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ブックマーク / sibunko.exblog.jp (2)

  • たなかあきみつ『イナシュヴェ』(書肆山田) | 現代詩文庫を読む

    たなかあきみつ詩集『イナシュヴェ』について 詩は言語を用いる作品であるが、その伝達においては概念的コミュニケーションよりはイメージコミュニケーションの果たす役割が大きい。もちろん、論理的に明快である詩もあるし、感情が明快に伝わってくる詩もある。そういう詩作品においては、言語が概念として論理的に機能し、あるいは言語が感情の伝達を媒介するものとして滞りなく機能している。そういう詩作品を前にした読者は、「この詩はこういうことを言っているんだね」と容易に理解することができる。 だが一方で詩は、言語にうまくなじまないようなものも言語を媒介に伝達してしまうものであるし、作者の方でも言語にうまく回収できないものをぎりぎり言語化して伝達するものでもある。言葉が概念を伝達するテクストの典型的なジャンルは論文であり、言葉が物語や感情を伝達するテクストの典型的なジャンルは小説である。詩はテクストの諸ジャンルの果

    たなかあきみつ『イナシュヴェ』(書肆山田) | 現代詩文庫を読む
    hyougen
    hyougen 2014/06/20
  • 山田亮太『ジャイアントフィールド』(思潮社) | 現代詩文庫を読む

    山田亮太詩集『ジャイアントフィールド』について 詩はなぜ「難しい」のだろうか。詩はなぜ「わからない」のだろうか。それは、「わかりやすい」文章が一義的であるのに対して、詩は多義的であるからだろう。解釈が一通りに容易に定まれば、何も難しいことはない。だが、そもそも解釈が思いつかないような場合や、解釈がいくらでもありどの解釈をとったらよいかわからないとき、人はその文章を「難しい」と形容する。そして、詩が単に多義的であるならばまだ救いはあるかもしれない。これだけ多様に解釈できるということは、好きな解釈を自由に選択していいということだ、と読者は開き直れるからである。だが、解釈が両義的であったらどうだろう。つまり、相反する二つの解釈が同時に成立し、しかもそれらの解釈に優劣がつけられないとき、詩はまったくもって「難しい」ものとなるであろう。両義性を両義性のまま受け入れること、矛盾や対立をそのまま受け入れ

    山田亮太『ジャイアントフィールド』(思潮社) | 現代詩文庫を読む
    hyougen
    hyougen 2013/03/13
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