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戦争と宗教に関するhazardlamp0855のブックマーク (3)

  • ボスニア内戦 民族紛争の真実 後編

    ボスニアはかつてユーゴスラピアといわれた国の一部です。第二次世界大戦後、スロベニア、 クロアチア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという 6つの民族共和国がチトー元帥の率いる社会主義国家として一つの連連邦国に統一されました。 ところが1980年代後半に起きた東欧民主化の波をかぶる中で、バラバラの状態になり、 それぞれ独立していったのです。そして内戦の勃発。なかでも、とくに深刻だったのがボスニアでした。 ボスニアの民族構成がイスラム教徒であるモスレム人が4割、セルビア人が3割、クロアチア人が2割と、 ボスニアでは3つの民族の勢力が拮抗して同居していたからです。更に宗教の間題もありました。 独立を宣言したイスラム教徒と、それに反対するセルピア人との戦いが続き、 内戦は泥沼化していったのです。そして、その激戦地となったのがボスニアの首都サラエボでした。 サラエボ

    ボスニア内戦 民族紛争の真実 後編
  • 戦争の体験談を語るわ 完結 無題のドキュメント

    38 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:34:20.67 ID:YjM.1pYo それから1ヶ月か2ヶ月ちょっとは、山の中で生活していたんだ。 フォーチャにはもう戻れないから、結構離れた山中で静かにしていたんだ。 幸運な事にさ、一緒に脱出した人の中に、ミジュヴィナからついてきてくれた 青年の一人が居て、薬とかを時々歩いて5時間くらいかけた所にあるらしい集落に 取りに行ってくれていたんだ。 39 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:40:05.25 ID:YjM.1pYo ただ、料は毎回のように貰いに行くわけにはいかなかった。 なぜなら、それで俺達の存在がスルツキの人々に知られてしまう可能性があったんだ。 だから、この山中での生活は、べ物が少なくて辛かった。 べられそうなものは何でもべたんだ。葉

  • 戦争の体験談を語るわ その2 無題のドキュメント

    99 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/21(金) 01:00:38.53 ID:c1y0p92o ただ、まだ血で血を洗う戦争には発展していなかった。スルプスカ共和国(セルビア人共和国)となったとはいえ、 実際にそれを世界に向けて宣言したわけでもないし、まだ平和的に解決出来るかもしれないという希望があった。 俺はまだ小さくて理解しきれていなかったのだけれど、こんな状況でも9人でこっそり会い、秘密基地で遊んだり 出来ていた。以前のように堂々と遊ぶことが出来なくなっても、俺達の友情というか結束みたいのは少しも崩れて 無かったんだ。むしろ、大人たちや周りから、もう遊ぶなって言われれば言われるほど、強くなっていったように思う。 こっちもスレッドがストップしたら、恐らくもうそういった運命だと思うので、書くのは辞めるね。 【終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ】 1

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