詩人・清水昶は、絶望していた。とりわけ、現代詩に絶望していた。「(前略)ただ想起せよ/ときにおれたちは/劣悪な家系の鎖をひきずる/きつい目をした犬であり/アジアの辺境にひっそり巣喰う/どぶねずみのようないのちであったりすることを/そこから/ひたすらに出発する/雪の樹林で身ぶるいする夕映えを吸い/肉体の深い淵に向かって/最初にして最後の/出発を決意する」(清水昶「初冬に発つ」)清水のこの詩は、出発の決意は語っていても、その実現は語っていない。まるで実現しなかった革命の影のようである。清水の詩は、どれも、社会体制からの谺を宿している。その谺が帰って来なくなった時代には、絶望は約束されていた。清水は、2000年になると突然、詩を止めてしまう。そして、猛烈な勢いで俳句を書き始めるのである。 「異国荒れブラック苦し初夏の椅子」「少年が蟻を殺した古里遠く」「暗緑の森に消される背中あり」「天山の革命なら
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