年賀状を出しますか?
ごめんなさい。smashmediaのブログは削除されました。 10年に渡り、あちらこちらに書き連ねてきましたが、ご愛読いただきほんとうにありがとうございました。またリンクしてくださった方にも、心からお礼申し上げます。 以下、少し駄文を書きます。 ブログには「パーマリンク」という基本的な考え方があり、すべての発言や記事は半永久的に固定されたURLによって公開され、未来におけるアクセス権(閲覧可能性)を担保するという、じつに素敵なコンセプトなのですが、一方で古い情報が永遠に残り続けてしまうという弊害も生んでいます。 ブログというものが「ストック」であるならば、そこに書かれた内容に対して、書き手であるブログ運営者は責任をもつべきで、自らの考え方が変われば内容を更新し、状況や情報が変われば現在にあわせて修正すべきです。 でも現実問題として、そこまでさかのぼって更新や修正をできるほうが稀で、結果とし
クレーマー素質の高い人にありがちなのだけど、自分の要望を他人のブログのコメント欄などで伝える際に、自分を相手よりも高い位置に置きたがるようだ。そして自分の要望は、それを伝え次第、即叶えられるものだと勘違いしている人が多い。 相手が自分と同じ一般のブロガーだった場合、相手が自分と同じように常にパソコンの前に座っているはずも無いだろうし、相手がブログサービスサイドの場合、彼が対応しなければならないクレーマーは、あなた一人ではない。 Comments: 4 #3470 たこぽん URL 2007-12-03 Mon 02:31 >自分を相手よりも高い位置に置きたがる 「高圧的な態度で要求すれば言うことを聞くだろう」と思っていて、それなりの成果を上げてきた人なのかもしれません。 強気で攻めれば、たいていの人間は怖がって(または、トラブル回避のために)こちらの命令に従うものだ、と。 でわでわ。 #3
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
私のような、というのは従来メディアで広告の仕事をしてる人とか、広告制作に従事している人とか、マーケティングやコンサルタントをしている人とか、出版関係とか、です。私に限らず、そういう人がブログを持っていることは多いと思うけれど、そういう人の多くはmixiに行っているんじゃないかな、と。業界の交流とか、似ている業界の交流という意味では、mixiに代表されるSNSのほうが有利なような気もしないではないです。ある程度は場が閉じられるので、話される話題も限定されるし、ある意味では密度が濃いとも言えますし。 では、SNSではなくて、ブログの良さってなんだろうと考えると、やっぱり閉じられていないウェブという場所でブログという「個人メディア」を持てるっていうところかな、と思います。それは、デメリットもあるし、別にブログの啓蒙もするつもりも義理もないから、これはあくまで個人のつぶやきですが、私にとっては、「
ということをちょこちょこと思った。たとえばその状況というのが倫理的観点から鑑みて間違っているとしても、それが当人同士の間でよしとして共有されていてかつ自分に何もないのであればどうでもいいことだと私はおもう。私にとってはどうでもいい、という風には思う。そのよし、としている関係が無言のうちに私のほうまで広がってきて、そうであるべきといわれない限りは私は何も言わないしなにも関わらない。ただつらそうにしてたらそうじゃなくてもいいんじゃないかなとは言うかもしれない。 だけど、そのひとのかわりにおまえが間違ってるそれは悪いという風に言ったりはしないよ。関係ないところで自分が当事者であるかのようにかたったりはしないよ。理由はいくつかあるけど、そもそも私はそんなに頭がよくないから自分に関係ないことまではよくわからない。その人がよし、としているのであれば、それでいいというのであればどうしようもないと思ってい
http://anond.hatelabo.jp/20071201215547の続き。 月曜日。例のはてなーが出社してきた。私服で。 しかもミリタリー。ipod聞きながら。 確かにうちの会社は、外出する時だけスーツに着替えれば、あとは私服でも構わない。 ただ、しょっぱなからというのはどうなんだろう。 まぁ、いいか。 は「おはようございます」 俺「ああ、おはよう。今日からよろしく」 は「はーい。あれ、他に誰もいないんですか?」 俺「あ、うん。まだ朝早いからね。とりあえずここ、君の席ね。で、これが君のパソコン」 は「はい。ええと、これ、壁紙とかカスタマイズしていいすか」 俺「ああ、別にいいよ。その前に自分の情報入れてね」 は「あと、janeとかオペラとか入れていいすか。janeはこれから調査に使うようになると思うんですよね」 俺「君のパソコンだからね、やりやすい環境にするといいよ」 は「ですよ
先週、はてなーが会社の面接に来た。 特技は何ですかと聞いたら「ネットです」と答えていた。 よく見るサイトは何かと聞かれ、「はてなダイアリーと痛いニュースです」と答えていた。 しかも誇らしげに。 特にサイトを作ったり、コーディングができたりするわけではないらしい。 つまり、サイト閲覧が得意と言いたいらしい。 それは特技ではない。趣味だ。 他に何かお勧めのサイトはあるかと聞いたら、「ハムろぐとへいわぼけです」と答えていた。 他にも2ちゃんねる系のまとめサイトをよく見るらしい。でも、2ちゃんねるはまったく見ないらしい。あくまでまとめサイトのみ。 ニコニコ動画はたまにみるが、探すのが面倒なのであまりみないらしい。動ナビは見てるらしい。 それでも、自分には人一倍ネットリテラシーが自分にはあるので、弊社(ママ)が自分を雇って損はないとPRされた。 一流大学を出ながら、この時期に内定を取れていない理由が
ブログにはたいていの場合コメント欄がついていて、エントリに対してのコメントを書き込むことができます。それについて、ブログを書いてる側として思うことを。 コメント欄の使われ方と対応 基本的に全てのコメントは必ず読んでいて、自分の中では以下のように分類しています。 エントリに対する感想 ありがたく読ませてもらいます。なるべく返事を返したいのが本音ですが、全ての感想に返信するのは保障できません。「全ての感想を同列に扱いたい、そして全部に返信できないから返信しない」というサイトもあって、それも一理あるな、と思うけど、返せる分だけでも返信したいって気持ちの方が大きいので、できる限り返信しています。 反論・意見の表明(エントリに関連したもの) ありがたく読ませてもらいます。ただ、誹謗中傷と取れる表現だったり、私に向けてではなく違う方向に向けて書いてるな、と感じた場合にはスルーする率が高くなります。誤解
昨日送られてきた著作権料請求メッセージが本人を偽ったスパムメッセージだったみたいで…人間不信に陥りそうです…。 「はてなのRSSを表示したら、著作権料の支払いを求められました」で公開した、著作権請求のメッセージ内容。もちろん、メッセージ本文を公開するか、はてなIDを明かすかは迷いました。ただ、「相手はやましい考えなど無く、相手なりの権利を主張していること」、「12月4日までという短い期限の中で結論を出し、メッセージを送り返さなければ著作権の支払いで問題が起きてしまうこと」から、公開することにしました。はてなのサポートは土日休みなので、問い合わせても返答が戻ってくるかもわかりませんでした。正直、最悪「はてブコメント最新情報」の閉鎖も考えていました。 I11さんが付けたブックマークコメント そんな悩みの中でI11さんが付けたブックマークコメントはこちら。 ヤラレタ。誰かあたしのふりしてスパムメ
表現することと表現しないこと - 毬藻ん?ブクマ※で感覚以上がわからないとか、実例希望とか出てたんでなんかちょっと追記する。表現しないことの重要性に思い至ったきっかけはこれ↓痛いニュース(ノ∀`):精神分裂病患者の絵はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):精神分裂病患者の絵元記事を読んで私は地雷 *1 を踏んだ。いろんな人のブクマコメントを見れば分かるんだけど、これを「アートのひとつの形」と捉えたり、自分とは異なるものとして捉えているようなコメントがほとんどなんだけど、私にとってはこれらの絵はわりと地雷だったんだよね。こういう反応の違いが、我と彼の違いをはかる上で重要になるように思った。己とは異なる人と対峙するとき、その人が何かを感じないこと、何かを感じないから表現をしないこと、何かを感じたとしても表現をしないこと、っていういろいろなパターンが考えられるし、言葉や分かりやすい表現で
■ブクマのプライベートモードのはなし 私はここでなんとなく文章垂れ流してるだけなんだけど、ブクマコメントを眺めたときに「あ」と思うことが実はよくあって。文章に表れているのに書いた本人は全然気づいていない己の心性がブクマコメントを触媒として一気に像を結ぶことがあったりするのでブクマコメントっておもしろいし同時に恐ろしいとも思う。 私は自分の中に起こるそういう現象をどこか楽しんでいる部分があるので、プライベートモードでのブクマを見かけるとほんのり複雑な気持ちになる。その人が何を私に放り投げてくるのかを知ったとき、どういう像が見えてくるのだろうか、その人はいったい私の中に何を見てこっそりブクマしたのか気になってしょうがない(なんという自意識過剰!
「自己表現のプラットフォームは移り変わる:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan」を読んで。 ブログなんて、しょせんはひとつの表現コンテナー(メディア)に過ぎない。Web2.0の時代において最も大切なのはコンテナーではなく、コンテンツそのものだ。オピニオンや感情を外部に表出したいと思い、それを実行に移すというその行為こそに意味がある。 今ではブログをメインの情報発信場所として利用しているが、自分のネットでの情報発信について元々を思い起こしてみれば、パソコン通信から始まり、IRCチャット、ホームページ、掲示板、ブログ、そして最近ではTwitterのようなミニブログだったりUstreamのような動画配信だったりと、新しい表現コンテナーが出るたびにそれを試しつつ、自分の情報発信場所として利用してきている。 それぞれの場所ごとに特性が違うので、それぞれの場所にあった発信内容にな
どうも真意が伝わってない気配があるのであらためて。 僕が思っている事としては、議論そのものは大いにすべき、なのですが、意外と議論自体意味ないと受け取られている気配があります。論点はそこではなく、それを通して相手の根本的な考えを変えるのは困難だと言うことなのです。価値観や思考の方向性が違う人の間で議論をするのはなかなか難しいですが、そこで浮き彫りになる事(考え方の差異とか)は議論として非常に重要です。そのような差異の溝を埋めていくのが議論の目的とも言えるのですが、お互いに譲れない一線に抵触したときに、それをどう扱うか、と言う所でこの問題が出てくるのですね。 あくまで相手の考え方を認めず、自分の見方で相手を解釈するのは、確固たる考え方をもっている人としては気持ちのいい行為かもしれないし、なんで分かってくれないのだろうというもどかしい気持ちかもしれないし、まあ色々あると思いますが、それは通じ合う
ネットをしている中で、自分だけがものすごく一方的に「この人に会いたい」という気持ちを感じることがある。ブログであれ、サイトであれ。それはまるで恋にも似て、日に何度も何度も通ってみたり、その人の書いていることに盲目的に共感しまくったりする。そんな時期があった。 その人と偶然チャットする機会があって。最初のうちは緊張のあまりうまく会話が噛み合わなかった。それ以降も幾度かチャットする機会があったのだが、やはり細かな齟齬があり、うまくいかなかった。無論原因の一端は自分にもあるのだろうけど、根本的にこの人とは合わないのかもしれないと感じるようになり、次第に疎遠になるようになった。チャットが開催されていても、出向かない。特に個人的にメッセージを送ることもしない。 もともとアクションをかけるのがほとんどこちらからだったということもあり、ごく自然に関係は薄れていった。ただ、私は向こうのサイトには通うし、向
「一生、山を続けるとなると、3つのハードルがある」 高校生の頃、不惑を前にした先輩から言われた言葉です。 3つのハードルとは ①就職 ②結婚 ③出産 だとのこと。 何度か、これに近い内容に触れたことはあるのですが、今回はきちんと自分に重ねてみました。 就職するまで。 1年の3分の1は山にいるような生活でした。 あとはバイトに行っているか、学校に行っているか。 ゆる~い大学だったので、それでも留年せずに卒業できてしまいました。 お金はそれほどなくても、時間と体力はたっぷり。 本当にとりつかれたように山に行くような感じでした。 事実上、就職前の山は、大学4年の正月のヒマラヤで幕を引いたようなものです。 就職。 月給取りの身になって、お金は学生時代よりもありました。 また、将来のこと(?)なんか考えていなかったので、「借金しなけりゃいい」みたいな感じでした。 ですが、今度は時間がありません。 山
詩について言えば、詩人がほんとうに求めていたのは読者たちの彼の詩境に対する全面的な共感だろうと私は思う。理解されず共感されず、それゆえ模倣することもできぬような詩想を有したことでオリジナリティを確立することなど詩人は望んではいない(と思う。詩人じゃないからわからないけれど)。詩想がひろく共感されるということは、人類の「感受性の財産目録」にそれまでになかった新しい感受性を一つ付け加えるということだと私は考えている。詩人が求めているのは「人類の詩的資産」を増やすことであり、詩人の著作権相続者の預金残高を増やすことではないと私は思う。私は間違っているのであろうか(おそらく間違っているのであろう)。詩人のコピーライトについて (内田樹の研究室)著作権問題についてあまり関心がない。思いついたこともあるのだがペンディングしておこう。この一節が気を引いたのは他でもない、ここで書かれている詩人というのは全
会社ってのは、最初に何かの仕事から始めて大きくなって、大きくなった利益から新しい何かを作っていって変化していく。 だから売り上げとか、お客様とのリレーション、ブランド、パートナーとの関係とかは、どんどん蓄積されていって、見えない資産になっていく。 そういうものや、その中でどう振る舞ったら良いか?というのは、うまく行っている時はベストプラクティス、でも、そのうらには、ベストプラクティスに依存しすぎて動けない自分たちというのもある。寿命が過ぎたら、もはや捨てるべきところかもしれないが、捨てられない。 企業の寿命が30年?とかいうのも、こんなところにあるんだと思う。強みと弱みは表裏一体。時代のマッチング重要。 新卒で東大卒のトップレベルの学生が入社するようになった企業は、寿命が過ぎていると言う話を聞くが、それは東大卒の学生にも関わらず、会社のブランドで「就社」するようになったら、それはピークを過
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
「電脳コイル」最終回、とても面白かったです。25分いっぱいボロボロ泣いてました。感想は後でゆっくり書くことにして、コイルを観た後で思ったことを。 この最終回で、「人と人のつながり」「痛みと人間関係」がキーポイントになっていたと思う。ヤサコとイサコはああいうラストシーンになったけれども(まだ内容は詳しく書きません。あとで)、それに至る過程が妙にリアルで、引き込まれてしまった。 第23話で、イサコは人と人の関係を細い道に例えた。まさにそうだと感じる。コミュニケーションが上手くいっている時は、道の細さなんて気にしない。太くしっかりした道だと信じて疑わない。でも、出会った時、関係が上手く行かなかった時、私はその道の細さを実感する。イサコの言うように、ちょっとでも油断するとその道は途切れてなくなってしまう。その道を自ら断ち切ることだって出来るし、誰かに向かって切り拓こうとすることも出来る。それは現実
別に、面白くないのに、やめられない。 電源を切る事ができない。 トイレすら我慢してしまう。 別に僕はネットゲームにハマってるわけじゃない。 楽しくてたまらなくてやめられないわけじゃない。 そりゃそこそこ楽しいけど、もう特に見るページがなくなっても、ダラダラ続けてしまう。 やめたい。でも怖い。電源、切る決心がなかなかつかない。 ついあとちょっと、とぐぐってしまう。 なぜか。 考えたら、簡単なことだった。 まず第一に僕は寂しい。 ある事情で今友達が全くいない。 世間とのつながり、今僕だけじゃない、誰かが活動してる、それを感じられるのがネットだからだ。 これを切ると、あとは一人の行動が待っている。それがさみしいのだ。特に、夜は。 第二に、たいていダラダラ続けてしまう時っていうのは、「やること」があるときだ。 本当にヤバい重要な用事ならたいていなんとかギリでやめるが、 とるにたらないこと、夜寝る前
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