冗談じゃない雰囲気で「死にたい」と漏らすブログは、リスカとかと同じで、誰かに助けを求めているところが多分にあると思う。だけど、200日以上前から自殺日のカウントダウンを続けてきた「無への道程」の人には、ちょっと違う印象を受ける。 無への道程の筆者は30台半ばの男性。2009年にスタートした頃はよくあるFXブログで、タイトルも違った。方向転換したのは、東日本大震災まもなくに致命的な損失を出して撤退した直後だ。FXによるセミリタイアを諦めた彼は、職も辞して自殺を決意し、その旨をブログで発表する。すぐにというわけじゃなく、貯金が底を尽きた頃に死のうということだった。それから若干の予定変更を経て、最終的に終わりと設定したのは2012年10月末。その日が来るまで、冒頭に「死ぬまで後●日」と綴るカウントダウン日記をアップするようになった。 自殺の決意を表明したのは2011年6月初旬で、最終更新は201
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「突然死は、誰の身にも降りかかってきます。事故、災害、病死、特に最近では都市部で若年層の孤独死が増えていますね」 こう語るのは、愛知県にある葬儀社の社長だ。 激務による過労、それに伴う不規則な生活と乱れた食生活。突然死の要因となる心疾患や脳血管疾患の危険は、なにも中年期以降の話ではない。若いサラリーマンにとっても深刻な問題となっている。 運動不足が指摘されることもあるが、実際には現役のスポーツ選手が襲われることもあり、また不慮の事故や災害に巻き込まれた場合は防ぎようもない。前出の社長がいうように、突然死は「誰の身にも降りかかる」可能性がある問題なのだ。 もし自分が突然死んだら、いったいどれだけの人が涙を流してくれるだろうか……、ふと、こう想像するのと同時に、「遺品」となってしまう自分の持ち物について思いを巡らせたことがある人も多いのではないだろうか。 遺品整理特殊清掃会社A&Tコーポレーシ
4日午後5時頃、岐阜県土岐市土岐津町土岐口の楽間(らくま)甚造さん(75)方で、甚造さんと母親のやつ子さん(99)とみられる遺体があるのを、県警多治見署員らが見つけた。 いずれも一部が白骨化しており、同署は身元の確認を急ぐとともに死因を調べている。 発表によると、同日午後、19日に100歳になるやつ子さんのお祝いを兼ねて市職員が訪問。この際、甚造さんの妻(70)が、やつ子さんの所在について「親戚の家に預けてある。親戚宅の詳しい住所や連絡先はわからない」とあいまいな説明をしたため、職員は署員と再び訪れ、1階の8畳間と6畳間で布団が掛けられた2遺体を見つけたという。 市は訪問の日程調整のため、8月末から電話をしていたが、誰も出ない状態が続いていた。妻は同月15日、家主に対し、甚造さんは施設に入所していると説明したという。 甚造さんは妻と長女(51)、やつ子さんの4人暮らし。同署は遺体について妻
1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史 東日本大震災からもう1年が経とうとしている。人々の記憶も薄らぎ始めた。しかし、国の復興対策はなかなか進まず、被災者・遺族の心の傷も癒えない。3.11がもたらした「喪失」は、日本人にどんな教訓を投げかけているのか。日本が真の復興を遂げられる日は来るのか。その問いかけをまだ止めることはできない。いや、止めてはいけない。遺族、医師、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを取材し続けた筆者
亡くなった“ご主人さま”の周りを愛犬がグルグルと回っていた…。 心不全のため、51歳で亡くなった元祖バイリンギャルで元キャスター、山口美江さんの最期はあまりに悲しいものだった。芸能界の孤独死は、彼女に限ったことではない。 元タレントの飯島愛さんは2008年12月、死後1週間経って発見された。36歳の若さだった。12月5日に最後のブログを更新。同24日、親類の女性によって自室で死亡しているのが発見された。死因は肺炎。飯島さんはタレント活動の一線から身を引いた後、芸能人仲間との交際がほとんどなくなっていた。この意味で、山口さんのケースと似ている。当時、「元AV女優だからこそ身辺をきれいにしていて、最後は男の影さえなかった」と話す業界関係者もいた。 俳優の山城新伍さんは09年8月、東京都町田市の特別養護老人ホームで、嚥下障害による肺炎で寂しく息を引き取った。70歳だった。 山城さんは女性関係の乱
「タイムライン」が全世界で本格的に導入され始めた。 利用者の一生を記録し、一覧表示できるようになり、 「永久保存」されて格好のネット墓地になる? ●フェイスブックはどうしておもしろいのか アマゾンが日本で電子書籍事業を始めるかどうかについて途中1回だけ書いたが、それをはさんで秋からずっとフェイスブックについて書いてきた。この連載は今回で714回目だが、ひとつのテーマをこんなに続けて書いたことはない。グーグルもずいぶんとりあげてきたのでトータルするとグーグルの回数のほうがまだ多いだろうが、こんなに続けてとりあげはしなかった。 そうなったのは、SNSについてけっこう早くにとりあげたものの、その後あまり興味を持てず放置していたこともある。ところが、少し調べてみると、フェイスブックはほかのSNSに比べてずっとおもしろかった。使ってみておもしろかったというよりも、「思想」がおもしろかった(こんなにと
福島県警は6日、2月から行方不明になっていた同県南相馬市原町区、県立相馬農業高校3年の清水沙也香さん(18)が、震災の行方不明者捜索中に遺体で発見されていたと発表した。 県警が東日本大震災による行方不明者を捜索していた4月18日、警戒区域内の同市小高区の沼地のがれきの下で見つけ、DNA型鑑定の結果、5月6日に清水さんと判明した。清水さんは、2月19日から行方不明になり、最後に会った同市内の20歳代男性は、県警から事情を聞かれた後、自殺した。 県警によると、清水さんの遺体は損傷が激しく、刺し傷などが確認されなかったため、身元不明のまま南相馬市が4月19日に引き取り、火葬された。
東日本大震災写真特集 岩手県被災地 宮城県被災地 福島県被災地 福島原発特集 避難呼び掛けた職員、死亡確認=大津波に最後まで−宮城・南三陸 避難呼び掛けた職員、死亡確認=大津波に最後まで−宮城・南三陸 東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町で震災当日、津波が迫る中、防災無線で住民に避難を呼び掛けたまま行方不明となっていた同町危機管理課職員遠藤未希さん(24)の死亡が2日、確認された。 南三陸町によると、遠藤さんは3月11日、町役場の防災対策庁舎2階の放送室から、防災無線で「津波が来ます。高台に逃げてください」と町全域に避難の呼び掛けを続けた。しかし、庁舎全体を襲う大津波にのまれ、犠牲となった。 県警によると、遠藤さんとみられる遺体が見つかり、DNA型鑑定をした結果、本人と確認された。遺体は近く遺族に引き渡される。(2011/05/02-18:10) 東日本大震災特集をTwitt
元キャンディーズの田中好子さんの告別式で、先月29日に録音された肉声のメッセージが公開されました。田中さんは「被災された方のお役に立ちたい」と語っていました。 その他のニュースはコチラから! [テレ朝news] http://www.tv-asahi.co.jp/ann/
乳がんのため、55歳で亡くなったスーちゃん、田中好子さん。 きょうの告別式では、先月前に病床で録音された、肉声のメッセージが公開されました。 内容を全文ご紹介します。 こんにちは、田中好子です。 きょうは3月29日、東日本大震災から2週間経ちました。 被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈るするばかりです。 私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。 でもその時は必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。 それが私のつとめと思っています。 今日お集まりいただいたみなさまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。 キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。 幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。 特に蘭さん、美樹さんありがとう。2人が大好きでし
動物病院とシェルターを併設した愛護団体です。飼い主のいない犬猫たちに不妊手術と医療を!! 老猫・傷病猫100匹の保護猫がシェルターで暮らしています。 救えるのは皆の愛!応援して下さい! 心ある獣医さん、ボランティアさん、募集中! 福島から戻りました。 車内での仮眠以外にはもう40時間以上起きたままです。フラフラで報告もままなりません。 起きたらすぐに全国の皆様、海外の皆様にもお願いがございます。 すぐに掲載致しますのでどうかどうかご覧になって下さい。助けて下さい。 どうかお願い申し上げます。 これだけアップします。 これは、東日本大震災福島第一原発付近レスキュー状況と現実です。 地獄です。 けれど、この世と思えない今までにありえなかった現実を知ってもらい、あなたに動いて頂かなければ、まだ生きている犬猫、牛、馬、ヤギすべての命がこの苦しみの中で息絶えていくのです。 被災者を更に苦しめ、犬猫、
震災による死者の年齢構成と確認された被害者数 東日本大震災で死亡が確認された約1万3千人のうち年齢がわかった7935人を朝日新聞が調べた結果、65歳以上の高齢者が55.4%を占めることがわかった。過疎・高齢化が進む地域で、津波から逃げ遅れた人が多かったとみられる。行方不明者はいまだ約1万5千人。11日で大震災が発生してから1カ月を迎えるが、安否確認は難航し、被害の実態はいまだにわかっていない。 12都道県の警察が把握している死者のうち、年齢が明らかにされた7935人(7日までに発表)について、朝日新聞がまとめた。その結果、65歳以上の高齢者は4398人で、死者の55.4%を占めた。 被害の大きかった県別でみると、岩手県は死者1346人の56.4%(759人)、宮城県は5788人の54.8%(3170人)、福島県は742人の57.7%(428人)。2010年の住民基本台帳によると、3県
東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた宮城県気仙沼市に、地元のマグロ漁船「第18滝浜丸」が青森県八戸市沖から戻ったのは、震災翌日の三月十二日だった。乗っていた相楽直樹さん(39)が目にしたのは、重油まみれの海に投げ出された人々のおびただしい遺体だ。流されていく車の中に赤ちゃんを抱いたまま閉じ込められた女性、屋根につかまったままの姿で水に漂う男性…。 遺体があまりに多く、接岸できない。海上保安庁に連絡しても「すぐには行けない」と言われ、逆に収容を依頼された。「こんな冷たい所に残していけるか。一人でも多く連れていこう」。仲間六人と船のクレーンで車を釣り上げては中から遺体を引き出し、浮いている遺体は抱えて積んだ。
クリックして拡大する福島第1原発から5キロの地点で見つかった男性の遺体を囲む警察官。放射線量が高いため収容作業を断念した=27日、福島県大熊町(福島県警提供) 福島県警は、福島第1原発から約5キロの同県大熊町で27日に見つかった遺体を管理する模様を撮った写真を30日、報道陣に公開した。遺体の放射線量が高く、被曝(ひばく)する危険があったため、防護服に身を包んだ警察官が収容を断念、白い遺体袋に入れて付近に安置する瞬間をとらえている。 警察庁によると、遺体があるとの通報を受け、県警機動隊員や検視官、放射線計測班ら15人が駆けつけ遺体を発見。持参した測量計で遺体の表面を測定したところ、除染が必要な基準を上回ったとしている。 遺体は地震や津波発生直後から、原発事故による放射線を浴び続けていたとみられる。
福島県警察では、今回の大震災で犠牲になられました氏名等が推測できない身元不明ご遺体の方々について公表することにしました。 公表する項目につきましては、取扱警察署名、問い合わせ番号、ご遺体の発見年月日、発見場所、推定年齢、性別、身長、体格、その他 特徴、服装等、所持品等、遺体安置場所となります。 お問い合わせに当たりましては、各警察署に相談をするか、直接、遺体安置所をお尋ねになり、担当者(遺族支援斑)に「警察署名・問い合わせ番号」を伝えてご確認くださるようお願い致します。 なお、ご遺体については、遺体安置場所から市町村に対して既に引き渡されている場合や、福島県警察ホームページ掲載後に身元確認がなされ、ご家族等に引き渡されている場合もありますのでご了承願います。 遺体の確認時間 午前10時頃から午後5時頃までの間遺体安置場所 相馬警察署管内 〜 元アルプス電気株式会社相馬工場内
東日本巨大地震で被災した宮城県東松島市に派遣された三重県警捜査1課の伊藤嘉之・上席検視官(50)が25日、津市の県警本部で記者会見し、現地の惨状などを説明した。 県警は12〜25日に検視官20人を東松島市に派遣。検視官は遺体安置所になった石巻西高校体育館で約300体の身元や死因を特定する作業をした。 伊藤検視官は18日から1週間、乳児から90歳の高齢者まで約100体の遺体を検視した。「最初に視(み)たのが、おんぶひもがついたままの乳児だった。安置所で母親が遺体と対面した時は、声もかけられなかった」と振り返った。 死因は津波による水死が9割で、遺体の損傷は少なかったという。水が足りないなど厳しい環境だったが、伊藤検視官は「部下には『遺体はすべて身内だと思え』と指導した」と説明。「今も多くの身元不明の遺体があり、捜している遺族がいる。要請があれば、また力を貸したい」と話した。
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