いな奴の文章」という先入観を排除して読むことが多いですね。 そうすることで、それまで気づかなかった相手の良い所や、自分との共通点を見出させることも、決して珍しいことではありませんし、場合によっては共感を覚えることもあったりします。 それでもやっぱり「こんな奴とは絶対に分かり合えない、存在自体が許せない」という人もいるかもしれません。 どんなに相手がすばらしい記事を書いていようとも、全てを

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/06/17
    嫌いだけど、嫌いと切り捨てられないことが良くある。私も「「嫌い」だけを理由に、その人を遮断してしまうのはもったいない」と心のどこかで思っているからだろうか…