作家、司馬遼太郎の描く『関ヶ原』のクライマックスはこんな書き出しで始まる。 「天がようやく白みそめたが、雨気はなお盆地に深く、霧が満ち、人馬が影絵のようにうごいている。その時刻、東軍一番隊の福島正則六千の兵が盆地のほぼ中央にすすみ…」 慶長5年9月15日午前7時、徳川家康率いる東軍の布陣が終わった。いよいよ、石田三成率いる西軍との関ヶ原の合戦が始まる緊張の一瞬だ。この東西あわせて10万人以上の兵力が対峙(たいじ)する天下分け目の戦いを、米陸軍のクレイグ・アゲナ大佐(53)から聞くことになるとは思わなかった。 「その朝、関ヶ原には霧が立ちこめていた。石田三成がいま、何を考えているか。段階的に午後4時まで、私たちは現地でいろんなポジションをとって戦いの原則に基づいて分析しました」 在日米軍が関ヶ原の合戦を、現地で再現しながら研究をしていたのは意外である。アゲナ大佐はもう20年も前、当時の神奈川