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2012年8月2日のブックマーク (2件)

  • 【末代までの教育論】五輪で金メダル獲っても噛むな - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

    「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました」 こう始まる遺書を残して円谷幸吉選手は自らの命を絶った。 1964(昭和39)年の東京五輪。マラソン(当時は男子のみ)で銅メダルを獲得、日中を沸かせた男である。 国立競技場に、先頭のアベベに続いて入ってきた円谷選手はトラック内でドイツのヒートリーに抜かれ銅メダルに終わる。最後の最後に抜かれたが、彼は一度も後ろを振り向かなかった。父親から「男は後ろを振り向くな!!」と言われ続けてきたからだという。 東京五輪最終日に展開されたこの劇的なドラマは、中学1年生であった私に鮮明な記憶として残っている。特別に華々しいパフォーマンスをすることもなく淡々と表彰台に登り、少し照れ臭そうに優しく手を挙げて大観衆に応えていた。開催国日の陸上界唯一のメダルであった。 そして、期待と重圧の中で迎えた4年後のメキシコ五輪、68(昭和

    impreza98
    impreza98 2012/08/02
    中嶋悟の現役時代の発言に「別に日本を代表して走ってるわけじゃない」みたいなのがあって、これこそが中嶋の強さだなぁと思ったもんです
  • 引き分け狙い…なでしこ、フェアプレー精神はどこへ (写真=共同) :日本経済新聞

    1968年のメキシコ・オリンピックで、日を率いていた長沼健監督が準々決勝で地元メキシコと当たらないようにするため、グループリーグ第3戦のスペイン戦で引き分けを指示したことはよく知られている。 ■メキシコ五輪で長沼監督が指示したが… その試合の後半途中、湯口栄蔵選手を送り出すとき、長沼監督は「点を取るな、このまま0-0の引き分けに持ち込めとみんなに伝えろ」と指示した。狙いどおりに0-0で引き分け。準々決勝でフランスと当たった日は3-1で快勝して、銅メダル獲得の大きな足がかりとした。 だが、メキシコ・オリンピックのときの日本代表は、世界の男子サッカーでまったくのアウトサイダーだった。日で生中継があったわけでも、少年少女を含めた国民の何分の一かが見守っていたわけでもない。 まして「引き分け狙い」は国際的には伝わることはなく、帰国してから長沼監督が初めて明かしたことだった。 ■「後半の途中に

    impreza98
    impreza98 2012/08/02
    これでフェアプレー云々言われてしまうと、F1なんてペテン師の競演になってしまうのじゃが…