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ブックマーク / jp.rbth.com (4)

  • 明石元二郎の勝利

    1905年1月9日(グレゴリオ暦1月22日)、数万の労働者とその家族が皇帝ニコライ2世の冬宮に、生活条件改善を訴える嘆願書を手渡すために集まったが、当局の回答は残虐な弾圧だった。その結果、1000人以上が死亡したと推定され、この日は、「血の日曜日」としてロシア史に記録された。 明石元二郎大佐(当時)は、平和なデモを行ったにすぎない市民の死を悼んだかもしれないが、自身の任務の見事な遂行ぶりには満足だったろう。ロシアの革命は現実となり、これは日露戦争での日の勝利を確実にした。 20世紀を迎えたとき、ロシア帝国は繁栄のピークにあった。中央アジアの征服は成功し、ブルガリアはトルコのくびきから解放された。 1895年には、フランスとドイツとともに国際的影響力を行使し、日に対しいわゆる三国干渉を行い、遼東半島を中国に返還させた(日は、1894~1895年の日清戦争での勝利後、下関条約により、中国

    明石元二郎の勝利
  • 麻薬中毒になった革命時代のロシア

    1910年代終わりから1920年代初め、アルコールの禁止によって、ロシアの戦線の兵士の多くがモルヒネ・ベースの痛み止めを打ち、中毒者の数が急増した。 イギリスのドラマーシリーズ『ヤング・ドクター』。原作はミハイル・ブルガーコフの短編集「若き医師の手記」=Kinopoisk.ru ミハイル・ブルガーコフの短編小説「モルヒネ」(1926年)は、病気になってモルヒネを注射した後に、深刻な依存症になった、地方病院の医師の話。医師の生活はすぐに崩壊し、依存症から抜けることができず、銃で自殺を図る。ブルガーコフは物語の状況を良く知っていた。自身が1917年から数年間、モルヒネを使用した医師であった。これは珍しいケースではない。 戦争と麻薬 皇后アレクサンドラ(中央)と娘たちが、ツァールスコエ・セローの病院で兵士を慰問=タス通信 第一次世界大戦(1914~1918年)とロシア革命(1917年)の時代、モ

    麻薬中毒になった革命時代のロシア
  • 本物のロシア料理をモスクワで探す

    レストランとカフェ 伝統的なロシア料理をふるまう店の特徴をあげたら、モスクワのさまざまなレストランに当てはまってしまう。2014年に急落したルーブルのおかげで、外国人はメニューの安さにおどろくことだろう。モスクワ中心部を歩けば、美の冒険の始まりだ! ハビエル・ガルシアさん(35)、購買部長、スペイン・マドリッド、ロシア訪問5回 「ずっとロシアスープとペリメニ(水餃子)が大好きだった。だけどロシア人女性とデートするようになって、自分がロシア料理について何も知らないことがわかった。今は朝でスィルニク(カッテージチーズ・パンケーキ)をべてる。これを初めてべたのは、パトリアルフ池近くの『マリヴァンナ・レストラン』。ロシア人が朝べるものだと彼女から聞いて、つくりかたも学んだ」 スィルニク(カッテージチーズ・パンケーキ)=写真提供:『オデッサ・ママ』 「彼女はレストランに行くのが好きで

    本物のロシア料理をモスクワで探す
    hitoriyokozuna
    hitoriyokozuna 2017/04/09
    このネコの顔がたまらんなぁ。。
  • 時を超えたアイヌ女性の「笑顔」

    アイヌは古代に遡る民族で、その起源は紀元前13,000年頃のロシアと日の領域まで遡る。そして、この民族の独特の特徴の一つは、唇と、手からひじまでの部分の腕にされた入れ墨である。 アイヌは古代に遡る民族で、その起源は紀元前13,000年頃のロシアと日の領域まで遡る。 女性たちは顔や腕に一風変わった入れ墨をしていた。 Press photo

    時を超えたアイヌ女性の「笑顔」
    hitoriyokozuna
    hitoriyokozuna 2017/03/16
    ロシアの新聞記事で知る、アイヌの習俗…。教科書では教えてくれない史実はたくさんあるもんだ。
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