ボスニアはかつてユーゴスラピアといわれた国の一部です。第二次世界大戦後、スロベニア、 クロアチア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという 6つの民族共和国がチトー元帥の率いる社会主義国家として一つの連連邦国に統一されました。 ところが1980年代後半に起きた東欧民主化の波をかぶる中で、バラバラの状態になり、 それぞれ独立していったのです。そして内戦の勃発。なかでも、とくに深刻だったのがボスニアでした。 ボスニアの民族構成がイスラム教徒であるモスレム人が4割、セルビア人が3割、クロアチア人が2割と、 ボスニアでは3つの民族の勢力が拮抗して同居していたからです。更に宗教の間題もありました。 独立を宣言したイスラム教徒と、それに反対するセルピア人との戦いが続き、 内戦は泥沼化していったのです。そして、その激戦地となったのがボスニアの首都サラエボでした。 サラエボ