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祈 り を 歌 う
古くからのことわざには「よく歌う人は、倍祈る」というものがあり、聖アウグスティヌスも「歌うのは愛... 古くからのことわざには「よく歌う人は、倍祈る」というものがあり、聖アウグスティヌスも「歌うのは愛している証拠」 (『説教』336,1)と言っています。このようなことを踏まえ、教会の勧めでも、典礼ではなるべく歌うことが望まれてい ます。『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』では「司祭または助祭、あるいは朗読奉仕者が歌うべきもので、会衆 の答唱がこれに伴うもの、もしくは司祭と会衆のが同時に歌うべきものから」(40)、すなわち、式次第の部分から歌 い始めるように勧めています。このことは、十分に理解されておらず、多くの共同体でも、ここから歌うことが行われて いないようですが、このことは、「典礼」と切り離せない重要な問題なのです。そこで、ここでは、早世した民族音楽学 者、小泉文夫氏の研究をもとに、共同体と歌の関係を考察し、典礼における聖歌のあり方について見てゆきたいと思 います。 小泉文夫氏は、「
2011/07/30 リンク