タグ

literatureとreadingに関するhatayasanのブックマーク (6)

  • それを個性とはよばない - 北烏山だより

    中学で国語を教えていたころ、時折、保護者から言われた。 「うちの子は個性的なので、先生の読みとはちがっていて、テストで○がもらえなくて」 そのたびに、それは個性とはよばないのです、誤読しているのです、と思った。 いうまでもなく、ここで言っている「先生の読み」とは、 この作品はここで感動しなくちゃいけない、とか、 ここからこういう道徳的な価値を見出さなくちゃいけない、という話では断じてない。 この作品は、当然、こう読めなくてはいけない、ということは、 たとえ文にハッキリ書いていなくても、厳然としてある、とわたしは思っている。 そこのところが読み取れていない、ということは、 国語力、読解力が不足している、ということなので、 そこでとんちんかんなことを言うのは、「個性」でもなんでもない。 そういう部分に対して、 「なるほど、おもしろい見方だね」と言って肯定していくことは、教育ではない。 それが

    それを個性とはよばない - 北烏山だより
    hatayasan
    hatayasan 2008/10/23
    「「みんなちがって、みんないい。」/それは、文学なら文学の、社会生活なら社会生活の、一定の「お約束」をクリアしたうえでの話だ。」
  • 「兄の人生の物語」と「ある個人史の終焉」 - 琥珀色の戯言

    まさか「兄の人生の物語」をリアルだと思って読む人がそんなにいようとは - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記 発端は、この『兄の人生の物語 - ロハスで父が死にました』というエントリなのですけど、僕自身は、このエントリを読んで、なんというか、すごくもぞもぞとした感触、短くまとめてしまえば「やるせなさ」とか「居心地の悪さ」しか感じられなかったんですよね。いや、これをリアルな話として捕らえた場合、最後の一文に「感動」するのって僕にはとても難しい。この話の後に続くのは、なんらかの「破綻」であることは目に見えているのだから。 僕がこれを読みながらずっと考えていたことって、「自分の子どもがこういう感じだったら、はたして愛せるだろうか?」とか、「こういう人に自分の恋人がレイプされたりしたら、いったいその悔しさはどこにぶつければいいのか?」ということでした。正直、どこに、何にそんなに「感動」できるのかよく

    「兄の人生の物語」と「ある個人史の終焉」 - 琥珀色の戯言
    hatayasan
    hatayasan 2007/12/12
    「「フィクション」か「ノンフィクション」か、じゃなくて、「面白い」か「つまらない」かだけで「評価」すれば?/「フィクションだからと腹を立てる」=「友達のはずなのに、なんで嘘つくんだ!」みたいな感じ。」
  • 誤読できるのが、いい詩である

    誤読できるのが、いい詩である 正直に言って私はそもそも現代詩なんてものがよく分かっていない。なにかほかのものとは違うというのなら、それはその「ほかのもの」を理解していなければならず、そして、ほかのもの、というのはつまり近代詩、なのだろう。歴史的には。 この点について、試みにもっともお手軽なネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』を引いてみるとこんな具合にとてもよくまとまっている。よっぽどてだれた人が書いたんだろうから、長くなるけれど、かいつまんで引用してみます。 「現代詩は近代詩の形式主義化、耽美化などへの反省により、二十世紀初頭に生まれた詩をさす。現象学・実存主義に影響を受けた哲学的な内容、性や暴力など近代詩が扱わなかったタブーへの切り込み、日常とかけ離れた特異な言葉遣いによる異化作用、などが特徴的である。各詩人詩人によって、作風が大きく異なり、共通するものが少ない「分散性」が現代詩の

    hatayasan
    hatayasan 2007/11/08
    「文学書、というかテクストを読む快楽はきわめて個人的な解釈、自由連想、あるいは意図的な誤読にこそあります。そして、そういうことができるものほど上質のテクストです。」そういうものなのかなあ。
  • 村上春樹「ノルウェイの森」を読む: asyuu@forest

    関西地方は残暑が厳しい。静かな土曜日の始まりだ。 村上春樹「ノルウェイの森」を読了。 37歳の僕(ワタナベくん)が大学生活を振り返るシーンから始まる。 ワタナベくんは親友のキズキの自死によって「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」という諦観を持つ。キズキ・直子(キズキの恋人)・ワタナベというトライアングル(死んだ者も生者の中で生きるのだ)の中で、ワタナベは直子を愛するようになるが、彼女は死の方に惹かれ心を病んでいく。 いっぽう大学の同窓である緑は死を受け止め、それに圧倒されない強い女性として描かれている。我々の生に潜んでいる死の影に翻弄されることを拒否する強さだ。 「ノルウェイの森」が多くの読者の支持を得たのは,ある者はワタナベに、ある者は直子・緑に自分の姿を投射することができたからだろう。 ワタナベくんは、療養のため京都の療養所(といってもそれはコミューンのよう

    hatayasan
    hatayasan 2007/09/30
    「日々の残酷さはまわりだけではなく、あなた自身から発するものもある。だからこそ,きちんと生きましょう。疲れていても歯を磨き髭を剃ろう。」
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    hatayasan
    hatayasan 2006/12/08
    「誤読こそブログであり、ブログこそ誤読のための巨大な文学装置である。」
  • http://anotherorphan.com/2006/06/post_308.html

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/22
    「読書は孤独だし、執筆はもっと孤独だ。その間には、怪物めいた言葉と言う記号が、何十もの緞帳の様にお互いの視線を阻んでいる。」
  • 1