女性の生きづらさに目を向けることと、男性の生きづらさに目を向けることは、相反する価値観ではないはずです。
小沢健二。アルバム。 小沢健二については、信者と言ってもいいような大ファンを自認していることもあり、とても言いにくいのだけれど、今回のアルバム、この感じにはあまり乗れないな、というのが正直なところ。大好きなのは変わらないけれど、なんていうか今回は、俺にはちょっとキレイすぎる。まともすぎる。前向きすぎる。 いやそりゃさ、「今ここにあるこの暮らしこそが宇宙」だと思うよ、俺も。 なんて素敵なんだろうと、なんて奇跡なんだろうと思うよ、俺も。 論理的に考えれば、そうでしかあり得んよ。 そりゃそうだよ。 でもさあ、その「暮らし」って、どんな暮らしなんだろね? 「今ここにあるこの暮らしではすべてが起こる」 なんて言うけどさ、ここで言うその「暮らし」には、別にキレイでもステキでも前向きでもない、どってことない俺の「暮らし」は、含まれてるのかね? やらなきゃいけないとわかってることをダラダラと先延ばしにして
昔から不思議でならなかった。 一体、世の中のおっさんは、何が楽しくて生きているのか、さっぱりわからなかった。 よく考えると、若い頃は、まあまあはっきりと自分が若いということを自覚していて、若いあいだにしか楽しめないことがあるとわかっていた気がする。 激しい恋愛とか、長期の旅行とか、遅くまで飲み歩くとか、朝まで踊るとか、徹夜で文章を書いて昼まで寝るとか、例えばそういうことだ。 だから昔から40代になったら人生は終わりだなと思っていて、実際に自分の周りの40代の男性というのは本当に大変そうで、そしてつまらなさそうだった。 実際にぼくは40代を目前にして、これからの人生に全然期待が持てなくて、生きる意味を見失っていた時期があった。 家庭に給料を持ち帰るだけのATMと化して、仕事では若手に活躍の場を追われ、出世競争に負けて生きる屍となり、なんの生産性もない趣味や遊びに逃げ、命の残り時間がただ減って
正体のわかっているものだけでカレーを作りたい。 常にそう思っている。このことは、レシピエッセイ「わたしだけのおいしいカレーを作るために」の中でも力説していることだ。カレーに使う材料を手に入れるとき、すべて原材料表示を確認し、そこに正体のわからない文字が書いてあったら使わない。 トマトケチャップに「トマト、糖類(砂糖・ぶどう糖果糖液糖、ぶどう糖)、醸造酢、食塩、たまねぎ、香辛料」とあったら、“ぶどう糖”が正体不明。ブイヨンの素に「乳糖、食塩、鶏肉、食用油脂、チキンエキス、酵母エキス、デキストリン、チキンファット、たまねぎ、しょうゆ、香辛料、調味料(アミノ酸等)、カラメル色素、酸味料、(小麦を原材料の一部に含む)」とあったら、ほとんどが正体不明。だから、どちらもカレーには使わない。 こういう具合で食材と向き合っていると、最も遠い存在が、“味の素”なんですね。味の素に「味の素(アミノ酸等)」とあ
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