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  • 『内乱の政治哲学 忘却と制圧』 神崎繁著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    博捜的思索の到達点 神崎繁様 あなたが亡くなってちょうど一年の日に遺稿集が刊行されました。生前に発表された2の長大な論考に加えて、死の直前にまで手直しされていた原稿が、友人たちの編集を経て思索の現場を再現しています。あなたが63年の人生で到達された思考が、こうして美しいになったのは、何より嬉(うれ)しいことです。 「忘却と制圧」という副題は、政治と哲学の臨界に挑むあなたの関心の終着点を示します。ギリシア哲学・古典学の最先端の研究でありながら、政治の現実、私たちの生きる現場に鋭く投げかけられる問い。古代ギリシアで初めて発せられたアムネスティー、「悪の記憶の禁止」―現在は「大赦」と訳されます―とは何か。それへの哲学者たちの言及や沈黙から、内乱や和解をめぐって思索が促されます。プラトン、ホッブズ、現代の間を行き来する論述は一見錯綜(さくそう)した迷宮のようですが、そこに浮かび上がる視野と問題

    『内乱の政治哲学 忘却と制圧』 神崎繁著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/12/04
    “あなた(神崎)が専門としたアリストテレスを、マルクスは考察の問いを掘り起こす「水探知の願い棒」と呼びました。あなた自身の考察は…変わらぬ優れた水先案内人です”
  • 『スター女優の文化社会学』 北村匡平著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2017/11/27
    「原節子と京マチ子。…国民的なスターは、時代の最前線を表象しつつも、同時にそこに収まりきらないズレを合わせ持っている」。評・安藤宏。作品社。
  • 山本・前地方創生相「何であんな黒いのが…」 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    前地方創生相の山幸三・自民党衆院議員(福岡10区)が、北九州市内で23日に開かれた三原朝彦・自民党衆院議員(同9区)の政経セミナーの来賓あいさつで、三原氏が長年続けるアフリカとの交流について触れ、「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言していたことがわかった。 山氏は事務所を通じ、「人種差別の意図は全くない」と説明している。 山氏は三原氏との交友関係を強調し、「ついていけないのが(三原氏の)アフリカ好きでありまして、何であんな黒いのが好きなんだっていうのがある」と述べた。 山氏の事務所は24日、読売新聞の取材に対し、「(山氏は)昔、アフリカを表現する言葉として使われた『黒い大陸』という意味で言ったと話している」と説明した。

    山本・前地方創生相「何であんな黒いのが…」 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/11/26
    自民党などの保守の人は、よく「大東亜戦争はアジア人差別に対する闘争だった」とか言うけど、本心はこれですからね…。
  • 『坂口安吾論』 柄谷行人著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    突き放すものの美 砂浜に引きあげられた舟の舳先(へさき)に腰かける坂口安吾。このの表紙に使われている写真はその姿を撮ったものである。ある地方の海辺での一枚だが、足は地面から高く離れ、目は遠くの空を見つめている。「ふるさと」の密着したぬくもりを拒絶しながら、見えない何かに親しんでいるような。 親密さをまとった風土ではなく、ただ広がる海と空のように「単調で果てしないもの」、そして聴き手を残酷に「突き放す」物語に、むしろ真の「ふるさと」を安吾は見いだした。後者では予想をこえた不快な物事が、むしろ崇高な美を帯びたものとして立ち現れるだろう。そうした洞察に安吾の特異性と、特異であるがゆえに発見しえた人間の生についての普遍的な原理を、柄谷行人は読み取っている。 一九九八年から安吾全集の月報に連載した論考が、約二十年をへて一冊のにまとまった。柄谷がまず強調するのは、安吾の思考に見られる「時代錯誤性」

    『坂口安吾論』 柄谷行人著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/11/21
    “親密さをまとった風土ではなく、ただ広がる海と空のように「単調で果てしないもの」、そして聴き手を残酷に「突き放す」物語に、むしろ真の「ふるさと」を安吾は見いだした”
  • 『井筒俊彦の学問遍路』 井筒豊子著 評・橋本五郎(本社特別編集委員) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2017/11/07
    「井筒はなぜ世界各国の言語を一生懸命追い求めたのか。それは…、地理的風土的条件よりも、むしろ言語こそが人間文化の、そして人間意識の構成要素に他ならないと考えたからだ」
  • 『〈土〉という精神 アメリカの環境倫理と農業』 ポール・B・トンプソン著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    持続可能な「農」を模索 私たちは日々物で栄養をとり生きている。その多くは農地で生産される穀物や野菜や果物や畜産物で、農業は人間の営みの中で最も大規模で主要な生産活動である。だが、森林を伐採し荒地を開墾し、特定の作物を植えたり家畜を放牧したりする農業は、自然を破壊して生態系を変える人為に他ならない。動植物の多様性や生態系の維持を目指す環境保護は、こうして物の生産活動に対立する。農業を哲学的にどう考えるか、それが書のテーマである。 農地を賢明に利用すれば良いのか、それとも自然それ自体の価値を重視するのか。後者を突き詰めれば、農業自体を否定して人類の衰滅をもたらす。他方で、生産性を上げる経済効率を追求すると、土壌・水質汚染などの環境破壊をもたらし、結果的に農業そのものを危機に追いこむ。二者択一ではなく、対立を超える農倫理の視野が必要となる。 原著はアメリカの環境倫理学者が20年ほど前に出

    『〈土〉という精神 アメリカの環境倫理と農業』 ポール・B・トンプソン著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/10/24
    「農業を哲学的にどう考えるか、それが本書のテーマである」「著者は対話をつうじて持続可能な農業という方向を模索する」
  • 『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』 ティム・インゴルド著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    実践で「作る」行為分析 その名の通り、「作る」という人間にとってもっとも基的な行為の一つについて、人類学や考古学、あるいは芸術や建築の視点から論じただ。驚くのは、書が大学の講義をもとにしたであるということ。ある写真のキャプションには、こうある。「砂のなかの籠づくり。スコットランド北東部アバディーンの浜辺で。」冷たい海風が吹きすさぶ砂浜で分厚いコートに身をくるみ、必死に柳の枝を編んでいる彼らは、著者の授業を履修する学生たちだろう。そう、書は自分の手で行為を実践するただ中から、「作る」を分析したなのである。 家、時計、ドローイング、紐(ひも)。さまざまな物の制作が取り上げられる。著者が一貫して否定するのは、「頭の中にある完成イメージを素材を通して形にする」という伝統的な制作観だ。古代ギリシャ哲学の質料形相論として知られる考え方だが、いやいや外側から物質に形を与えるような超越的な視点

    『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』 ティム・インゴルド著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/10/23
    「作るとは、(頭の中にある完成イメージを形にするのではなく)素材と手の物質的な関わりあいのなかで、ものが成長していくような断続的なプロセスなのだ」
  • 『〈政治〉の危機とアーレント』 佐藤和夫著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    西洋近代思想への警鐘 政治とは権力の争奪ではなく、利益配分の仕組みでもなく、政治家の就活などではなく、まして娯楽ショーではない。では、政治とは何だろう。20世紀後半にアメリカで活躍したドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレントは、政治を成り立たせる条件を徹底的に考察し、現代の危機の構造を明らかにした。今私たちが猛省すべき問題がここにある。 アーレントの著作を翻訳してきた著者は、この哲学者、とりわけ主著『人間の条件』が「難しい」との告白から始める。その原因は彼女がたどった思想経歴から解きほぐされる。ナチスの時代を生き抜いたこのユダヤ人哲学者は、全体主義の起源を解明する中で、次第に西洋近代思想の全体を問題化する必要性に直面した。そこで問題になるのは「私的所有」の意味であった。富の追求を国家規模で拡大する近代社会では、私的領域、つまり自分らしくあるためのプライヴァシーが失われ、それに伴い公的生活が消失

    『〈政治〉の危機とアーレント』 佐藤和夫著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/10/16
    “彼女の批判は「労働」を中心に据えたマルクスに向けられ、それに対抗する「活動」の理念が打ち出される。活動とは人間が語り合う中で培われる共同の生き方であり、政治を成立させる基盤であった”
  • 『21世紀の民俗学』 畑中章宏著 評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    生活に即す「郷土感情」 数年前からブームになりホームでの使用が禁止されている駅もある「自撮り棒」、愛知県東海市で行われている踊り手個々人がイヤホン音楽を聴きながら踊る「無音盆踊り」、アニメや映画の舞台となった神社等をファンが訪ねてまわる「聖地巡礼」。一見いかにも現代らしい現象だが、民俗学の視点からとらえてみると、実はそこには古い風習や信仰の影が…。妖怪とテクノロジーが、道祖神とキャラクターが、仲良く手を取り合って登場する軽やかなエッセイ集である。 たとえば冒頭の自撮り棒。著者はここに「ザシキワラシ的なもの」を見る。ザシキワラシ伝説の一つに、「遊んでいるうちに子供の数が一人増えた」というものがある。この「幻のもうひとり」がザシキワラシだ。写真を撮る場面でも、仲間全員をフレームに収めるためには、「幻のもうひとり」が要る。かつては通りすがりの第三者に依頼していたこの役を、今や自撮り棒が果たして

    『21世紀の民俗学』 畑中章宏著 評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/10/10
    「読んでいて感銘を受けたのは、失われたものに対する敏感な感性である」 ←何かが失われたということは、逆に何かが生まれたということかもしれませんしね。
  • 小池氏とツーショット3万円…公認予定者に請求

    希望の小池代表は1日、公認候補予定者との写真撮影に応じた。 選挙用ポスターやチラシに使用できるが、撮影料として3万円を「徴収」した。党のトップと候補予定者の撮影を有料とするのは異例だ。 撮影会場では、現金を手にした候補【政治

    hharunaga
    hharunaga 2017/10/02
    「党のトップと候補予定者の撮影を有料とするのは異例だ」 ←ぼったくりババー?(違)
  • 『妥協の政治学』 遠山隆淑著 評・苅部直(政治学者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    英の自由主義派に学ぶ 「妥協の政治学」という題名を目にして、しっくりこないと思う方もおられるかもしれない。みんなの願いを受けとめ、その正しい内容を実践することで、現状を変革してゆく。「政治」についてのそういうイメージが流布する時代には、「妥協」などは中途半端でうさん臭いものと見なされてしまうだろう。 だが、議会政治の確立期である十九世紀の英国で、「ウィッグ」と呼ばれた自由主義派の知識人・政治家たちは、そんなイメージの活動は「政治」ではないと考える。『イギリス国制論』を書いたウォルター・バジョットや、法制史の著作で知られるヘンリー・メインなどなど多くの有名人を含むグループであり、保守党と、よりラディカルなデモクラシーを唱える急進派との双方に対抗しながら論陣を張っていた。 急進派の主張によるなら、社会における多数派の声を直接に反映するのが正しい政治である。だが、ひたすら「数」だけを基盤にした政

    『妥協の政治学』 遠山隆淑著 評・苅部直(政治学者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/09/19
    “ひたすら「数」だけを基盤にした政治は、多数を占めるグループの要求を社会の全員に強制する、新たな専制を生み出してしまう”。風行社。
  • 『交換・権力・文化』 桜井英治著 評・清水克行(日本史学者・明治大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2017/08/28
    “本書で説かれるのは、「未開」や「文明」という尺度自体に再検討を迫る「もうひとつの社会」なのだ。だからこそ、…他分野の人々にこそ読まれてほしい”。みすず書房。
  • 『カストロの尻』 金井美恵子著 評・安藤宏(国文学者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2017/07/10
    “そもそも題名はスタンダールの名作「カストロの尼」の題名を、「カストロの尻」と勘違いしてしまう男に由来する” ←「スカトロの尻」という勘違いではないですね?w
  • 『百年の散歩』 多和田葉子著 評・安藤宏(国文学者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2017/07/04
    “「わたし」は半ば生理的、本能的なレベルで雑多なもの、多義的な世界を選びとり、そこに身をゆだねる…。意味のある出逢いは、意味のある孤独を通して初めて実現するものなのだと思う”
  • 『ゲンロン0 観光客の哲学』 東浩紀著 評・三浦瑠麗(国際政治学者・東京大講師) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    世の中を国家から捉えるのか、人から捉えようとするのかは重要な違いだ。政治思想の世界では、個人は自由で世界は進歩すると考えるリベラルと、異なる性格の共同体がばらばらに世界に併存する方がいいと思うコミュニタリアンが、世界にどれだけ共通の価値が必要かをめぐって論争を繰り広げてきた。しかし、書はこの二大陣営には共通点があると喝破する。 彼らは、人には私事を超えた義務があると考え、人間はこうあるべきという「べき論」を展開するエリート的世界観を持っている。しかし、現代世界において、リアルな主人公は「大衆」であり、彼らの当たり前の「欲望」ではないか。しかし、そこには目が向けられていないと。 東さんは、政治や世界を論じる人間が、大衆社会に住んでいながら、少数者しかたどり着けない人間像を前提に議論を組み立てることに、異議を表明する。資主義やグローバルなものが満たしてくれる「欲望」を否定する知識人に、世界

    『ゲンロン0 観光客の哲学』 東浩紀著 評・三浦瑠麗(国際政治学者・東京大講師) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2017/05/08
    この書評を読むと、まるで「リベラル」等だけが「べき論」をしているかのようだが、「保守」や安倍自民党こそが「家族は助け合うべき」などと改憲しようとしているんですけどねw
  • 『悲劇の構造 シェイクスピアと懐疑の哲学』 スタンリー・カヴェル著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    圧巻の『リア王』解釈 没後400年を迎えたシェイクスピア。その悲劇はいまだに解釈が尽きず、というより、より多くの新たな疑問を生み出している。その7作品を論じるのは、現代アメリカを代表する哲学者スタンリー・カヴェル。日ではあまり知られていないが、ハーバード大学で独自の思索を展開し、映画論などでも活躍、熱烈なファンを持つ哲学者である。 四大悲劇を中心に折々に書かれたシェイクスピア論をまとめた書は、無論哲学ならではの難解さに満ちている。だが、フロイトやニーチェやデカルトやウィトゲンシュタインらから深層へと切り込む迫力、言葉への繊細な感覚は、シェイクスピアと哲学双方への関心を 掻 ( か ) き立ててくれる。 圧巻は『リア王』開幕部の読解であろう。老王リアはなぜ姉娘たちの見え透いた 嘘 ( うそ ) に喜び、末娘の真心に怒りをぶつけたのか。従来は無思慮や 耄碌 ( もうろく ) 、作者の不首尾

    『悲劇の構造 シェイクスピアと懐疑の哲学』 スタンリー・カヴェル著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2016/12/19
    「(リア)王は偽りの愛を人前で示してもらうことを望み、コーディリアの真実には自分の正体が暴かれる脅威を覚えたのだと。…従来とは真逆の解釈である」
  • 『ブッディスト・エコロジー』 竹村牧男著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2016/12/11
    “私たちが生き生かされていること自体が「共生」そのものなのだ。…仏教はそこを照らし出し、(「無明」に発する)我欲から解き放たれた生き方(小欲知足)を教えてくれる”。評・月本昭男。
  • 『古典について、冷静に考えてみました』 逸身喜一郎ほか編 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    12人が意義を問い直す 「古典」が読まれない、尊敬されなくなったと言われる。「古典」に何の意味があるのかという疑問の声もしばしば聞かれる。だが、変化の理由は時代の流れだけではない。「古典」そのものが変わってきた、つまり、国民の学ぶべき古典教養が成立の基盤から問い直され、従来の見方が揺るがされているからだ。 書はギリシア・ラテン以来の西洋の古典と中国、日などの東洋の古典を中心に、各分野の第一人者12名が新たな学術成果を紹介しながら「古典とは何か」の問いに向かった論集である。編者はまず、急いで答えを求めず、じっくりと考えることを勧めている。時を経ること…… 学生時代に私も『オシアン』を読んだ。ウェルテルがロッテに読み聞かせ、感極まったあの場面を思いながら。だが、そのスコットランド叙事詩は現在古典リストにはない。 捏造 ( ねつぞう ) の疑惑が確定しているからだ。では、なぜそのような作品が

    『古典について、冷静に考えてみました』 逸身喜一郎ほか編 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2016/11/28
    “古典とは時代と文化が作り上げてきた枠組みなのだ。…「古典」の意味を巡って脱構築が起った現代…。流動しながら生き続け、動態として成長する古典”
  • 『九鬼周造』 藤田正勝著 評・安藤宏(国文学者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2016/09/05
    “心ひかれるのは「哲学」と「文学」の相交わる通路である。ものごとを概念化しようとすると、そこからこぼれ落ちてしまう要素がある。彼はこれを「偶然」という観点から考えようとした”
  • 「『不思議の国のアリス』の分析哲学」 八木沢敬著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    知的遊戯の迷宮へ アリスが迷いこんだ世界は不思議なだけでなく、不合理と不愉快と不可能に満ち満ちていた。そこでくりひろげられる言葉と思考は、迷路と混乱と夢であり、私たちは読みながらアリスと一緒に叫びたくなる。「うわー、こんがらがってきた!……」 子供向けのおとぎ話として広く愛好される『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』は、19世紀半ばにオックスフォード大学の論理学者チャールズ・ドッジソンが「ルイス・キャロル」のペンネームで書いた物語である。一見ナンセンスなやりとりには、言語哲学、論理学、 形而上 ( けいじじょう ) 学の問題がちりばめられている。当然である。世界は謎で満ち満ちているのだから。 著者はアメリカで活躍する分析哲学の第一人者。アリスの物語から自由に、縦横にエピソードを取り出しては知的な遊戯をくりひろげていく。時に言葉のトリックの種明かしをし、時にそこからさらに難しい問題を取り

    「『不思議の国のアリス』の分析哲学」 八木沢敬著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hharunaga
    hharunaga 2016/08/29
    「一見ナンセンスなやりとりには、言語哲学、論理学、形而上学の問題がちりばめられている。当然である。世界は謎で満ち満ちているのだから」 ←不思議の国でありんすw