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島袋八起(発起人)と中村屋与太郎(編集長)による、ボカロ評論同人誌創刊号。 ちなみに、八起さんはこの前の文フリの時に突発的に、この本のパイロット版にあたる『ボカロクリティークvol.00』*1を作っており*2、僕はその際に寄稿したという縁があるが、今回は全く関わっていない。 おそらく多くの人から待望されていたタイプの本であり、まずはその誕生を祝いたい。今後の続刊が楽しみであり、またそれによってボカロ批評や新たなタイプの音楽文化論が生まれ育っていくことを期待している。『ボカロクリティーク』は新たな文化の発信源たりうるポテンシャルを秘めた雑誌であると信じている。 ただ、この本は読みやすかったけど、物足りなさをすごく感じた。以下、思いつくままに感想を書いていくけれど、その多くはその物足りなさを示していくことになると思う。しかしそこには、何らdisろうという意図はないということを先に記しておく*3
トーマス・マンの最初の長編小説『ブッデンブローク家の人びと』は、彼の一家のいわば自伝的物語なのですが、初めは力強い商人の家庭だった一家が次第に没落していく過程を描いています。しかし、その没落は芸術と鋭く対置されています。一見、音楽という芸術に対する不信のように見えるのですが、文学もまた芸術作品なので、きわめてアンヴィヴァレントな芸術に対する信仰のようにも思えます。 その最後の「第11部」では、ブッデンブローク家の末裔であるハノー少年(17歳ぐらいでしょうか?)が、自作のピアノ作品を弾く場面を描いています。この前の部分では、彼が学校で散々先生にいじめられる場面を描いているのですが、それは省略です。 このピアノ作品の場面はいわば「叙事詩的叙情」です。私は、これはマンがワーグナーから得たものだと思います。ワーグナーが「歌詞と音楽」で表現したものを彼は文章だけでやろうと思い、驚くべきことにそれを達
第一回 初期の英米文学批評 F・R・リーヴィス『現代詩の革新』(南雲堂) F・R・リーヴィス『偉大な伝統』(英潮社) I・A・リチャーズ『新修辞学』(南雲堂) I・A・リチャーズ『文芸批評の原理』(八潮出版社) I・A・リチャーズ『科学と詩』(八潮出版社) ウェレック&ウォーレン『文学の理論』(筑摩書房) 新批評とその導入 川崎寿彦『分析批評入門(新版)』(明治図書) デヴィッド・ロッジ『フィクションの言語』(松柏社) その他 テリー・イーグルトン『文学とは何か』(岩波書店) 『ガイドブック現代文学理論』(大修館書店) ロバート・スコールズ『スコールズの文学講義』(岩波書店) ジャン=イヴ・タディエ『二十世紀の文学批評』(大修館書店) レントリッキア&マクローリン『現代批評理論』(平凡社) フランク・レントリッキア『ニュー・クリティシズム以後の批評理論上・下』(未
なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡 Why Do You Want to Talk about Music ? : Toward Ethics of Music | Satoshi Masuda 誕生から約一世紀半にわたる音楽学の歴史は、テクスト中心主義からコンテクスト主義へのゆるやかな移行の歴史として描くことができる。人文学の一分科としての音楽学が確立されたのは一九世紀後期のドイツでのことであるが、そこでは国民国家イデオロギーを底流としつつ、当時世界に君臨していたドイツ芸術音楽を中心とするヨーロッパ音楽を主な対象に、優れた音楽作品「それ自体」の来歴を実証的に後づけ、その構造を「客観的」に構造分析する作業が学科の中核をなしていた。いわゆる歴史的音楽学=音楽史学と、音楽理論の二つが音楽研究の中心的なディシプリンであったわけだ。しかし一方で、「諸民族の音楽の比
ピクッ 1:名盤さん:2011/07/24(日) 09:23:08.98 ID:xGnX+TK6 疾走感 4:名盤さん:2011/07/24(日) 10:10:09.60 ID:bjWY/AXP グルーヴ 6:名盤さん:2011/07/24(日) 10:33:49.35 ID:yMIeP2gk 音の洪水 8:名盤さん:2011/07/24(日) 10:36:57.67 ID:DAM3xDLE 浮遊感 9:名盤さん:2011/07/24(日) 10:41:22.36 ID:FHTEQKlt アーティストが死んだ時 「ひとつの時代が終わった」 10:名盤さん:2011/07/24(日) 10:51:12.87 ID:Nrx7c4dL キャッチーでポップ 12:名盤さん:2011/07/24(日) 11:18:53.81 ID:vrrVcCtm 初期衝動
2008年01月03日19:24 カテゴリ 菊地成孔のネット批評についての発言を将棋と無理やり関連させて あけまして、おめでとうございます。 元旦からブログをガンガン更新しようと思っていたのですが、やっぱり正月気分に浸ってしまいました。正月恒例の越乃寒梅もいただいたりして。なにやら本当の日本酒通には、この幻の酒をあまり評価されないむきもいると小耳に挟んだことはありますが、私にとってはやっぱり旨い酒だし、正月定番だし、クイクイ飲めてしまうし・・。というわけで、すっかり「酔ひどれ天使」と化した私には、ブログ更新など夢のまた夢でしたとさ。 さて、菊地成孔は、今をときめくジャズミュージシャンです。彼の著作「東京大学のアルバート・アイラー」は、ジャズ史を独自の切り口で俯瞰した素晴らしい講義録なのですが、その中で、一般的にネットにおける批評について語っている箇所があります。少し長めになりますが、まず引
佐々木敦さんが、BRAINZという塾を作って「批評家養成ギブス」という講座を開いているらしいという話は、立場上やはり気にはなっていたのだが、その講義録が書籍化されたようなので、さっそく読んでみた。 「批評家養成ギブス」と言うぐらいだから、批評文を書くための実践的なコツを教えてくれるんだろうと期待して読んでみると、実際には「批評とは何か」論のようなものがメインなので「あれ?」と思って、本の表紙をちゃんと見直したら、『「批評」とは何か?』というのがこの書籍のタイトルで、「批評家養成ギブス」は副題だったのでした。(ブレインズ叢書1) 「批評」とは何か? 批評家養成ギブス (ブレインズ叢書)作者: 佐々木敦出版社/メーカー: メディア総合研究所発売日: 2008/12/13メディア: 単行本(ソフトカバー) ただ、批評家を「養成」しようと思うなら、まずはその「批評」とか「批評家」っていうのは、いっ
ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定
★随時更新中、ティンときた動画や記事のブクマはコチラ 7/29 (ノД`) ショックだわー (゚Д゚) 何が? (ノД`) や、TL上で言いたい放題してたらとあるPの人に嫌われたみたいで (゚Д゚) 先生、それただの日常では (ノД`) まあねえ (゚Д゚) 認めるなと (ノД`) いやいや、そらあんだけ言いたい放題してたら日常的に人様をイラっとさせてるんだろうなーとゆー自覚はあったんだけど、実際にブロックとかされると「くる」ものがあるなあ、みたいな? (゚Д゚) あそー (ノД`) あー、気付かなければよかったわー‥‥なんてーかな、「そのこと」に気付いてしまうか気付かずに生きていけるのか、そこが重要だと僕は考えるわけなのだよ井上くん (゚Д゚) つまり嫌われないように発言していこうとゆう心得は重要ではないと (ノД`) それはそーゆーキャラであると知りつつも拙者をフォローする人も悪いので
CDなどの録音物の批評、演奏会のレポート・評論、音楽時評といった評論活動のほか、CDのライナーノートの執筆、音楽番組の担当、CDやコンサートの解説や企画などを行うことがある。 一般的に音楽評論家は、クラシック音楽、ポピュラー音楽のどちらかのみを担当する傾向が強く、相互をカバーする人材は少ない。むろん、それぞれのジャンルの中でも、例えば「ジャズ評論家」という肩書があるように、人によって担当する、ないしは得意とする領域は異なる[注釈 1]。 音楽評論家という職業がいつ成立したかについては、「音楽評論」という行為をどのように定義するのか、また、職業としての「音楽評論」と、そうではないものをどのように峻別するのかを考慮する必要がある。他の分野でもそうであるが、音楽の分野でも「批評家」「評論家」「論説家」「著述家」といった言葉が使われており、これらの意味するところは少しずつ異なるのである。ドイツの音
2007年9月に書いた、僕が音楽批評をしようとした最初の文。 これはマンガや小説と一緒に刷られ、『蒲田通信』と名づけられ、仲良しバンドで行ったライブ会場で配布された。 シジマというバンドの歌について批評をしようとしたが、中絶したもの。批評への思いを綴ったものなので、ここにうpする。 http://www.myspace.com/sizima ちなみに話の続きはありはするので、読みたい人がいれば書くかもしれない。 新しい音楽への批評のために 〈第一回〉 島袋八起 はじめに いまだ、きたらざる。未来。 哲学者・批評家である東(あずま)浩紀(ひろき)は、アニメ、ゲームについての本格的な批評を試みた時評「メタリアル・クリティーク」第10回(二〇〇五年)で、評論という表現行為の意義を次のように主張する。 僕はむかしから、日本のオタク作品のすばらしさに対し、それについて語る言葉の貧困さに苛立ってきた。
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ほとんどの書評が文芸批評としては最低レベルの「印象批評」です。だからといって、文学のなんたるかを分かってないから、と言うつもりはありません。問題はその印象批評のテクニックです。 印象批評とは 印象批評は要するにその人自身にとって面白いか面白くないかを感性で語るというものです。感性を同じくする同士なら、「ああわかるわかる〜」と納得できるのですが、合わない人にとっては全然さっぱりです。とはいえ、どうしてそのように感じたかを説明するのはすべからく「自分語り」につながります。私ってこういう人間だから、こう感じたんですよー、というわけですね。この「自分語り」ほどうっとうしいものはありません。知るか。この一言でばっさり斬ってしまいたい。「自分語り」の中にも面白いものはありますが、えてしてトークの技術が足りないせいか面白くない。 というわけで小説のレビューに必要なのは以下の2点です。 「自分語り」以外の
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