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哲学に関するiottenaのブックマーク (101)

  • 塩谷賢 痛みはなぜ思考ではないか

    塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot で、なんでこういうことを言ったかというと、つまり「考える」ということが哲学意外でもあるのではないか、ということでした。でも、それはあくまでも「哲学」という名詞を軸にして考えているからではないか。「哲学する」という動詞を軸にして考えると、僕はそうは思わない。 2012-10-12 00:52:48 塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot つまり、いままで形而上学が伝統的に考える対象としていたものが相手だから、形而上学だろうと。でも僕はそんなことあるもんかと言ったわけですよ。考える対象がなんであろうと、考えるスタイル、考え方のほうが問題なんじゃないのと。形而上学の伝統的な対象として確かに時間や存在があげられる。 2012-10-12 01:01:41 塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot でも、まさにいま、ここで、私が、こ

    塩谷賢 痛みはなぜ思考ではないか
  • 共同体概念の脱構築と再構築 小田亮 - garage-sale

    1.はじめに 共同体概念の脱構築と再構築というテーマは、実は私がここ数年ずっと研究課題としているものです。ここで脱構築の対象となる「共同体」という概念は、「社会学の世紀」であった19世紀の社会学において、近代都市をモデルとする「市民社会」から「失われたもの」として「発見」された、「人格的な親密さや相互扶助を伴う道徳的・情緒的紐帯といった全面的な関係による凝集体で、等質な価値に充たされた集団」としての「共同体」です。 ジェラード・デランティは、「近代初期の思想では、コミュニティと社会は、事実上置き換え可能であった。つまり、コミュニティは『生活世界』という社会的領域、日常生活の生きられた世界を指していた。これらの領域は次第に分化していくが、17−18世紀には両者はほとんど同じ事柄を指すことが可能であった」[ デランティ 2006:13 ]と述べています。また、レイモンド・ウィリアムズも、当初、

    共同体概念の脱構築と再構築 小田亮 - garage-sale
  • 「日常的抵抗」論の可能性──異種混淆性/脱領土化/クレオール性再考── - garage-sale

    1.質主義批判と異種混淆性論 ポストモダン人類学と呼ばれる人類学の潮流は、文化質主義批判から始まったと言えるでしょう。質主義とは、文化によって規定された人間分節(人種や日人やマサイ族といった民族、あるいは女性やゲイなど、ジェンダーやセクシュアリティに結びつく分節)をそこに帰属する人々の変わらぬ質と捉えるとか、先住民族のエコロジカルな文化などというときの文化のカテゴリーを土地や民族と質的に結びついたものと見なす思考を言います。そのような質主義への批判は、文化の「異種混淆性(ハイブリディティ)」と「脱領土化( deterritorialization )」(ガルシア=カンクリーニの定義によれば、「文化と、地理的・社会的領土[テリトリー]の『自然』な絆の喪失」)への肯定的評価という論点を伴っていました。つまり、「あらゆる文化は構築されたものであり、異種混淆的であり、土地を離れて移

    「日常的抵抗」論の可能性──異種混淆性/脱領土化/クレオール性再考── - garage-sale
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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  • ララビアータ:ベンヤミンの「神的暴力」とクライストの短編 - livedoor Blog(ブログ)

    ベンヤミンは、法を創造する暴力(神話的暴力)に対置して、法そのものを廃棄する「神的暴力」なるものを置いた。前者のわかりやすさに比して、後者はわかりにくい。 「神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は限界を認めない。前者が罪をつくり贖わせるなら、後者は罪を取り去る。」(『暴力批判論』岩波文庫p−59) とはいえ、ベンヤミンが挙げる例は乏しい。政治目標の達成する手段としての「政治的ゼネスト」に対して、国家権力そのものの廃棄を実現する「プロレタリア・ゼネスト」の例とか、旧約聖書『民数記』16章のコラーの徒党に対する神の裁きの例が、かろうじてあげられているにすぎない。 前者は、ジョルジュ・ソレルの『暴力論』から借りられたものであり、「政治的ゼネストが法措定的であるのに反し、プロレタリア・ゼネストはアナーキスティックだ」(p−51)とされている。つまり、「プ

  • 科学と民主主義の相容れない関係

    マクラナ・ガレ @mcranagalle ( ゚Д゚)y─┛~~< 全品のガンマ線殺菌を義務付ければ、大腸菌やノロウイルスで亡くなる子供は激減するはずだが・・・そういう技術を折角、天才が生み出してくれてるのに、民主主義とは難しいものだなあ 2012-08-17 07:30:18 マクラナ・ガレ @mcranagalle ( ゚Д゚)y─┛~~< 大学の研究なんて、民主主義にのっとって多数決で決めたらほとんどが仕分けされちまうんじゃないか。人類が進化を自ら放棄する危険は常にある 2012-08-17 07:32:16 マクラナ・ガレ @mcranagalle ( ゚Д゚)y─┛~~< これは全く大げさでもなんでもなくイスラム世界で歴史上において実際に起った話。ギリシャ・インドの数学、科学を積極的に取り込み発展させ、ヨーロッパをはるかに凌駕していたイスラム社会は神秘主義により進化を捨てている

    科学と民主主義の相容れない関係
  • 森田 真生 @orionis23 さんによる計算(computation)について

    下西 風澄 @kazeto 計算computeの語源はラテン語のコンプターレ:computare(com共に−putare考える)である。このことは、計算が単体で存在することの不可能性を教えてくれる。計算はそもそものはじまりから他のものを巻き込むことを性としている。http://t.co/N3J6dB9h 2012-08-02 15:55:35 森田 真生 @orionis23 計算(computation)というのがもともとラテン語のcom(ともに)putare(考える)という言葉から来ている、というのを教えてくれたのは@kazeto くんです。計算とは「ともに考える」ことである。素晴らしいですよね。 http://t.co/JfIGjHmG 2012-08-02 15:40:07 森田 真生 @orionis23 計算という同じ日語があてられていますが、calculationとco

    森田 真生 @orionis23 さんによる計算(computation)について
  • wisdom あなたのビジネス思考に、ひらめきを。

    ビジネスパーソンの問題意識を刺激するビジネスポータルサイト。国内外のビジネストレンドや、注目の新技術、ソリューションを紹介し、テクノロジーが創る新しい価値づくりの最前線を追います。

    wisdom あなたのビジネス思考に、ひらめきを。
  • 哲学入門

    哲学(philosophy)は、ギリシア語のphilosophiaに由来します。これは知を愛するという意味です。ここで紹介している情報は当にごく一部に過ぎませんが、愛智の学問という意味での哲学を、少しでも感じていただければ幸いです。今後は近現代哲学や東洋思想などについても載せてゆく予定です。 ご意見・ご感想はこちらへお願いします 参考文献 田中元、長谷川克彦、星敏雄、岩野秀明 『哲学とはなにか』北樹出版 門脇俊介、久保陽一、桑原直己、高橋久一郎、円谷裕二、戸田洋樹、 中村友太郎、丸山豊樹、村上勝三、山下太郎 『哲学理論の歴史』公論社 岡崎文明、日下部吉信、杉田正樹、竹田純郎、榊原哲也、服部健二、 中釜浩一、谷徹 『西洋哲学史-理性の運命と可能性-』昭和堂 著者 秋元ひろと、麻生建、石黒満、大石紀一郎、片桐茂博、神崎繁、 小宮山隆、榊原哲也、田島節夫、円谷裕二、戸田洋樹、中村友太郎、 丸山

    iottena
    iottena 2012/08/01
    一応。
  • 「つらぽよ宣言――けいおん!とニーチェ」 - A Mental Hell’s Angel

    つらぽよを生きるということ。 まず言っておこう。稿はけいおん!論である。そうであるのと同時にまた哲学であったりする、そのような奇妙かつ切実なテクストが稿である。東浩紀を含む批評と哲学の立場から、現実を根源的的に取り扱うことを通して、「つらぽよ」と「らぶぽよ」の二項対立が現れ、最終的に「めんへらぶぽよ」浮かび上がってくる、そのような論考になっている。 まず、「つらぽよ」とは何かを説明しよう。つらぽよとは「あげぽよ」や「さげぽよ」などの女子高生用語から派生したスラングであり、まず単純には「つらさ」を意味する。特にそれを僕は「生きづらさ」を表現する用語として使いたいと思う。しかし、つらぽよは単純なつらさとは異なる側面も持たざるを得ない。それは「つらぽよ」という語の「使用」における効用である。つらぽよという語はTwitterで検索をかけてみると実際に多くの人が使用している。なぜ僕らは「つらい」

  • ララビアータ:「真理の相対主義」について - livedoor Blog(ブログ)

    倫理的判断に対しては、観点や立場に相対的に主張可能である場合がいかにも有りそうに思われよう(たとえば、ある行動が快楽という観点からは善であるが、不健康という観点からは悪で有り得るなど)。それに対して真理を要求する判断においては、相対主義的主張は普通ずっと難しそうに思われる。以下、真理の相対主義といわれるものに対する私自身のスタンスを、概観しておきたい。 私は、真理を発見(アレーテイア)と見なし、科学的発見を概念の提案とみなす。即ち、科学的命題は、発見に寄与できる限り有用な概念装置であっても、それ自身は真であったり偽であったりするものではないと見る。たしか、トゥールミンもそれに近い考え方をしていたと思う。そこで彼は、「光は直進する」という幾何光学的法則を、普遍的真理というよりは、幾何光学的現象の発見の道具、ないしは説明の図式(作図方法の基礎)として見なすべきだと説明していたはずだ。 アリスト

  • ララビアータ:マクダウウェルの『心と世界』について - livedoor Blog(ブログ)

    このところMcDowellのMind and Worldを少し勉強しているが、その大枠が見えてきたので、簡単なメモを記しておこう。 マクダウウェルが退けようとする描像は次のようなものである。 我々の経験は外界から感覚への因果的刺激によって与えられ、それをもとに何らかの思考(悟性)が働いて、外界についての判断が生まれる。そのさい、判断を下すにあたっては、あれこれと思考を自由にめぐらし、言語的概念的意味を持つ判断に結実するが、それ以前の感覚的経験そのものは、自然的因果にすぎない以上、何ら概念的意味的要素は含まれないはずだ。 このような見方をすると、非概念的なものから概念的なものへの飛躍は何ら理由に基づかないものになってしまうから、非概念的所与から理由に基づいた判断(合理的判断)がいかにしてできるのかが分からなくなってしまう。他方、そのような所与を否定するならば、我々の判断や信念は、しょせん他の

    iottena
    iottena 2012/07/20
    ララビアータ:マクダウウェルの『心と世界』について
  • 現象学のねちっこい変態さはお好き?

    アンリ・ベルクソン @Bergson_bot もしすべての事物の原理が、論理的公理や数学的定義と同じ仕方で存在するならば、事物そのものは、公理の適用や定義の帰結と同じく、この原理から必然的に生じることになるだろう。そして、諸事物にもそれらの原理にも、自由な選択という意味に解される動力因のための場所はもはや残されないだろう。 Hegel Japan ヘーゲル・ヤパン @GWF_Hegel_Japan 人はしばしば「質」という言葉を使って、事物を考察する場合、事物の質を事物の現象の特定の内容に無関係なもの・それだけで存立するものとして固定する。人として大切なのは行為や行状ではなく質なのだとか。

    現象学のねちっこい変態さはお好き?
    iottena
    iottena 2012/07/10
    内容はともかく哲学bot集として。
  • 哲学史における生命概念('10) 第12回 ニーチェの思想(講義メモ) - ねぼけログ

    哲学史における生命概念 (放送大学大学院教材)posted at 2012.6.28佐藤 康邦 放送大学教育振興会 売り上げランキング: 316483 Amazon.co.jp で詳細を見る ニーチェの生哲学(1)力への意志 ヘーゲルの体系を最後として、哲学は人文科学の一領域に閉じこもることになる。それ以降、哲学における生命概念は、物理学に指導された近代科学への反発という動機を伴って展開されることになる。その代表的例としてニーチェが扱われる。 【キーワード】生哲学、ルサンチマン、パースペクティヴィズム、力への意志、永遠回帰、超人 歴史背景 19世紀後半、経験科学が哲学の領域を次々と奪っていた。 その頃登場した新カント派の哲学は、カントの批判哲学が持つ科学の基礎付けの可能性を根拠とした、哲学の自己主張的試みであったといえる。新カント派の西南ドイツ学派 W.ヴィンデルバントは、文化科学や価値哲

    哲学史における生命概念('10) 第12回 ニーチェの思想(講義メモ) - ねぼけログ
    iottena
    iottena 2012/07/01
    放送大学講義ノート。ニーチェについてのまとめ
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    iottena
    iottena 2012/06/23
    文系=人工的/理系=自然的とする考え方。
  • 富永仲基 - Wikipedia

    富永 仲基(とみなが なかもと、正徳5年〈1715年〉- 延享3年8月28日〈1746年10月12日〉)は、江戸時代大坂の哲学者、町人学者、思想史家。懐徳堂の学風である合理主義・無鬼神論[1]の立場に立ち、儒教・仏教・神道を実証的に研究した。彼の学問は、思想の展開と歴史・言語・民俗との関連に注目した独創的なものといわれている[2]。 大坂・北浜の醤油醸造業・漬物商を営む家に、懐徳堂の五同志の一人富永芳春(道明寺屋吉左衞門)の3男として生まれた。通称は道明寺屋三郎兵衞、字は子仲、号は南關、藍關、謙斎。弟に富永定堅(荒木定堅、蘭皐)、富永東華。 15歳ころまで、懐徳堂で弟の富永定堅とともに初代学主三宅石庵に儒学を学ぶ。若くして『説蔽』(せつへい、現存せず)を著し[3]、儒教を批判したため破門されたというが、これは富永を批判する仏教僧側からの主張であるので事実としては疑われている。その後田中桐江

    iottena
    iottena 2012/06/18
    下のほうに三つリンクがある。上二つには加上説についての、他とは多少事なる見解などが書かれている。下は内藤湖南の講演を起こしたもの(青空文庫)。富永の人生の詳細について以外は特に新しいものなし。
  • 茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【お金で、買えないものはありますか】連続ツイート

    茂木健一郎 @kenichiromogi 連続ツイート第623回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。日は、book club tweetで、Michael SandelのWhat Money can't buyを取り上げます。 2012-06-13 07:55:24 茂木健一郎 @kenichiromogi おか(1)日を改革することをべったおりで諦めたわけじゃなくて、徐々にやって行きたいと思う。一つの方法は同志を増やすことである。少しずつ、しかもできるだけ若い時(高校生くらい?)から現代のグローバルな文化に触れさせる。その一つの方法として、book clubはあると思った。 2012-06-13 07:57:27 茂木健一郎 @kenichiromogi おか(2)そこで、Michael SandelのWhat money can't buyである。ツイートで興味を持

    茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【お金で、買えないものはありますか】連続ツイート
  • 認知的閉鎖 - Wikipedia

    この項目では、心の哲学におけるアイデアについて説明しています。社会心理学における「問題に対して確固たる答えを求め、曖昧さを嫌う欲求」については「認知的閉鎖欲求」をご覧ください。 認知的閉鎖とは、脳などの物理的な対象をはじめとする領域から、意識という主観的な経験がどのようにして生み出されるのかという問いに対して、人間の心が「閉鎖」されている可能性を指す。人間の理解できる領域から「閉鎖」されているとは、単に現段階において人間による理解が科学的に不十分ということではなく、そもそも人間にはそれらを理解する能力が根的に欠けていることを指す。マッギンによると、猿が量子力学を理解する能力を備えていないように、人間は哺乳類の一種として、進化の現段階において意識の謎を解明する能力を備えていないのである。つまり、人間の脳にはその構造によって与えられるハードウェア的な制約があるため解決不能な問題が存在し、意識

    iottena
    iottena 2012/06/03
    DIME理論など。
  • 心の哲学まとめWiki

    ■心の哲学の問題 ├現象的意識 |├現象 |├表象 |├クオリア |└還元・創発・汎経験説 ├自己 |├意識の統一性 |└無主体論 ├還元主義 ├意識のハードプロブレム |├意識の二面性 |└意識の超難問 ├心的因果 |├付随性 |├因果的閉包性 |└現象判断のパラドックス ├説明のギャップ ├意識の境界問題 ├意識に相関した脳活動 ├多重実現可能性 ├志向性 ├命題的態度 ├固定指示子 ├ゲシュタルト構造 ├アウェアネス ├言語的批判 | └カテゴリー錯誤 ├動物の心 ├実在 |├知覚因果説 |└イデア論 ├独我論 └独今論

    心の哲学まとめWiki
  • 理由・因果・法則: ジョン・マクダウェル『心と世界』第四講義「理性と自然」注2&6:その2

    Masashi Kasaki @kasa12345 @tamurais あとあれですね、お二人は、違う根拠(Mの他の文献、ラッセルの読み)であれ、「因果→法則性」をMが否定するという考えですよね。これだと、自然の領域、自然科学の対象ではない因果性が存在するという含意がありますが、いいんですかね。@autochromatics 2012-05-23 06:52:45 ta_mu @tamurais @kasa12345 マクダウェル解釈としては、いいと思います。"Gadamer and Davidson on Understanding and Relativism"ではMは因果性概念の「科学主義的ハイジャック」に反対しているので。(続く)@autochromatics 2012-05-23 09:00:35 ta_mu @tamurais @kasa12345 ただし、「自然」の領域にはな

    理由・因果・法則: ジョン・マクダウェル『心と世界』第四講義「理性と自然」注2&6:その2