安倍総理の靖国参拝の報を聞いて真っ先に思ったのは、「アメリカと事を構えるつもりなのか」という事だった。その覚悟を決めたと言うのなら、安倍政権を「対米従属」と見てきた私の見方を変更しなければならない。そうではなくアメリカにも理解されるはずだと考えているのなら、アメリカに対する理解がまるで私とは異なる。 国家のリーダーが国家のために犠牲となった戦没者に敬意を表明するのは当然のことである。誰もそのことに異を唱えている訳ではない。しかし靖国参拝が問題とされるのは東京裁判で戦争犯罪人とされた人物が祀られているからである。誰が裁いたかと言えばアメリカを中心とする連合国である。 日本と同様に敗戦国となったドイツは日本より先にニュールンベルグ裁判で戦争犯罪を裁かれた。戦勝国が敗者の戦争犯罪を裁く裁判は、勝者の犯罪をすべて免責にするという一方的なもので、裁判官はすべて連合国から出された。そうした事への批判を
デストルドー(英語: destrudoまたはdeath drive、ドイツ語:Todestrieb (トーデストリープ))とは、ジークムント・フロイトの提唱した精神分析学用語で、死へ向かおうとする欲動のこと。タナトス(英語: Thanatos)もほぼ同義で、死の神であるタナトスの神話に由来する。 フロイトはTodestriebと対のようにLebenstriebという語を用いたが、日本語ではともに「死の本能」「生の本能(エロス)」と訳されることが多い。しかしながら本能には「遺伝的に組み込まれた行動パターン」という意味合いが強くTrieb[1]をそのように訳すのは誤解を招きかねない面があり、彼は本能(Instinkt)と別に、自我に対して何かに駆りたてさせる衝動という意味でTriebを使ったとされる。英仏訳でも誤りが指摘され、訂正が施されたが日本語訳ではまだ「本能」と訳されていることも多い。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く