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学習と大学に関するhighcampusのブックマーク (51)

  • 大学で身につけるべきは技能より教養だろ - 雑種路線でいこう

    上野で飲みながら小耳に挟んだだけなので確かめた訳じゃないけど、いまどき郷でさえCのポインタを理解できない学生がいたり、やれRubyだAJAXだと騒いでいるらしい。いやRubyは素晴らしい言語だし、ちゃらけた文系学生にプログラミングのイロハを教えるには最高だけどさ。 僕も断乎、教育にはJavaやC#よりPythonRubyを推す。しかし郷で騒ぐことじゃないだろ。Rubyを覚えたってRubyのように革新的な何かをつくれるようになる訳じゃなし。別にRailsやAJAXを齧るのは勝手だけど、きっと5年後には誰も話題にしなくなってる。空気のように普及してPHPのように時給数百円までコモディティ化するか、もっとクールなフレームワークが登場しているか、どっちにしても専門学校や職業訓練校で教えれば済むことだ。少なくとも郷が血眼になって取り組むことじゃなくて、藤沢あたりに今も棲息している起業家予備軍

    大学で身につけるべきは技能より教養だろ - 雑種路線でいこう
    highcampus
    highcampus 2007/12/28
    "ここ数年の産学連携なる揺さぶりが、大学に対して何らかの刺激とか人材の移動に繋がったことを前向きに評価しつつ何を産んだかハッキリしない現状を直視し、次どういった段階に持っていくか"
  • 講座設計のイロハ

    1. 数年前、ふと気になって、夏休みの宿題について WWW にどのような情報があるのか、調べてみました。出てくるのはたいてい、宿題に取り組む人のための情報でした。 たまに親視点の情報もありましたが、基的に「宿題に取り組むのは子どもであって私じゃない」というスタンス。子どもが宿題をサボるのは自分が至らないからだ、と考える親はほとんどいないらしい。なるほど、「勉強しなさい」と他人事のようにいうばっかりなわけです。 私が「夏休みの宿題」という小文集を書いたのは、こうした状況への抗議でもありました。宿題は家族で取り組むもの、子どもだけに「やらせる」ものじゃない。だから、保護者は子ども以上に、宿題にきちんと取り組まねばならない。そんな主張が、検索上位にひとつくらい顔を出してもいいはず……。 今日、「夏休みの宿題」と検索してみると、宿題の指導がたいへんというお母さんの質問が上位に出ていました。私の解

    highcampus
    highcampus 2007/12/19
    "どうせ使う気のない(面倒な)メソッドを習得することには関心がなく、手軽に何かの「きっかけ」がほしいというのが本音。"能力が高い人はきっかけさえあれば後は自分でなんとかするもんなあ。
  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071216-00000030-kyt-l26

  • コピペレポート防止策はブログでレポート提出でいいんじゃないか。 - Catch the cow

    方法, 思いつきレポート課題の設計法レポート課題の出し方大学の先生と思われる方の記事を読んで思ったこと。このご時世に、わざわざ手書きは面倒だと思います。ということで、コピペレポート防止策として、大学のレポートをブログで提出する方法を考えました。(ただし、数式・化学式などを多用しないタイプのレポートに限って有効。) やり方1.まず、念のため、そもそも知的生産を剽窃することは犯罪であること、ネット上にコピペ記事をさらす行為は違法であることは、授業を始める前に学生に伝えておく。もし、それでもコピペレポートを出す学生がいたなら、それは自覚してやったことなのだから、結果に対する責任は自分でとってもらうことも申し伝えておく。その上で、以下のどちらかの方法を取る。2-a.学生には各自ブログを開設してもらって、レポート提出の際には、教授あてにメールでレポート記事のURLを送付。2-b.あるいは、授業ごとに

    highcampus
    highcampus 2007/12/07
    ブログでレポート提出は、ソーシャルな場面にレポート・論文を出すということの意義を学ぶにはいいかもしれない。/この手の話題は派生エントリが多すぎてブクマしきれないくらいだ。それだけ重要な話題ってことか。
  • レポート課題の設計法

    1. 私の資料室 みんなの資料広場HAPPYCAMPUS レポート売買サイト ここまで来てるんやね 過去ログ〔レポート課題の出し方(2005-09-10)〕にリンクしても読む人があまりいないから、何度でも同じことを書こうかと思う。 コピペレポート対策の3ステップ とても簡単です。 教官のロゴ入りなど「特殊なレポート用紙」を配布する 「手書き」を必須とする レポートの「行数を指定」する 学生が楽して何も身につかないことを恐れているわけだから、「特殊なレポート用紙」でフォーマットを指定、「手書き」の手間をかけさせ、「行数を指定」し要約や水増しを不可避とすればよい。 「紙をなくした」場合は研究室へ取りにくるよう指示。「プリンタ出力」は零点にする、障害ゆえに手書きが困難な学生は必ず事前に申し出なさい、と言明。「指定行数違反」は1行につき20点ずつ減点する、と説明。ちゃんと下書きして、文字数・行数を

    highcampus
    highcampus 2007/12/07
    言及したいところがありすぎて困る。建設的ということはこういうことを言うんだなー。手本にしよう。
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  • 「取り合えず中学位まででいいのかな?」っと思いますよ - 混沌(Chaos)なバグ

    最初に・・・「義務教育とかは中学位まででいいのかな?」のタイトルでTBを送ってしまいました。 ”義務教育”→”取り合えず”です 間違いです申し訳ありません。失礼いたしました。 独学に勝る勉強はない(2) 今だから自分は思うけど小学校、中学校で習った事は大切だと思う。 体育とかチームプレイを学んだり、体を作るのに必要だと思うし、道徳なんかの授業はもっと時間を懸けてもいいと思う。*1 音楽人生を豊かにするし、国語力がこんなに必要になるとは思わなかった。 科目以外でも学ぶ事は沢山あるよ。整理整頓なんてプロジェクトを仕切る上で基のスキルだ。 まぁ↑の事は自分自身が全く適当にしてたから、今は大切さが判るんだろねorz 日教育が義務として最低限の力をつけせさようとしてるのは理解できます。 しかし高等学校っと言われる所はどうなんでしょう? 自分は高校時代に勉強なんて殆どしませんでした。 なぜなら

    「取り合えず中学位まででいいのかな?」っと思いますよ - 混沌(Chaos)なバグ
    highcampus
    highcampus 2007/11/30
    しかし目的のない人に自分探しを勧めると、大抵自分の内面を見つめるという無駄な行為に時間を費やしてしまう罠。その意味では、この記事にある自分探しの形はいいかも。僕は自分探しという言葉自体嫌いだけど。
  • 詩になるもの:大学は時間を買うところ

    ひとしきりあって。たけくまメモ : 独学に勝る勉強はない(2)要は、現行の教育制度のもとでは「とりこぼされる」人間が多いわけですから、そういう人たちのための「別種の選択肢」を、社会がどこまで用意できるかという話なんですよ。ニートや引き籠もり・荒れた中学高校のニュースを聞く度に、俺が思うのはそういうことなんですね。 現在の制度上では、やはり大学が一番広いとりこぼしの受け皿になってると思います。たけくまさんの文脈で「とりこぼしがない」とは何を意味するかというと、最終的に皆が何らかの職に就き、社会に出て生き生きと働くことですよね。違ったら申し訳ないです。 たけくまさんのブログでは自信の経験から、教育に専門職的なアプローチで攻めているように見受けられます。この記事では、一般、総合職的なアプローチとして、僕の大学生としての経験から、上記のような受け皿としてみた時の大学と、そこで過ごす時間、努力の場と

  • http://www.blog15.net/archives/51180021.html

    highcampus
    highcampus 2007/11/30
    "自発的にやる子供の数を多く見積もりすぎているということだ。"
  • 学校と学校の勉強内容は分けて考えよう - 詩になるもの

    たけくまメモ : 独学に勝る勉強はない(1) はてなブックマーク - たけくまメモ : 独学に勝る勉強はない(1) そんなわけで。 このはてブエントリ見れば分かる通り、「勉強」「学校」という言葉一つとっても、やっぱり想起されるテーマが多すぎるね。元のエントリには学校という言葉が入ってないにもかかわらず、この話題の広がりよう。まー竹熊さん自体が今回は言いたいことの質からずれたことを書いたって言っているし。それくらい、勉強や学校についての議論はあっちやこっちに迷走しやすいんだな。次回以降の記事を確認して僕も記事を書こうと思うけど、そこでもやっぱり学校と学校の勉強内容は別に考えるべきだと思う。 良コメントがいっぱいあったからスターはたくさんつけた。以下、はてブコメントから考察材料になるものをいくつか抜粋しよう。 b:id:Crone " 知ることが楽しくて勉強好きな人も、努力が点数という結果に

    学校と学校の勉強内容は分けて考えよう - 詩になるもの
  • 独学に勝る勉強はない(1): たけくまメモ

    ※追記:最初にアップしてから少し書き足してあります。 今回書こうと考えているのは、「学校の勉強」についてです。俺は、自分が高卒だから言うのではないですが、「学校の勉強」というのは、当は小学校の六年間で充分ではないかと考えてます。俺自身、胸に手を当ててみても、47年間の人生当に役に立った、と思えるのは小学校で習った「読み書きソロバン(算数)」だけで、これには感謝しています。 でも中学以降の勉強となると、因数分解なんてすっかりやり方を忘れてますし、英語も中二レベルくらいからだいぶあやしい。それ以外の学科の内容もほとんど忘れちゃってる。高校の授業も同様です。中学高校の勉強も、大学以降に気で学問しようと考えたら絶対必要なんだと思いますけど、すべての人間が学者になるわけではない。俺ばかりでなく、ほとんどの人には「受験勉強」以外の意味はあんまりないのではないでしょうか。 でも学校をさぼった記憶

    highcampus
    highcampus 2007/11/28
    僕は大学で「役立たない理論」ではなく「理論を役立てられない自分の能力の無さ」をこそ責めるべきと教わったなー/続きのエントリも確認してから、「知識の文脈」の話で記事書こうかな。