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北米の民族音楽学者マントル・フッドは、1950年代末、「バイミュージカリティ」という概念を提唱し、民族音楽学的研究方法の一つとして、世界各地の異なる音楽を同時に身につけることを積極的に押し進めた。1970年代前半には、そうした北米の民族音楽学の影響のもと、東京芸術大学にジャワのガムランが導入され、それ以来、日本においてもガムランの演奏を楽しむ人々が増えてきている。異なる文化の音楽を実践することは、従来、ある「民族」に属するものとして音楽を捉えてきた民族音楽学の視点に大きな転換を促さざるを得ない。現在、私は、日本におけるジャワのガムランの実践の歴史を振り返りながら、「バイミュージカリティ」という概念が民族音楽学に対してもつ含意を再検討し、グローバリゼーションの時代において人々が音楽的アイデンティティの構築する過程を捉えるための新しい視点を探っている。 はじめに 私は、ここで、私自身が長年かか
2009年1月、足掛け三年のエジプト留学の第一日目に、アムステルダム経由で深夜のカイロ空港に到着した。空港から市街地に向かう埃っぽいタクシーに乗り込むと、古びたラジオからアラビア語の歌が流れてきた。 そのときわたしはヴァイオリンを一台、日本から抱えてきていた。音楽はまったくの専門外で、ときおり遊びで好きな曲を弾く程度のアマチュア・ヴァイオリン奏者だったけれど、長期滞在のあいだにエジプトでも何かしら演奏の機会があるかもしれないと考えて、留学先に抱えていくことにしたのだった。それまでのわたしにとって、ヴァイオリンとは西洋クラシック音楽を演奏するための楽器であり、ヤッシャ・ハイフェッツ(20世紀を代表するロシア出身のヴァイオリニスト)の演奏がヴァイオリン演奏の最高峰だと考えていた。西洋クラシック音楽以外のヴァイオリン演奏を聴くことは普段の生活ではほとんどなかった。 ラジオから流れてきた歌のバック
文化人類学と民族音楽学――音楽と身体の人類学的研究に向けて(1) 私の専門は文化人類学ですが、私自身は常に音楽文化について関心をもってきました。アメリカの黒人教会をフィールド調査してきたのも、広く「黒人音楽」と呼ばれる音楽文化の基層について、もしくは一般の人びとのレベルで音楽実践がどのように形づくられているかについて、知りたいと思ったからです。 ところで、自分の研究について紹介すると、「それはつまりゴスペル音楽の研究ですね」と言われることがしばしばあるのですが、私自身は常にそのことに違和感をおぼえてきました。というのも、フィールド調査を始めて以来、私の関心は、ゴスペル音楽というジャンルについてというよりは、礼拝儀礼の場で音楽の演奏に伴って起こるトランスダンス、牧師が信者に説教する時の「かたり」が「うた」と見分けがつかなくなる現象、音楽が人々を身体的に共振させる瞬間の音楽家たちの微妙なやりと
数ヶ月ぶりの更新になってしまい、申し訳ありません。前の記事で予告したように、できれば定期的に論文の内容やゼミの様子を報告したかったのですが、諸事情で大幅に遅れてしまいました。ともかく、どういうものを読んでいたのかを、紹介させていただきます。 我々は前期のゼミで、次の論文を読んでいました。 Cook, Nicholas. 2008. We Are All (Ethno)musicologists Now. In The new (ethno)musicologies, ed. Henry Stobart, 48-70. Lanham, Maryland: The Scarecrow Press. この論文では、70年代以降の音楽学の動向が大まかに記述されていると共に、今後の音楽学がどのようになってくのか、あるいは、どうあるべきかが示されています。 筆者によると、近年の音楽研究では「民族音楽学
音楽という現象は「いま=ここ」、すなわち行為遂行性の下にしか存在しえない。本書は、文化人類学の観点から理論的考察を深め、メラネシア、シベリア、奄美の生活世界に密着したエスノグラフィーによって、音楽が体験化される場所をつぶさに取り上げ、音楽を自己でも他者でもない「あいだ」を紡ぎ出す過程として掘り起こす。 はしがき 序章 語りえぬものへのエスノグラフィー 1 「生きられる」音楽 2 ジャンベが叩かせる 3 語りえぬものと聞こえるもの 4 本書の構成について 第Ⅰ部 聴取のアルケオロジー 第一章 「いま=ここ」の神話論理 1 神話から音楽へ 2 獅子舞の時空間から 3 「かけがえのなさ」とは何か 4 接合と濃密さ 第二章 「呼びかけ」と「ふり向き」 1 何かが聞こえてくる 2 アドルノ「退行聴取」論 3 呼びかけ、ふり向き、中心 4 音楽地獄の身体 第三章 テリトリーを生み出す「切り分け」 1
『辺境のラッパーたち』(島村一平 編著) 渡邊十絲子氏「攻撃的な歌に秘めた悲しみ、愛」・・毎日新聞 2024年8月10日 [2024年8月13日]
古くからのことわざには「よく歌う人は、倍祈る」というものがあり、聖アウグスティヌスも「歌うのは愛している証拠」 (『説教』336,1)と言っています。このようなことを踏まえ、教会の勧めでも、典礼ではなるべく歌うことが望まれてい ます。『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』では「司祭または助祭、あるいは朗読奉仕者が歌うべきもので、会衆 の答唱がこれに伴うもの、もしくは司祭と会衆のが同時に歌うべきものから」(40)、すなわち、式次第の部分から歌 い始めるように勧めています。このことは、十分に理解されておらず、多くの共同体でも、ここから歌うことが行われて いないようですが、このことは、「典礼」と切り離せない重要な問題なのです。そこで、ここでは、早世した民族音楽学 者、小泉文夫氏の研究をもとに、共同体と歌の関係を考察し、典礼における聖歌のあり方について見てゆきたいと思 います。 小泉文夫氏は、「
イギリスのロックバンド、アニマルズの1964年のヒットシングル「朝日の当たる家」(The House of the Rising Sun)を、アニマルズのオリジナル曲と思っている人が多いが、これはカバー曲である。では誰のオリジナルなのか? 実ははっきりしない。この歌を最初に唄った人は著作権登録をしなかったからだ。ではアニマルズはどこでこの歌を知ったのか? アラン・ロマックスというアメリカ人のおかげである。 アメリカ各地で、口承でつたわるフォークソングを収集・録音していたロマックスは、1937年ケンタッキー州で、16歳の少女が歌う「朝日の当たる家」を録音した。これがレコード化されて、のちにアニマルズが聞くことになった。ロマックスは、フォークソングの収集家として、アメリカだけでなく、世界中の歌を録音した。彼の初めてのレコーディングは1933年にさかのぼる。ハーバード大学の教授だった父のジョンに
In 1973 John Blacking’s How Musical Is Man? was published by University of Washington Press. Blacking, an English anthropologist and ethnomusicologist, had been invited to the University of Washington as a Jessie and John Danz Lecturer in 1971, and his series of talks became the basis for this published work. How Musical Is Man? explores the role of music in society and culture and, conversely, t
比較音楽学 英:comparetive musicology 独:vergleichende Musikwissenschaft 古今東西にわたる音楽を比較し、音楽の可能性を実証的に探求することを目的とする 新しい音楽学の一部門。 20世紀初頭にその名が生まれ、始めは非欧米民族音楽を相互に比較研究する音楽 人類学(ethno-musicology)として出発した。 今日でも比較音楽学と音楽民俗学とは同義であるとする説(クンスト博士等)もあるが、 必ずしもそのように狭義のものとすることはない。 比較音楽学の発達は四期に分けて考えられる。 1.比較音楽学以前17世紀以来、欧米人の植民地の音楽の調査研究や古代東方の 音楽の考古学発掘によって非欧米音楽に関する知識と資料が集められ、器楽博 物館における系統的分類の再検討が問題となった。 イギリスのカール・エンゲルの「
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