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ブックマーク / hanamote.com (20)

  • その日を摘め: 沢の境界にて

    先月の上旬、沢に入って二日目に、ある沢の源流部で小鳥が死んでいるのを見つけた。小鳥が冷たい水の流れに半身を浸し、目を閉じ横たわっていた。 その日は朝から細かい雨が降ったり止んだりしていた。冷たい水の中に横たわっている光景は、いかにも寒そうだった。死んでからもう数日は経っているのだろう、羽はあまりなく、肌の色はすこし白くなっており、なにか疲れたような、かなしい表情をしていた。 どうしようか、と思った。 その日は朝から冷たい雨に打たれ、僕はずっと寒さを感じていた。こんな寒い日に、こんな冷たい水の中に横たわっているのはやはり寒かろうと思い、近くの土の中に埋めようかと思った。しかし同時に、「寒そう」などというのは、人間の勝手な感傷だとも思った。「自然」の中で、人間のいない場所で、おそらく人間とは関係のない理由で、小鳥は死に、この場所に横たわっているのだ。ここで小鳥はこの場所になっていくのだ。人

    hatayasan
    hatayasan 2008/07/16
    「人間の内側にある自然…外なる自然と同様に、この上なく美しい光景があるのと同時に、決して飼いならすことのできない獣が住んでいる。だから、不用意に扉を開けるようなことはしてはならない。」
  • その日を摘め: もっとも新しい太古の祭 杉原信幸個展『丸石座』

  • その日を摘め: 詩集『はだか』谷川俊太郎より、「さようなら」

    さようなら ぼくもういかなきゃなんない すぐいかなきゃなんない どこへいくのかわからないけど さくらなみきのしたをとおって おおどおりをしんごうでわたって いつもながめてるやまをめじるしに ひとりでいかなきゃなんない どうしてなのかしらないけど おかあさんごめんなさい おとうさんにやさしくしてあげて ぼくすききらいいわずになんでもたべる ほんもいまよりたくさんよむとおもう よるになったらほしをみる ひるはいろんなひととはなしをする そしてきっといちばんすきなものをみつける みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる だからとおくにいてもさびしくないよ ぼくもういかなきゃなんない (詩集『はだか』谷川俊太郎より) こんな詩に出会いました。 前つんのめりの、焦るリズムが、読んでいて苦しい。 少年は、「どこへいくのかわからないけど」「いかなきゃなんない」。 さ

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/14
    「「どこへいくのかわからないけど」「いかなきゃなんない」。さらに、「ひとりでいかなきゃなんない」。」谷川俊太郎の詩から、2004年12月。
  • その日を摘め: 「普通」について

    2004年12月07日 「普通」について 半月ほどまえ、実は面接を受けた。ある雑誌が人材募集をしていたので応募したのだ。その雑誌は自分が買ってまで読む数少ない雑誌のひとつだった。 結果から言うと散々だった。 スーツを着て地下鉄に乗ったら、急にお腹が痛くなった。永田町で降りてあわててトイレにかけ込んだ。ここしかないと言い聞かせ履歴書と志望理由を何週間もかけて書き、ラブレターを投函するような気持ちで出して、面接までこぎ着けたのに、体は正直だったようだ。 面接の日に鏡のまえでスーツを着た自分の姿を見ると、滑稽なほど似合っていなかった。ネクタイの色が悪いのか?シャツの色が合ってないのか?と色々と迷ったけれど、そういう問題ではなかった。そもそもスーツ姿が悪い訳でもない。スーツは好きとは言えないが、スーツを着て結婚式などのフォーマルな場に行く事はさほど嫌いではない。 当を言うと人並みにちゃんと働き

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/14
    「「普通になりたい」と思っても完全になりきれる訳がなく、「普通でありたくない」と思っても、違えば違うほどいよいよ同じということになる。」2004年12月。
  • その日を摘め: 感想文を書くことについて

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/12
    「どんな作品だったかを書くよりも、読後に自分の内面に起こった余韻や波や反響のようなものを書くのがいいのかもしれないな。」それでも言葉に搾り出そうとする意味など。2006年12月。
  • その日を摘め: 急坂はじまる

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    hatayasan 2008/02/12
    「人と会うときも、できるのなら、全存在でそのひとの前にいれたらいいなと思う。」2006年10月。
  • その日を摘め: 全部を経験できるわけがない

    先週今週はなぜか、縁あって多くの人と話す機会があった。 すごく久しぶりだったり、初対面だったり、よく話す友だちだったりしたのだが、 ほとんど一対一で何時間も話したように思う。 そしてそれが、とても興味深く、とても楽しく、とても貴重な時間だった。 こういうことは、以前の(とくに旅の前の)僕には考えられなかったことだ。 かつては、人と話すことほど苦手なことはなかった。 とくに女の子と一対一などは考えられなかった。 でもいまは、性別はあまり関係なく、話すことほど楽しいことはないと思えている。 話していて断然楽しいのは、やはりその人の、その人しか話せない一人称の物語だ。 そういう物語にぼくが相づちをうったり、なにか言ったりすると、なにか即興演奏のような、二度と得られない、一期一会の貴重な時間になるような気がする。 以前ぼくは、「全部自分で経験したい!」というものすごい情熱に突き動かさ

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    hatayasan 2008/02/12
    「有限の命が、無限を志向するということ。…それは永遠に叶えられない片思いに似ている…決して叶えられない切なさを積極的に引き受けるという態度の中にしか、生の躍動に満ちた実感はない」 2006年11月。
  • その日を摘め: 映画「いのちの食べかた」

    おとといの夜、友人に誘われ、「いのちのべかた」という映画を見に行った。 べ物の生産と加工の現場を映し続けたドキュメンタリー映画。ナレーションもセリフもインタビューも音楽も一切なく、「意味」というものを極端に排除し、ただ淡々と映像が切り替わるだけの、ストイックすぎるほどストイックな映画だった。92分間、息を止めるように凝視して、見終わったあとは長い潜水をしていたような目眩を覚えた。 驚いた、というのが正直な感想。 あまりに何度も驚いたので、最後には何に驚いたのか分からなくなるぐらい、僕はずっと驚いていた。 そしてそれからずっと、なにかとても原初的な感情のなかにいる気がする。もしかしたらとんでもない作品を見てしまったのではないかと思いつつ、未分化の、名付けようのない感情の中にとどまりながら、分類して消化したり了解済みにしてしまったりしないで、この未分化の感情のなかにできるだけ長くとど

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    hatayasan 2008/01/16
    「どこまでもただの凝視する目であり続けようとするカメラの視線が、安易な答えへと導くことなく、自分で考えろと突き放す厳しさと、受けとめ方はあなた次第だという寛容に満ちていた」おもしろそう。
  • その日を摘め: 次の十年、「根」と「葉」について

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    hatayasan 2007/11/16
    「「世界」と「自分」との関係を考えるとき、このごろぼくはよく、一本の木をイメージします。森の中に立つ一本の木のように世界と連絡をつけたいなと思うのです。」30代を前に。
  • その日を摘め: こんなにも好きだった

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    hatayasan 2007/06/20
    「このままずうっと歩いて行くとどこに出るのかは分からないけれど、もっととおくへ、もっと奥へ行きたい。」
  • その日を摘め: 水源行計画の主旨

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    hatayasan 2007/04/20
    「当たり前にある水道の蛇口はどんな場所とつながっているのか、水源とはどんな場所なのか」沢登りを志す動機とは。
  • その日を摘め: キース・ジャレット「ザ・ケルン・コンサート」

    hatayasan
    hatayasan 2007/03/06
    じっくり聴いてみようかな。
  • その日を摘め: 怪物/少年

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/16
    逃げることは必ずしも敗れることではないと思う。「あのときはただ動物的な直感で、いまこの怪物と戦っても勝ち目はないとおもい、旅立つことで背中を見せて逃げた。生き延びるためにはそれしかなかった。」
  • その日を摘め: 二つの方針について、パワーズ、ハルキについて

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/29
    読む本を厳選するとき「今までとても好きだと思ってきた作家をさらに読み込む」「その作家からつながっていく未知の作家を読む」情報収集の参考に
  • その日を摘め: 伝わらなさをこそ

    先日もそうだったのだが、ときおり初対面の方と話す機会がある。 そして、話しているうちに何か共振するものがあるとそれがどんどん増幅されていき、ひじょうに得難い時間を過ごせたなと思いながら別れる。 でも、それが得難いかけがえのない時間であればあるほど、なにか後で、ざらざらとした違和感のようなものが残るように思う。のどの奥に小骨が刺さって取れないような、擦りむいたひざがだんだん痛みを帯びてくるような、地団駄を踏みたくなるようなもどかしさが残ってしまう。 伝え切れていない、あるいは決定的な誤解を抱かせたまま伝わっているというような思い。そしてその誤解は、おそらくもう一度会って誤解だと説明しても訂正しきれない深い領域での、もはや誤解という言葉では回収しきれないものだと思う。 仕方がないと思いながらも、とても残念なことだと思っていた。 しかし今日、脳科学者茂木健一郎さんのクオリア日記にこのように書

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/24
    「深く会話をするということは、もしかしたら引き裂かれてあるということを確認することなのかもしれない。もしかしたら伝わらなさをこそ確認しあうのかもしれない。」
  • その日を摘め: 単独行で目にする美しさについて

    沢登りをしているとたまに、有史以来一度も人間が訪れていないだろうと思われるような場所にいることがある。 ナルミズ沢から山一つ隔てた東黒沢を遡行しているとき、源流部のツメで間違った沢に入り込んでしまった。間違いに気づいて薮漕ぎをしているときに、もしここで何かの拍子に死んでしまったらまず見つからないだろうなと思っていた。 単独行のとき僕は「いま死んだらどういうことになるのだろうか」と考えていることがある。特に、まずだれからも見つからないだろうという場所にいるときによく想像している。自転車旅をしているときも、たとえばチベットの荒野の道を外れた岩陰などに野宿しているときなどに、よく想っていた。単独行をしているときは、程度の差こそあれ常に自分の死を想っている。特別な心境にあってもなくても、想う人がいてもいなくても、危険度が高くても低くても、それほど関係はないと思う。死を想うということは僕にとって、

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    hatayasan 2006/10/17
    「一人で、ヒトが誰もいない場所へ行くと、精神にこびりついていた贅肉が削ぎ落とされていくように感じることがある。」
  • その日を摘め: 野良猫

    2006年09月16日 野良 ぼくは野良が大好きで、見かけるたびにいいなあとちょっと羨望の眼差しになってしまう。あのひょうひょうとした自由な生き方を見習いたい。でもきっと野良は野良なりの苦労があるんだろうなぁ。飼いの陰口に心を痛めたりして。 最近読んだ、河合隼雄さん(心理療法家)と吉ばななさん(小説家)の対談のの中に、非常に印象深い箇所があった。 河合 いま現代人は、みんな「社会」病にかかっているんです。なにも、社会の役になんて立たんでもええわけですよ。もっと傑作なのは、ただ外に出て働いているだけなのに社会に貢献していると思っている人がいる。貢献なんてしていないですよね、金儲けに行ってるだけでしょ。「そんなん、別に」とぼくは思ってます。社会へ出ていくとか、だいたい社会というものが、あるのか、ないのか。それから、なんで貢献せないかんのか、とか。全部、不明でしょ、ほんとのとこは。

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    hatayasan 2006/09/16
    「「群れ」に決して両足を入れない。片足だけ入れて、もう片方は「個」に入れる。そして「個」に両足を入れてしまいたいという強い誘惑にも抗う。そんな立ち位置」
  • その日を摘め: 谷川連峰 湯檜曽川本谷

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    hatayasan 2006/09/15
    2005年10月。「ぼくにとって、「強くなりたい」という願いは「自由になりたい」という想いと同じ響きがあります。そういう意味では、理想としてはとてもシンプルな装備で、山や谷に入っていきたいです。」
  • その日を摘め: 奥只見 恋ノ岐川

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    hatayasan 2006/09/15
    2005年10月。「きっと、寂しがりやだから単独行が大好きなんだと思います。」
  • その日を摘め: 『サバイバル登山家』

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    hatayasan 2006/09/07
    服部文祥『サバイバル登山家』の書評。「よりシンプルなスタイルで、びくびくしながら、自然の奥深くへこれからも分け入って行きたい」
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