一つは23メートルの伊田竪坑櫓(たてこうやぐら)だ。 〈あなた一番方 わしゃ二番方 あがりさがりで逢(あ)うばかり〉 もう一つは45メートルの煙突だ。 〈赤い煙突 目あてにゆけば 米のまんまがあばれ食い〉 〈ままになるなら あの煙突に わしの思いを吐かせたい〉 公園は旧三井田川鉱業所跡地に整備され、竪坑櫓と煙突はそのままモニュメントとして残されている。 伊田坑など三井田川の炭鉱では1940年の最盛時には年間200万トンの石炭を産出し、作業員は約1万人という数だった。伊田坑だけでも炭坑住宅は465棟。ひと棟に4軒入っていたので、戸数で言えば1860戸。三井の巨大な企業城下町が広がっていた。 「炭坑節の語り部」と呼ばれる原田巌(74)も父が採炭員をしていたので1860戸の中の1軒で生まれ、そして育った。 × × 原田はこの竪坑櫓で昇降し、地下300メートルの世界で1年近く、作業をしたこと