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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/delfini2 (3)

  • 詩人、清水昶の俳句

    詩人・清水昶は、絶望していた。とりわけ、現代詩に絶望していた。「(前略)ただ想起せよ/ときにおれたちは/劣悪な家系の鎖をひきずる/きつい目をした犬であり/アジアの辺境にひっそり巣喰う/どぶねずみのようないのちであったりすることを/そこから/ひたすらに出発する/雪の樹林で身ぶるいする夕映えを吸い/肉体の深い淵に向かって/最初にして最後の/出発を決意する」(清水昶「初冬に発つ」)清水のこの詩は、出発の決意は語っていても、その実現は語っていない。まるで実現しなかった革命の影のようである。清水の詩は、どれも、社会体制からの谺を宿している。その谺が帰って来なくなった時代には、絶望は約束されていた。清水は、2000年になると突然、詩を止めてしまう。そして、猛烈な勢いで俳句を書き始めるのである。 「異国荒れブラック苦し初夏の椅子」「少年が蟻を殺した古里遠く」「暗緑の森に消される背中あり」「天山の革命なら

    詩人、清水昶の俳句
    hyougen
    hyougen 2014/03/13
  • 清水昶の詩から俳句への転位について

    ■旧暦10月10日、土曜日、 (写真)無題 なぜ、清水昶が詩を辞めたのか。これについて、「注文が来なくなったから」という意見があるらしい。高名な二人の文学者とその提灯を持つ者がしきりにはしゃいでいる。これは、はっきり言って、間違いである。それは質的な理由ではなく、現代詩に内在的な問題に清水さんが気がついたからだ。俳句など、いくら書いても注文は来なかったのである。注文云々は、表面的で、自己投影的な見方に過ぎない。 60年代、70年代の学生運動以降、権力のありようが大きく変わった。権力は目に見える抑圧的なものから、科学技術と結びついた合理的なものへ。可視的なものから偏在する不可視的なものへ変わっていった。清水さんの俳句は、実は、権力のこうした変化に対応している。清水さんの詩を含む現代詩は、こうした日常の変化に、ついていけず、奇妙に大衆から浮き上がった、難解なところで、自己満足していたか、ある

    清水昶の詩から俳句への転位について
    hyougen
    hyougen 2011/11/05
  • pattern poetry(図形詩)について

    ■旧暦6月18日、月曜日、、海の日 (写真)街角 終日、ベッドの上。だいぶ、腰痛は良くなってきたが、外出できないので、ストレスが溜まる。蝉が鳴かないなあ。金曜日に、カナカナと油蝉の鳴き声をちょっと聴いてから、しばらく沈黙して、今日は、夕方、油蝉の弱弱しい声が神社の森方向から聞こえて来た。普段の夏と比べれば、沈黙と言ってくらいの蝉の声である。汚染された木々の放射能と無関係ならいいのだが。暑いので、久しぶりにブラッドベリの『10月はたそがれの国』を読む。犬が季節の匂いや気配を運んでくる描写が好きで、とくに、「使者」を繰り返し。 堀内利美さんの図形詩『Poetry for the Eye』(コールサック社)が刷り上がった。この詩集を読んで、pattern poetry(図形詩)について考えたことを解説に書いたので、それを転載する。 ☆ 眼と耳の戯れ―pattern poetryのアクチュアリティ

    pattern poetry(図形詩)について
    hyougen
    hyougen 2011/07/18
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