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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (6)

  • なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「VIPPERvsVIPブログ連合」という聖戦 流行りは、「VIPPERvsVIPブログ連合」*1らしい。簡単にいえば、2ちゃんねるVIPネタを自分のブログでまとめて人を呼び、アフィリエイトなどで小銭を稼ぐのはけしからん、ということだ。(詳細はこのあたり*2、*3) 「のま」問題の再来といってもいいだろう。「のま」問題のときに、ボクはこれは「宗教戦争だ」といった。 このような意味で、2ちゃんねらーにとって「オマエモナー」は、単なる流行のフレーズ以上の特別な意味を持つ。 そして「モナー」とはこのような最強神としての偶像化である。「のまネコ」問題とは、その神が「無断で」金儲けに使われたのであり、神聖な神への冒涜の意味がある。これはある意味2ちゃねらーにとっても「宗教戦争」なのである。そうこれは「宗教戦争」というネタであるが、またマジなのだ。 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか

    なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ最近の若者は空気が読めないのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ■最近の若者は「生真面目」? ①空気を読む努力しますか?空気に従うよう努力しますか? どっきりで芸能人に突然知らない業界人が「ひさしぶり」とはなしかけてくるとその芸能人はどうする、というのがありました。芸能人は疑いながらも話をあわせようとします。しかし相手がだれかわからず、どう振る舞うべきかコンテクストが読めず、立場が宙吊りにされます。そのあたふたがおもしろいというドッキリです。ここにあるのは、懸命に空気を読む、そしてそれに従おうと努力するが、読めないという状況です。だれもが日常、このような宙吊りを味わっているからおもしろいのです。 この状況を、①「空気を読む努力しますか?」、②「空気に従うよう努力しますか?」の2項目で、以下の四つのパターンを考えました。 ①生真面目型(あり/あり)・・・懸命に空気を読もうとして、読めずに、あたふたする ②融通(ひねくれ)型(あり/なし)・・・空気を読みつ

    なぜ最近の若者は空気が読めないのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • オタクであることはなぜ恥ずかしいのか

    なぜ「オタク」は恥ずかしのか 「涼宮ハルヒの憂」がなにげに人気です。ストーリーテーラー役のキョンはいつも被害者で、いつも正常(正しい)です。それは、責任はいつも外部にあるという責任回避的立場です。それでいて、ハルヒに繋がることでセカイの中心にいることができる。これってとても幸せな立場です。 そもそもセカイの中心にいることは難しいことですが、それで重要な位置にいるときには、そこに大きな責任がともなうものです。しかしキョンは責任回避しながらセカイの中心にいられるわけです。それでいてかわいい女性に好かれるのですから、こんな都合の良い、おいしい立ち位置はありません。これがセカイ系の物語の一般的なパターンではないでしょうか。 セカイ系の物語へはまることの「恥ずかしさ」は、このような「責任回避しながらセカイの中心にいる」というとても都合の良い、そして「現実逃避」的であるからです。「オタク系アニメ」は

  • なぜ最近の男性は「彼女依存」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    男性の「彼女依存」 TVでスポーツコーチ言っていましたが、昔は女性スポーツ選手は男性ができると競技に身が入らなくなるのでつきあいを禁止されたが、最近の女性は練習の糧になるぐらいで、むしろ男性の方が女々しいというようなことを言っていました。 昔は家を守るということで子供は男の子が望まれましたが、最近は女の子が望まれるようです。 最近は恋人が別れるときには男性の方が泣いてすがるらしいです。 最近は熟年離婚が流行りで男が定年すると女性から離婚を言い渡されるので、男性は戦々恐々である、というようなことを言われます。 こういうのは一括りとして男は弱くなり、女は強くなったというのでしょうが、かく言うボクも彼女にはデレデレで、別れるなどと言われると泣いてしまうかもしれません(笑) なぜにこれほど男性が弱くなったのか。男尊女卑という近代システムが解体しているということでしょう。古くは道徳としての男尊女卑で

  • なぜ童貞オタクとヤリチンは似た者なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    想像関係と象徴関係 人間関係は、想像関係と象徴関係のバランスでできている。想像関係とは一対一の関係であり、互いに欲望しあうことで、愛着が増す、相手がかけがえのない存在になる。それによって自分もかけがえのない存在になる、ということだ。このような関係は「転移」と呼ばれ、上手くいっているときは愛の関係であるが、バランスが崩れると憎しみへと容易に転じる。 それを抑制するために、象徴関係がある。象徴関係とは、社会的な立場である。親と子、先生と生徒、上司と部下など。これらのように社会的な決まりによって、人間関係を規定する。これによって、他者への過剰な欲望は抑制される。たとえば、深く愛し合う男女にもこのような抑制が働いている。男はこうあれ、女はこうあれ、というと社会的な決まりがあり、恋愛は進む。 なぜ「空気を読む」のか ポストモダン的には現代はこのような象徴関係が揺らいでいる。多様な価値観の中で、社会的

    なぜ童貞オタクとヤリチンは似た者なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽 〜 「薄氷のコミュニケーション」の章 - なぜ若者は怒らずにキレるのか?

    薄氷の共犯関係 「若者よ怒れ」 平野さんは学生運動の元闘士。出版社時代に労働争議で指名解雇された後の76年、新宿ロフトを開店した。「わかってたまるか」社会への怒りをぶつける若者の姿勢と音楽にほれ込んだ。82年、店を仲間に託し、海外放浪の旅に出る。10年後に帰国したとき、ロックは業界に取り込まれ、メジャー志向のバンドが増えていた。若者の話しぶりにも異変を感じた。いつも「君の気持ちもわかるよ」から始まり、「ま、いいか」で終わる。「わかってたまるか」と、ぶつかってこそ得られる絆。それを知ってもらおうと、95年に「ロフトプラスワン」を作った。右翼、左翼、AV監督、オタク、格闘家らが出演し、客と討論するトークのライブハウスだ。・・・ あらがいようのない時代の流れ。だが、平野さんは違和感を覚える。「何でも受容する懐の深さが新宿のよさだったのに」髪の毛を逆立てたロック少年が警官に職務質問され、かばんを開

    まなざしの快楽 〜 「薄氷のコミュニケーション」の章 - なぜ若者は怒らずにキレるのか?
    hyakdaivsgm
    hyakdaivsgm 2006/04/13
    行き場なし
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