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哲学に関するiottenaのブックマーク (101)

  • 具体的経験という認識論的障害 バシュラール (2012) [1938] - えめばら園

    科学的精神の形成―対象認識の精神分析のために (平凡社ライブラリー は 29-1) 作者:ガストン・バシュラール平凡社Amazon バシュラール G. (1938=2012) 『科学的精神の形成』(及川馥訳 平凡社) 【目次】 第一章 認識論的障害の概念 書のプラン 第二章 第一の障害 最初の経験 ←いまここ 第五章 科学的認識の障害としての一元的かつプラグマティックな認識 1 〔科学的思考への最初の接触の仕方:18世紀の科学書〕 最初の経験は、科学的精神形成に不可欠な<批判>以前にある、第一の障害である。科学的精神は自然に逆らって形成されなければならない。しかし、制度化された教育の取締を受けた教科書から科学に触れる今日の人々には、科学は自然な〔さもあたりまえの〕ものにおもわれ、このテーゼの意味は分かりにくいかもしれない。 しかし今日のような制度の整っていない18世紀以前には、科学書は日

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  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • 池上さん、「川」は誰のものだと思いますか?:日経ビジネスオンライン

    池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト。1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。社会部記者として経験を積んだ後、報道局記者主幹に。94年4月から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、様々なニュースを解説して人気に。2005年3月NHKを退局、フリージャーナリストとして、テレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。2012年4月より、東京工業大学リベラルアーツセンター教授として東工大生に「教養」を教える。主な著書に『伝える力』(PHPビジネス新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』(角川SSC新書)、『そうだったのか! 現代史』(集英社)など多数。 池上:「社会的合意形成」。いささか長い単語ですね。「社会的合意形成」とはいったい何ですか? 桑子:かいつまんでいえば、「哲学」の力で、社会の争いを治め、よい方向にみんなを導く手法のことです。 池上:哲

    池上さん、「川」は誰のものだと思いますか?:日経ビジネスオンライン
  • 「実証」の概念史 - tukinoha’s blog

    ・先行研究 positiveという言葉はラテン語の動詞pono(英語ではsetに相当)に由来し、その過去分詞positumが形容詞化されることでpositiveになった。これが「事実的」「実証的」という意味を持つようになったのは、木田元によると弁神論に由来するという。弁神論者たちは(しばしば理不尽な)世界のありようについて「神がpono(=定めた)したものなのだから、人間の理屈で推し測ってはならない」と説いた。これによって非合理な事実を「神によってponoされたもの=positiveなもの」と呼ぶようになった。「positive=事実的」という用法が神学由来であることはヘーゲルの時代までは意識されていて、ヘーゲルの未完の草稿『キリスト教の精神とその運命』では非合理的な宗教的戒律をpositivitätと呼んでいる。(木田元『わたしの哲学入門』新書館、1998年、271頁以下) 日において

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  • 人間の記憶は一つの物語にすぎない:日経ビジネスオンライン

  • 渡邊芳之先生ynabe39の「多様でありつつ殺しあわないことはどのようにして可能か。」

    多様性と正義ってすごく根的なところでは両立しないのではないか。 けっきょくなにかの「多様でない正義」によって外側から大きく包み込まなくてはいけないなら「宗教の時代はまたくるで〜」としか言えない。 by 渡邊芳之

    渡邊芳之先生ynabe39の「多様でありつつ殺しあわないことはどのようにして可能か。」
    iottena
    iottena 2013/03/13
    宗教も科学もまとめて「それってホント?」と言えるような、ある種のニヒリズムによって、かな。自信はない。
  • 1:出会い。原発。デモ。科学技術。社会保障。そして哲学と音楽。:日経ビジネスオンライン

    龍一(さかもと・りゅういち) 音楽家。1952年生まれ。78年「千のナイフ」でソロ・デビュー、同年YMO結成に参加。88年映画「ラスト・エンペラー」でアカデミー賞作曲賞を受賞。常に革新的なサウンドを追求する姿勢は世界的評価を得ている。2006年には新たな音楽コミュニティー「commmons」をエイベックスとともに設立。また、2007年一般社団法人「more trees」を設立し森林保全と植林活動を行なうなど90年代後半より環境問題などへ積極的に関わる。東日大震災後、「こどもの音楽再生基金」などさまざまな被災者支援プロジェクトに関わるとともに、脱原発を訴える活動をおこなっている。主な作品に「B-2 UNIT」「音楽図鑑」「BEAUTY」「LIFE」「out of noise」、著書に『音楽は自由にする』、共著に『縄文聖地巡礼』、『いまだから読みたい――3.11後の日』、『NO NU

    1:出会い。原発。デモ。科学技術。社会保障。そして哲学と音楽。:日経ビジネスオンライン
  • 民主主義を面白くする──哲学者 國分功一郎(38歳)の主張 « GQ JAPAN

    國分功一郎  哲学者  1974年、千葉県生まれ。高崎経済大学准教授。専門は哲学。デカルト、スピノザ、ライプニッツなど17世紀ヨーロッパの哲学者と、ドゥルーズ、フーコー、デリダなど20世紀フランスの哲学者をおもに研究する。著書に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)、『スピノザの方法』(みすず書房)など。訳書多数。 なんてことない雑木林 國分功一郎さんは東京都小平市に住んでいる。関東平野西部にひろがる広大な武蔵野台地の西側に位置するそこは、元来、水利に恵まれず、江戸時代に玉川上水が開削されるまでは、乾いた土地に風吹きすさぶことしきりの、住むのにむずかしいところだった。玉川上水は多摩川から取水して、江戸市中に飲料水を、そして武蔵野に農業用水を供給した。1931年にこのあたりに津田塾大学が移転したとき、最初の工事は防砂林のための植樹だったといわれており、風砂被害を防ぐための植林が古くから盛んだ

  • 何のために生きている?

    最近自分は何のために生きているんだろう?何を目指せばいいんだろうって思うことが多い。 ちなみに今自分は30代で一応結婚して子供もいる。 仕事も出世はないものの、一応首にならずに続けることができている。 世間一般的ないわゆる平均にいるスペックだと思う。 でも満足できていない自分が確実にいる。 趣味を極めているわけでもなく、仕事で大きな仕事をしているでもなく、美人な嫁がいるわけでもなく、 お金をたくさんもっているわけでもなく、でも日々忙しい日々を送っていてなかなか将来の自分の 理想をゆっくり考えたりできていなかった。 自分って偶然この世に生まれてきて(親のきまぐれで生まれたも同然)、偶然知り合った周りの環境で なんとなく価値観が形成されていって、、なんとなく理想していた仕事を目標に大学まで通って だからなんなんだ、、自分がこの世間に何か貢献できているんだろうか? 自分ひとりくらいいなくたってき

    何のために生きている?
    iottena
    iottena 2013/02/12
    知性を持つ以上、意味を求めるのは自然なこと。ガチな意味ばかり求めず、ささやかな意味を探すのがこの場合、ひとつの解決策かも。まじめに答えるなら。
  • 反−知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 数ヶ月前から気になっていたことの1つは、自分でブログを書く際、どうも昔に比べて何を結論として言いたいのかを意識して書くことが苦手になってるという感じがしていることです。 何も言いたいことがなければそもそも書くこともないわけで、そこはとうぜん書きたいことがあるから書いているのですけど、でも、いまの僕にとって、その「書きたいこと」というのは間違いなく「結論」じゃないというところがちょっと問題なような気がしていたんです。 僕にとってはむしろ、ダラダラと書き連ねているその過程で書いているそれぞれが「言いたいこと」であって、何か1つの結論をいうためにそれらを書き連ねているわけではないんです。 だから、どうしてもいわゆる起承転結のような文章の構成で書かなくてはいけない動機がないし、そん

  • ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia

    ディオゲネスの胸像 ディオゲネス(英: Diogenes、希:Διογένης Diogénēs、紀元前412年? - 紀元前323年)は、古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。シノペ生れ。シノペのディオゲネスとも。 犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、「犬のディオゲネス」と言われた。また、大樽を住処にしていた。翻訳によっては、「甕(かめ)」とも訳されるが、これは古代ギリシアの酒樽が木製のものではなく、甕であったためである。そのため、「樽のディオゲネス」ないし「甕のディオゲネス」とも言われた。 「ディオゲネスは銀行家(Τραπεζίτης:トラペジテス)のヒケシオス(Ικέσιος)の子でシノペの人。彼の父親は市(ポリス)の公金を扱う銀行家(έπιµελητής:監督者)であったが、“通貨(ノミスマ)を変造(パラハラクシス)した

    ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia
  • 0から1を作った経験 - レジデント初期研修用資料

    たとえば爆弾テロの事例がニュースで報じられれば、たいていの人はたぶん、それを「ひどい事件だな」と思う。テロリストの側に与する人が同じニュースを聞けば、もしかしたら「よくやった」と思うかもしれない。ニュースに対してどんな態度をとるにせよ、ニュースというものはほとんどの人にとっては消費の対象であって、それを経験として蓄積できる人は少ない。 同じニュースを聞いても、見聞した事例を通じて自分の経験値を高める人もいる。爆弾テロの事例ならば、爆弾を自分で作り、爆薬の威力というものを知っている人がそれであって、こういう人がニュースを見ると、「なるほどそういう仕掛けかたもできるのか」と、爆弾の仕掛け方がより凶悪になってみたりする。 どんな分野であれ、ゼロから何かを生み出す経験をした人は、あとは事例を見るほどに、自身の経験が増していく。 経験には2種類ある 100年続くチームを引き継ぎ、体育会のキャプテンと

  • 現代思想を殺す会 第4回 エーコ『記号論と言語哲学』

    現代思想を殺す会の第4回読書会のテーマは、ウンベルト・エーコの記号論3部作の最後『記号論と言語哲学』。デコレーションが面倒なのでとりあえずこのまま。「誰でも編集可」にしておくので、補足とか並び替えとか自由にどうぞ。

    現代思想を殺す会 第4回 エーコ『記号論と言語哲学』
  • 義務感というのと責任感というのは同意味でしょうか? - 個人的な意見ですが、包含的な関係ではないかと存じます。義務感は責... - Yahoo!知恵袋

    個人的な意見ですが、包含的な関係ではないかと存じます。 義務感は責任感の一部、責任を持つものの矜持の一部、ノブリスオブリジェではないかと存じます。 そのミッションに誇りを持たない者(責任感を持たない者)には真の「義務感」は生まれないと存じます。 このあたりについては 岡 他著「職業的使命感のマネジメントーノブレス・オブリジェの社会技術」新曜社、2006年(社会心理学的な)、などを参照されると外延的に理解できると存じます。御参考までに。

    義務感というのと責任感というのは同意味でしょうか? - 個人的な意見ですが、包含的な関係ではないかと存じます。義務感は責... - Yahoo!知恵袋
  • 飽きない工夫こそが続けるために必要なもの - sadadadの読書日記

    生きていくのに必要なものが不足している『足りない』世界は沢山あります。そういった世界では必要なものを供給するためには『しかたなくする仕事』が求められます。一方で私達はいわゆる『足りている』世界に住んでいます。そんな足りてる世界においては仕方なくする仕事に従事する必要性はそう高くありません。足りていないものを満たすために、仕方なく仕事をしなければならない理由がないにもかからわず、足りていないものを埋めるために働くのは矛盾している気がします。このパラドクスはなぜ起きるのでしょうか。 任天堂 “驚き”を生む方程式 作者: 井上理出版社/メーカー: 日経済新聞出版社発売日: 2009/05/12メディア: 単行購入: 30人 クリック: 380回この商品を含むブログ (127件) を見る 1 足りていないのは満たされない心 現在、先進国において貧困が大きく取り上げれられていますが、当にべら

    飽きない工夫こそが続けるために必要なもの - sadadadの読書日記
  • 1495 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ソクラテスと朝を 日常生活を哲学する ロバート・ロウランド・スミス 講談社 2012 Robert Rowland Smith Breakfast with Socrates-The Philosophy of Everyday Life 2009 [訳]鈴木晶 編集:柿島一暢 装幀:大野リサ 迎春、いや試春。 明けましておめでとうございます。 新年第1弾の千夜千冊は、 お雑煮・お節に代わって、『ソクラテスと朝を』です。 この一冊は、われわれが朝起きて床に就くまでを ソクラテスにかこつけて古今の思惟の意匠を借りつつ、 けっこう突っ込んで日常哲学したものです。 ときどき、ぼくの暮らし方や過ごし方をまじえ、 ごくごく気楽に、でも幾分は新年のスタートにふさわしく、 いつもご愛顧の千夜千冊の読者諸君の知性を ちょっぴり揺さぶるべく、書いてみます。 西暦2013年、平成25年の癸巳。ニッポンが

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  • A/Bテストがビジネスルールを変えていく(あるいは、ぼくらの人生すらも?)

    iottena
    iottena 2012/12/31
    そういやAKB48の売り方もある意味、このA/Bテスト方式では? だから売れるんかな?
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 愚行権 - Wikipedia

    愚行権(ぐこうけん、英語: the right to do what is wrong/the right of(to) stupidity)とは、たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由のことである。 ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(1859年)の中で展開された、功利主義と個人の自由に関する論考のなかで提示された概念であり、自由を構成する原則としての「他者危害排除の原則(英語: to prevent harm to others)」、すなわち他の人から見て賢明であるとか正しいからといって、何かを強制することは正当ではありえない、の原則から導出される一つの帰結としての自由として提示されたものである。 生命や身体など自分の所有に帰するものは、他者への危害を引き起こさない限りで、たとえその決定の内容が理性