野口雨情の「赤い靴」は、本当はからゆきさんとして売られていったのだ、という話は聞いたことがあった。横浜の山下公園には、それとは関係なく、虚構的存在として銅像が建っている。 ところが最近では、これにはキミちゃんというモデルになった女の子がいて、麻布十番あたりにその銅像が建っているという。 なんでも、1978年に北海道テレビで、そのモデル少女に関するドキュメンタリーが放送されて、プロデューサーだった菊地寛という人が『赤い靴はいてた女の子』という本を書いているという。 それによると、1973年、岡そのという60歳の女性が「北海道新聞」に、「赤い靴」の女の子は、自分が生まれる前に死んだ異父姉のきみのことだとして投書して、学藝欄に掲載されたのが発端だという。そこから調査をしたら、きみはヒュイットという宣教師の養女になったが、病弱なため東京の孤児院に入れられ、渡米せぬまま9歳で死んだという。 どうやら