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2008年6月20日のブックマーク (19件)

  • ライナー・マリア・リルケ - Wikipedia

    ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke、1875年12月4日 - 1926年12月29日)は、オーストリアの詩人。シュテファン・ゲオルゲ、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールとともに時代を代表するドイツ語詩人として知られる。 プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などに学び、早くから詩を発表し始める。当初は甘美な旋律をもつ恋愛抒情詩を発表していたが、ロシアへの旅行における精神的な経験を経て『形象詩集』『時祷詩集』で独自の言語表現へと歩みだした。1902年よりオーギュスト・ロダンとの交流を通じて彼の芸術観に深い感銘を受け、その影響から言語を通じて手探りで対象に迫ろうとする「事物詩」を収めた『新詩集』を発表、それとともにパリでの生活を基に都会小説の先駆『マルテの手記』を執筆する。 第一次大戦を苦悩のうちに過ごした後スイスに居を移し、ここでヴァレリーの詩に親しみながら晩

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  • ポール・ヴァレリー - Wikipedia

    アンブロワズ・ポール・トゥサン・ジュール・ヴァレリー(仏: Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry, 1871年10月30日 - 1945年7月20日)は、フランスの詩人、小説家、評論家。多岐にわたる旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。 生涯と作品[編集] 生い立ち・詩作[編集] 1871年、地中海沿岸のエロー県の港町セットに生まれる。父バルテレミーはコルシカ島バスティア生まれの税官吏で、祖先はコルシカ島の船乗り。母ファニーはトリエステ生まれで、この町駐在のイタリア領事の令嬢だった。5歳でドミニコ会の学校に入学。7歳でセットの初等学校入学、11歳で高等科に進学。少年期は読書を好んだ。1884年にモンペリエに移住し同地のリセに入学。祖父のような船乗りに憧れたが、父の反対と数学が不得手なために挫折した。またしばしば母方の郷里ジェノ

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  • シャルル・ボードレール - Wikipedia

    シャルル=ピエール・ボードレール(フランス語: Charles-Pierre Baudelaire(発音例)、1821年4月9日 - 1867年8月31日[1])は、フランスの詩人、評論家である。 フランス近代詩、象徴主義の創始者。6歳で父と死別。翌年、母親が再婚したのを悩み、文学を志した。詩集『悪の華』は出版直後、風俗壊乱で起訴された。一方、芸術家たちは、その独創性と芸術的完成を「新しい戦慄の創造」と称えた。他に『パリの憂』などがある。 生涯[編集] 自画像 1821年4月9日、ジョゼフ・フランソワ・ボードレールの息子としてパリに生まれる。父ジョゼフはパリ大学で哲学と神学を学んだ司祭であったが、後に職を辞し、芸術家と交わるなど、芸術に深い関心を持っていた。第一帝政下で上院議長を務めた人物でもあった。晩婚のジョゼフはボードレールが6歳のときに亡くなり、その1年半後、母カロリーヌは、将来有

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  • ポール・ヴェルレーヌ - Wikipedia

    ポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine, 1844年3月30日 - 1896年1月8日)は、フランスの詩人。ポール・ヴェルレーヌ、あるいは単にヴェルレーヌとも呼ばれる。ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボーらとともに、象徴派といわれる。多彩な韻を踏んだ約540篇の詩を残す一方で、破滅的な人生を送った。 中学卒業直後、高踏派の詩人たちと交わり、14歳でユゴーに詩作品を送った早熟の天才。『土星びとの歌』『女友だち』『よい歌』などの詩集で有名になった。 27歳のとき、16歳の少年ランボーから手紙を受け、その詩心に感心して交際する。だが意見の相違からピストルでランボーを負傷させた。有名な詩集『叡知』には服役中の心境が詠まれている。 放埒な生活は生涯なおらず、貧窮のうちに施療病院で死んだ。 生涯と作品[編集] 彼の一生には、酒・女・神・祈り・反逆・背徳・悔恨が混在

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    inmymemory
    inmymemory 2008/06/20
    上田敏による「秋の日のヰ゛オロンのためいきの……」(落葉=秋の歌)、堀口大學による「秋風のヴィオロンの附節ながき啜泣……」(秋の歌)、「巷に雨の降るごとく……」などの訳詩
  • アルチュール・ランボー - Wikipedia

    アルチュール・ランボー、またはランボオ(Arthur Rimbaud、1854年10月20日 - 1891年11月10日)は、フランスの詩人。アルベール・ティボーデにより、ヴェルレーヌ、マラルメ、コルビエール、ロートレアモン伯爵と並び「1870年の五人の異端者」の一人に数えられた。早熟な天才、神童と称された彼は、15歳のときから詩を書き始め20歳で詩を放棄するまでのわずか数年の間に「酔いどれ船(フランス語版)」などの高踏派、象徴派の韻文詩から散文詩集『地獄の季節』、散文詩・自由詩による『イリュミナシオン』(一部を除いて没後出版)まで詩の伝統を大きく変えた。彼の詩論、詩人論として知られる「見者の手紙(フランス語版)」において「詩人は、あらゆる感覚の、長期にわたる、広大無辺でしかも理に即した錯乱により、見者となる」と語り、ブルジョワ道徳をはじめとするすべての因習、既成概念、既存の秩序を捨て去り

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  • ステファヌ・マラルメ - Wikipedia

    ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842年3月18日 - 1898年9月9日)は、アルチュール・ランボーと並ぶ19世紀フランス象徴派の代表的詩人。代表作に『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)、評論集『ディヴァガシオン』など。 生涯と詩作[編集] パリに生まれる。名エティエンヌ・マラルメ(Étienne Mallarmé、フランス語の男子名でStéphaneはÉtienneの異形である)。若いうちにユーゴーらのロマン派の影響を受けて詩作を始め、ボードレールの作風やアメリカの詩人・作家のエドガー・アラン・ポーの『詩の原理』をもとに創った詩が文壇に知られるようになる。第三共和政下パリで、コンドルセ中学の教師として英語を教える傍ら、生涯にわたって詩の可能性を探り、難解な詩や批評を書き綴った。 初期詩篇と呼ばれる1

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  • ロートレアモン伯爵 - Wikipedia

    ロートレアモン伯爵 ロートレアモン伯爵(Le Comte de Lautréamont, 1846年4月4日 - 1870年11月24日)は、フランスの詩人、作家。 後のシュルレアリスト達に大きな影響を与えた。 人物[編集] 名はイジドール・リュシアン・デュカス(Isidore Lucien Ducasse)。1846年、ウルグアイのモンテビデオで、父フランソワと母ジャケットの間に生まれる。父フランソワはフランスから1839年に移住し、現地のフランス領事館の書記官として働いていたが、のちに副領事にまで出世する。母ジャケットはフランソワから数年遅れてウルグアイに移住するが、イジドールを出産後ほどなく死去している。母の死因は自殺とも言われたが、詳細は不明のままである。モンテビデオで少年時代を過ごしたイジドールは、両親の出身地であるタルブ及びポーのリセにて学生生活を送るため、13歳で初めてフラ

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  • フランソワ・ヴィヨン - Wikipedia

    フランソワ・ヴィヨン フランソワ・ヴィヨン(François Villon [fʁɑ̃swa vijɔ̃], 1431年? - 1463年以降)は、15世紀フランスの詩人である。中世最大の詩人とも、最初の近代詩人ともいわれる。 人物[編集] 1431年にパリ市内で生まれたとされる。父母とは幼少時に別れ(生別か死別かもはっきりしない)、親類であったギヨーム・ド・ヴィヨンという名の聖職者に引取られた。この時期から「ヴィヨン」の姓を名乗り始めた(当初の姓は「モンコルビエ」とも「デ・ロージュ」ともされるが、定かではない)。 ギヨームの援助もあってパリ大学に入学して同学を卒業したものの、在学時より売春婦やならず者といった輩と行動を共にしていた。1455年に乱闘騒ぎで司祭を殺してしまい、パリから逃亡してアンジュー近郊の窃盗団に加わる。その後再び罪を得て1461年にオルレアンのマン・シュール・ロワール(

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  • 萩原朔太郎 詩の原理

    書を書き出してから、自分は寝を忘れて兼行し、三カ月にして脱稿した。しかしこの思想をまとめる為には、それよりもずっと永い間、殆(ほとん)ど約十年間を要した。健脳な読者の中には、ずっと昔、自分と室生犀星(むろうさいせい)等が結束した詩の雑誌「感情」の予告に於(おい)て、書の近刊広告が出ていたことを知ってるだろう。実にその頃からして、自分はこのを書き出したのだ。しかも中途にして思考が蹉跌(さてつ)し、前に進むことができなくなった。なぜならそこには、どうしても認識の解明し得ない、困難の岩が出て来たから。 いかに永い間、自分はこの思考を持てあまし、荷物の重圧に苦しんでいたことだろう。考えれば考える程、書けば書くほど、後から後からと厄介な問題が起ってきた。折角一つの岩を切りぬいても、すぐまた次に、別の新しい岩が出て来て、思考の前進を障害した。すくなくとも過去に於て、自分は二千枚近くの原稿を書き

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 広田修 - THE POETRY SNS 現代詩フォーラム

  • マラルメとヴァレリー  海に寄せる師弟の詩 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    *マラルメとヴァレリー  海に寄せる師弟の詩 フランス象徴詩特集 その1 (ある人へのメールに手を加えました。) 海の微風          ステファヌ・マラルメ 肉体は悲しく、私は万巻の書を読んだ、 私は海の向こうを指向する、 マストは折れるかも知れない、 でも我が心よ、 水夫たちの声を聴くのだ!」 以上、意訳によるダイジェスト。 マラルメは、1842−1898に生きた人で、リセ(大体日の大学教養課程ていど)の英語教師を生業にしていました。穏かな一生を送ります。毎週火曜日には、彼の家に若い芸術家たちが集まり、研鑚していたのですね。ヴァレリー(1871−1945)もその一人でして、マラルメの家に若い芸術家たちが集まり、研鑚していたのですね。この詩は「フランス名詩選」(岩波文庫)にも出てきます。この詩を読み解くヒントは「旅立ちの決意」といったところでしょうかね。この詩の最後に出てくる「水夫

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  • H氏賞 - Wikipedia

    H氏賞(エイチししょう)は日現代詩人会が主催する、新人の優れた現代詩の詩人の詩集を広く社会に推奨することを目的とした文学賞。詩壇の芥川賞とも呼ばれる[1]。 概要[編集] 協栄産業を興した平澤貞二郎の基金により1950年(昭和25年)に創設された[2][3]。当初の呼称は「H賞」。基金拠出者で、プロレタリア詩人でもあった平澤が匿名を強く希望したため、賞の名はHirasawaの頭文字だけを冠する[3][4]。「佐藤春夫がH氏では?」との憶測も流れたため、平澤と共に発案者であった村野四郎はやむを得ず、日経済新聞コラム「交遊抄」の1965年1月6日付けで、平澤であると明かした。 石垣りん、富岡多恵子、吉岡実、黒田喜夫、入沢康夫、白石かずこ、青木はるみなどを輩出している。 選考は毎春、前年1月1日から12月31日の間に発行された、会員・非会員無関係に新人の全詩集を対象に行なわれ、会員投票と選考

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    inmymemory 2008/06/20
    詩壇の芥川賞。協栄産業を興しプロレタリア詩人でもあった平澤貞二郎の基金
  • フランス文学者福永武彦の冒険

  • 北園 克衛

    当Web Siteの北園克衛作品は、著作権者からの掲載許可をいただいています。 掲載作品その他の無断使用は固くお断りします。 詩集「固い卵」を追加しました。 関連サイト 多摩美術大学附属図書館「北園克衛文庫」web http://bunko.tamabi.ac.jp/bunko/kitasono2002_traial/k-home.html このサイトはInternet Exproler 4およびNetscape 6以上のバージョンで ご覧頂く事を推奨いたします。

  • 生命維持装置としての詩 『アイギ詩集』 - 三上のブログ

    メカスの365日映画のおかげで旧ソ連のチュヴァシ出身のゲンナジイ・アイギという名の詩人を初めて知った。 a Chuvashian poet, Gennady Aygi:365Films by Jonas Mekas(2007-11-21) それで興味が湧いて、メカスが強く薦めていた"FIELD - RUSSIA"(New Directions, 2007)を注文したり、メカスがカメラで行を追った詩「SONG FOR MYSELF」(p.51)の一部を訳してみたり、アイギその人についてちょっと調べてみたりした。 SONG FOR MYSELF by Gennady Aygi, transaleted by Peter France(2007-11-25) "FIELD - RUSSIA"(New Directions, 2007)が届いたときのことも書いた。 ブラジルとロシア(2007-12

    生命維持装置としての詩 『アイギ詩集』 - 三上のブログ
    inmymemory
    inmymemory 2008/06/20
    cf. 愛は不在そのものである http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080118/1200671346
  • 中島可一郎編『金子光晴詩集』 : 読書三昧

  • 松岡正剛の千夜千冊 : 『マルテの手記』ライナー・マリア・リルケ

  • 日本の近代詩に影響を与えた訳詩集傑作選その2 - 心揺々として戸惑ひ易く

    前回の記事で採り上げた『日の詩歌28 訳詩集』(1969年)から25年後に発行された、 『近代の詩人 別巻 訳詩集』(編:加藤周一 1996年潮出版社刊)に 新たに収録された訳詩集は、加藤周一が選定で大いに教示を受けた 谷川俊太郎編『愛の詩集』をはじめ、 『中原中也全訳詩集』、鈴木信太郎訳『ヴィヨン全詩集』『悪の華』 そして、福永武彦『象牙集』。 福永武彦といえば『芸術の慰め』という芸術評論の名著*1もあるが、 この訳詩集『象牙集』で用いられる言葉達も美しい。 羊毛よ、うなじにまでうねり行く波! おお巻毛よ、懶惰(らんだ)の想ひにみちた匂! この恍惚! 遠い日に眠る思ひ出を編み、 小暗い臥床(ふしど)を埋めるために、今宵 ハンカチのやうに宙に振らうか、お前の髪! ものういアジアよ、燃えあがるアフリカよ、 すべての遠い、不在の、殆んど死に絶えた世界は お前の深みのうちに生きる、おお匂の森よ

    日本の近代詩に影響を与えた訳詩集傑作選その2 - 心揺々として戸惑ひ易く