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ブックマーク / samuraiblue.jp (10)

  • ザッケローニ監督手記 vol.33「4年目の私の日本」

    での仕事も4年目に入り、来日当初に比べると、さすがに大きな発見や驚きは少なくなりました。そういう意味では日の生活に慣れたのでしょう。ただ、いまだにに関しては発見が残っている気がします。すし、刺身、ソバ、とんかつなどに続いて昨年、私のお気に入りリストに入ったものが幾つかあります。たとえば、しゃぶしゃぶ。肉だけではなく魚介類にもトライしましたが、シーズンの時期のカニしゃぶはとても美味でした。鍋物は日の冬の定番だそうですが、一つの鍋を大勢で共有することもまったく抵抗はありませんでした。お好み焼きも最近べたものの中では印象に残っています。ピザと比べてどう思うかと聞かれると答えに窮しますが、とにかく、日ではどこに行っても、その土地と結びついたおいしいものがべられることに感心します。ヨーロッパでは必ずしもそうはいきませんからね。日では駅の中でもおいしいものがべられる。東京駅などそう

  • ザッケローニ監督手記 vol.32「2014年年頭に思う」

    新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 2014年は私にとっても、日本代表チームにとっても、そしていつも温かい声援を送ってくださっているファン、サポーターの皆さんにとっても大事な年になります。いうまでもなく、6月にブラジルでワールドカップがあるからです。2010年10月のアルゼンチン戦で初采配をふるって以来、着実に積み上げてきたものを披露する集大成の場にワールドカップはなることでしょう。日本代表にかかわるすべての人にとって素晴らしい1年になることを祈ってやみません。 さて、大きなプロジェクトを成功に導くには一人の力では無理です。頼もしい仲間がいてこそ目標は実現に近づきます。皆さんの声援も後押しする力の一つですが、私の場合、最も身近な仲間といえば、チームを支えるスタッフということになるでしょう。幸運なことに、1995年にウディネーゼで指揮を執った後、私はACミラン、

  • ザッケローニ監督手記 vol.30「神頼みではなく」

    おかげさまで11月のオランダ、ベルギーとのテストマッチは内容に結果が伴う試合ができました。FIFAランキングでいえば、10月に日が無得点で連敗したセルビアやベラルーシより、オランダやベルギーの方がはるかに格上でした。にもかかわらず、オランダとは2−2で引き分け、ベルギーには3−2で勝つことができました。10月のうちの試合ぶりからして、たった1カ月の間でこうもチームが様変わりするものかと驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。 10月との違いを聞かれたら、まず心身の状態の違いを挙げなければならないでしょう。選手は決してロボットではありません。いつも、いつも、持てる力のすべてを発揮できるわけではないのです。過酷なシーズンの最中であれば代表に招集されるタイミングによって、その時々でコンディションにばらつきがあるのはやむを得ない面があります。10月の試合はそういう状態の選手が多かったのです。11

  • ザッケローニ監督手記 vol.20「オマーン戦を振り返って」

    今年最後の代表戦となったオマーンとのワールドカップ・アジア最終予選は難しい状況で行われたゲームでした。まず、試合が行われたオマーンの首都マスカットの11月の気候と日選手の過半が暮らす欧州の気候との、あまりの違いがありました。ロシアのモスクワを生活のベースにする田圭佑などは氷点下の極寒の地から気温35度の砂漠の国に来て、試合をするわけです。田の場合、事前キャンプ地のカタール・ドーハには試合3日前の11月11日夜に到着しましたが、そういう悪条件が試合にどういう影響を及ぼすのか。把握に努めながらも読み切ることは難しい作業でした。他の欧州組も事情は同じでした。気候への適応という点では今回は11月8日に日を発ち、9日から事前キャンプを張った国内組の方にアドバンテージがあったと思います。一方で欧州組は今回、飛行機移動の長旅の疲れ、時差ぼけの問題は小さかった。欧州からの距離を考えると日よりオマ

  • ザッケローニ監督手記 vol.19「欧州遠征でつかんだもの」

    10月のヨーロッパ遠征はとても有意義なものになりました。結果はご存じのとおり、12日のフランス戦は1―0で勝ち、16日のブラジル戦は0―4で敗れました。勝ったフランス戦は良くて、負けたブラジル戦は悪かった、という単純な思考ではチームを作る仕事はできません。試合の中で何が起き、何ができて、何ができなかったのか。その理由は何なのか。その分析自体は、勝ち負けという“色眼鏡”を外して冷静に行わなければならないのです。もともと、今回のツアーは結果より内容を重視していました。フレンドリーマッチだからこそ、できるトライがあると思っていました。正面切って全力でぶつかることで自分たちのプレーが今の時点でどこまで通用するか見てみたかったのです。 反省点を先に述べるなら、2試合とも気持ちの面で少し問題があったように思います。アウェーのサンドニに乗り込んだフランス戦は試合へのアプローチに消極的な姿を見せてしまいま

  • ザッケローニ監督手記 vol.18「ウソ発見器」

    10月は日サッカーにとって大きな試金石となります。12日にパリでフランス代表と、16日にポーランドのブロツワフでブラジル代表と試合を行います。言うまでもなく、どちらも一級品の相手です。このレベルのチームとの対戦は、私が初采配を振るった2010年10月8日のアルゼンチン戦以来かもしれません。フランスやブラジルのようなハイレベルな相手と戦わない限り、ワールドカップに向けたチーム作りの過程で、浮き彫りにならない課題、得られない情報というのがあるのです。チームも選手も自分たちがどんなポジションにいて、この先、何を伸ばさなければならないか、自分たちはどこまで成長していけるか、じっくり見つめ直す機会になるでしょう。しかも今回は日の外に出ての試合になります。アウェー経験の少ない我々にとっては、このような試合を積み重ねていくことが、今後の成長に向けて必要なことだと思います。 今回対戦するフランスもブラ

  • Vol.11「祝!五輪出場  そしてW杯最終予選」 | ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本” | SAMURAI BLUE | 日本サッカー協会

    3月14日、バーレーンとのロンドン五輪アジア最終予選に勝って、U-23(23歳以下)日本代表が5大会連続のオリンピック出場を決めました。東京・国立競技場で喜びを爆発させる関塚隆監督と選手、スタッフ、サポーターの姿を見ながら、私も非常に誇らしい気持ちになりました。この夏、ロンドンに行けるということは今、この時点でも成功といえることですし、将来に目を向けても素晴らしいことだからです。オリンピック世代が強固になるということは少なくとも向こう10年は、日サッカーの足元を明るく照らしてくれることでしょう。 サッカー人生に似ているところがあります。古いもの、昔のやり方に固執しているだけでは十分に生きた、とは言い難い。常に新しい何かを求め、発見し、挑戦するという刺激がないとやがて衰退するものです。そういう意味では5大会連続でオリンピックに出場するというアンダーエージの成功は日の育成組織が機能し、新

  • ザッケローニ監督手記 vol.05「9月」

    ワールドカップ・ブラジル大会アジア3次予選に臨む日の戦いが始まりました。結果は皆さんもご存じの通り、2試合を戦って1勝1分けの勝ち点4。いろいろな意見はあると思いますが、私は悪くない滑り出しだと思っています。 9月の2試合は二つの異なるチームと異なる条件の下で戦いました。共通するのは朝鮮民主主義人民共和国もウズベキスタンも、日が次のステップ(最終予選)に進むためには避けては通れないライバルであり、そんな両チームと早速戦えたということです。 2日に対戦した朝鮮民主主義人民共和国は、場所が日のホーム(埼玉スタジアム)ということで守備的な策を採りました。自陣に多くの人数を割き、しっかりブロックを作った上でコンパクトにまとまって、日にスペースを与えないようにしてきました。徹底的に日の良さを消す作戦でした。それでも日はたくさんのチャンスを作りました。ゴールは試合終了間際の吉田麻也の1点に

  • ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本” vol.02「引き出しを増やす」| SAMURAI BLUE | 日本サッカー協会

    での暮らしが快適なのは代表チームの足取りとも関係があるのでしょう。就任してから、しっかりと成長を遂げている。その手応えを十分に感じています。 日に来てから記者会見などで、「日の選手は上下関係を重んじるから、監督の指示には忠実だけれど、自分から進んで殻を破るようなことはしない。だから自発的に何かをさせるには苦労するのではないか」とか「日の選手には外国に対してどこかコンプレックスがあるように見えるか」というような質問をよく受けました。 しかし、今のところ、私はそういう面で苦労や不便を感じたことはまったくありません。少なくとも、これまで代表合宿で私が見てきた50人ほどの選手たちは皆、自信を持っている選手ばかりです。責任を持ってやり抜くという日の選手の態度は当に素晴らしいものです。DFたちは攻撃にも、アタッカーたちは守備にも意欲的に取り組んでくれます。「ここから先はオレには関係ない」

  • ザッケローニ監督手記 vol.01「運命の国」

    ちょうど今から1年前、世界はワールドカップの熱狂の中にありました。南アフリカで開かれた世界最大のお祭りを私も家族と一緒に一喜一憂しながら見ていました。もちろん、そのころは私が日本代表の監督になるとは夢にも思っていませんでした。 ワールドカップが始まる1カ月くらい前だったでしょうか。当時はまだユベントスの監督だった私のもとに日本代表監督の岡田武史さんがトリノまで訪ねて来られました。今にして思うと当に不思議でなりません。岡田さんとは共通の知人を介して知り合い、その時は戦術論や日サッカーについていろいろな話をしました。イタリアで長くクラブチームの監督を務めた私ですが、現職の代表監督と話す機会はそうそうないものです。そういう貴重な経験の相手が日の代表監督だったこと。振り返ると運命的なことのように思えます。 そこに何かを感じたのでしょう。ワールドカップの期間中、日は私にとって気になる国にな

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