ヨーロッパで開花した近代タイポグラフィー運動『ノイエ・ティポグラフィー』の理念を支持しながら、日本の活字文化で独自の表現の確立を志し、原はこれを『僕達の新活版術』と呼んだ[1]。原のデザインスタイルは理論的に組立てるもので、作家性のあるものではなく、依頼者側に立ち[1]、装幀、ポスター、パッケージなどを数多く手がけた。生涯に手がけた出版物の総数は、雑誌の表紙デザインなども含めれば、おおよそ3000点近くにもおよぶ[1]。 特に装幀において高く評価されており、1940年代末から1970年代半ばまで装幀者として第一線で活躍[1]。出版界に一時代を築いた[1]。美術評論家の勝見勝は原を『ブックデザインの天皇』と評している[1][2]。 原は日本デザインセンターの創設に参画し、デザインビジネスの最前線で活躍するかたわら、美術大学で教鞭を執るなど教育者としても知られている[1]。 デザインに用いられ