慶長豊後地震(けいちょうぶんごじしん)は、1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)、あるいは1596年9月1日(文禄5年閏7月9日)に豊後国(現在の大分県)で発生した地震である。別府湾地震、大分地震などとも呼ばれる。死者800余人[注 3]。 この地震によって別府湾にあった瓜生島及び久光島の2島が沈んだと伝えられる。ただし、これらの島は実在自体が未確認であり、瓜生島は島ではなく沖ノ浜と呼ばれる沿岸の港町であったとする説等もある。臼杵藩の記録『稲葉家譜』[注 4]には津波が豊府沖浜を襲い溺死者を出したとある[2]。『府内旧記』[注 5]には「勢家村二十余町を隔てて、瓜生島あり、或は沖ノ浜と云ふ。」とある[3]。 震源地は現在の大分県の別府湾口で、マグニチュードは6.9-7.8と推定される。中央構造線断層帯および別府湾-日出生断層帯[4]東部を震源断層として発生した大陸プレート内地震と推定さ
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