タグ

ブックマーク / jp.rbth.com (175)

  • 松江の牡丹がモスクワに進出するまで

    島根県松江市からロシアに出荷された牡丹(ぼたん)の総数が、このほど累計1万を超えた。極東への試験輸出から5年あまり。昨秋にはモスクワの国際見市で好評を博すまでに至った。歩みを支えてきたのは、関わる人々の情熱だった。 昨年9月、モスクワで開かれた見市「フラワーエキスポ2014」。日各地から6団体・企業が出展した中でも、島根県が設けた牡丹のブースはひときわにぎわった。地元バイヤーから新規の注文が入り、すでに販売実績のある極東から首都圏の大市場へと広がりを見せる。出荷元は日一の牡丹生産地、地元で「大根島」として親しまれる松江市八束町だ。 ブースではロシア人スタッフに交じり、1人の島根県職員が忙しく駆け回っていた。貿易促進支援室主任の福間猛氏(40)である。6年前に牡丹輸出を発案し、多くの関係者の協力を集めて実現にこぎ着けた、牡丹プロジェクトの中心人物だ。 留学時代から温めたアイデア ア

    松江の牡丹がモスクワに進出するまで
  • ロシアの仏教、10の事実

    ロシアにおける仏教の歴史は波乱万丈だ。仏教徒たちは、ツァーリや大統領を賛美したこともあれば、宮廷で皇帝を治療したこともあり、共産主義政権のもとで迫害、撲滅され、彼らの多くがラーゲリ送りとなり、自分たちが“治療”を強制されたこともあった。迫害が止んだのはようやく1980年代のことだ。 1) ロシアにおける仏教の流派は ロシアで布教されているのはチベット仏教(ラマ教)で、その地域は主に、ブリヤート、カルムイク、トゥヴァの3共和国。ロシアに初めて仏教が伝わったのは17世紀のことで、ヴォルガ下流地方にモンゴルの有力部族オイラト人が移住してきたおかげだ。彼らは後に、カルムイク人と呼ばれるようになった。 もう一つの事情は、17世紀半ばに、東モンゴルの部族ブリヤート人が住むザバイカル(バイカル湖の東)が、ロシアに併合されたこと。オイラト人は、ヴォルガに至る途上で1616年前後に、最初の常設の修道院「ダル

    ロシアの仏教、10の事実
  • ロシアの男爵の外モンゴル征服記

    ロマン・フョードロヴィチ・ウンゲルン・フォン・シュテルンベルク(1886~1921)の生涯は小説よりも奇なりであった。彼は、ロシアドイツ系貴族(男爵)だが、仏教を受け入れ、外モンゴルを中華民国軍の占領から解放。そして、ボリシェヴィキを打倒し、新たなユーラシア大国を築こうと挑戦し続けた。 「ヨーロッパには、バロン・ウンゲルンの前にも後にも、東方に精神的な支えを求めた人がたくさんいた」。ロシア人作家、レオニード・ユゼフォヴィチは、自身が著したウンゲルンの伝記に、こう書いている。 「しかし、彼だけがこの精神的支えを軍事的な基盤に変えることができた」 たしかにそれは真実だった。ロシアドイツ系貴族、ウンゲルンは、生涯最後の日々をモンゴルとシベリアで戦った――アジアの騎兵の助けを借り、ロシア帝国を再建しようとして。 狂気すれすれの勇敢さ第一次世界大戦における従軍中のウンゲルン・フォン・シュテルンベ

    ロシアの男爵の外モンゴル征服記
  • あなたの食の好みは誰に似ている?イワン雷帝かニコライ2世か?(クイズ) - ロシア・ビヨンド

    Dmitry Levitsky, Earnest Lipgart, Paul Delaroche, Viktor Vasnetsov, Geralt, Deviser/Pixabay あなたのの好みから、ロシアのどの統治者のメニューがあなたに合うのかチェックしてみよう!イワン雷帝か、ピョートル1世か、エカテリーナ2世か、それともニコライ2世か?

    あなたの食の好みは誰に似ている?イワン雷帝かニコライ2世か?(クイズ) - ロシア・ビヨンド
  • ロシアの偉大な元帥にインスパイアされて作られたショートブレッドクッキー

    おそらくもっとも簡単なクッキーのレシピかもしれないが、男性にそばにいてもらいながら作ることができるクッキー。 わたしの祖母が持っているソ連の料理はソ連のノスタルジックなペイストリーの宝庫である。そんなの中にショートブレッドのレシピのページを開いたときに、すぐに目につくのが「スヴォーロフ・クッキー」である。 アレクサンドル・スヴォーロフ(1730–1800)はロシア軍の偉大な指揮官の一人で、無敗の元帥であった。彼の名は今もロシア軍の歴史に残る誇りである。しかしクッキーとどんな関連があるというのだろう? いつ、誰がこのスヴォーロフ・クッキーを最初に考案したのかは明らかではないが、ロシアを代表する料理史研究家ウィリアム・ポフリョプキンが広めた起源については、面白い伝説がある。それはフランスの菓子職人がスヴォロフの人間性にインスパイアされ、軍のリズムでレシピを考案したというものだ。100!20

    ロシアの偉大な元帥にインスパイアされて作られたショートブレッドクッキー
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2018/10/14
    砂糖100g、バター200g、小麦粉300g, 卵白2個
  • 外貨ショップ「ベリョースカ」:ソ連の人たちは手に入りにくいものを外貨で買っていた

    ソ連では、欧米の品や高級品を購入するのにエリート層である必要はなかった。機転を利かせて外貨を手に入れることができれば、ソ連のほとんどの人たちが夢見ているものを買うことができたのだ。 ソ連で合法的に外貨を使うことができるところは、正式には、高級スーパーの「ベリョースカ」(白樺)だけだった。最初のうちは、ベリョースカはで買い物をすることができやのは、外交官や軍事専門家やアスリートたちといった特権階級にあるロシア人だけだった。しかし、基的な消費財が手に入りにくくなるにつれて、普通のソ連の市民たちも、この店で買い物をする方法を見つけていったのだ。 観光客と小さなもの ベリョースカはおもに観光客をターゲットにしていた。とりわけ、自分たちの国の国際通貨で買い物をしたいと思っている西側から訪れた人たちだ。そのため、これらの店では、おもに小さな土産物を販売していた。ソ連の旅行記を執筆したジニ・グラハム・

    外貨ショップ「ベリョースカ」:ソ連の人たちは手に入りにくいものを外貨で買っていた
  • 国後島の生活:ツイッターに綴られる驚くべき事実

    エリザヴェータ・ダヴィドワさんは17年、国後島で暮らした。彼女はこの島を愛情を込めて「ナルニア国」と呼ぶ。ツイッターで得意なことについて投稿し、集めたライクの数だけ事実を言うフラッシュモブ「1ライク1ファクト」で、エリザヴェータは島の地震や海のノミや毒グモのこと、そして日との近さについて綴っている。 彼女の投稿にはこれまでにすでに1万1,000以上のライクが集まっているが、その中からロシア・ビヨンドがもっとも興味深い事実を集めた。 火山と地震について 「島には4つ火山があり、そのうちの3つが活火山である」。「島の人々は地震に反応しない。小さな揺れであれば携帯から目を上げることすらしない。ときどき棚が揺れたり、器が落ちたりすれば、慌てて家から飛び出すこともある」。 「月に行ってみたいけど、そんなお金はないという人は、噴気孔に注目して欲しい。これは火山活動およびそれに伴う熱水活動によってガ

    国後島の生活:ツイッターに綴られる驚くべき事実
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2018/08/13
    「干潮のときにしか見えない魔法の温泉がある。温泉は海に沈んでいて、干潮のときだけ海辺に現れるのである」
  • ペテルブルク近郊のサブリノの大洞窟:なぜここで人が消えるのか?

    サンクトペテルブルク近郊に14の洞窟がある。ここに長年にわたり、ソ連の反体制派や地元の強盗団が身を隠し、地質学者やディガーが探検に訪れ、観光客もエクストリームを求めてやって来た。しかし、洞窟をめぐり、不気味な噂がいろいろ飛び交っている。そのうちの一つは、ここで絶えず人々が消滅するというものだ。果たしてこれは当か? ここには、サンクトペテルブルクから40kmのところにある鉄道駅「サブリノ」と小さな村があり、トスノ川が流れている。ロシア史では有名な場所だ。 この村「ウリヤノフカ」(旧サブリノ)に、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンの姉アンナが住んでおり、第一次革命が起きた1905年から1906年にかけて、レーニンは帝国警察の目を逃れ、ここに身を隠していた。 また、ずっと後のこと、レーニンの姉の家のそばで、未来の大統領、ウラジーミル・プーチンがピオネール(共産党の少年団)に加わっている。彼の家

    ペテルブルク近郊のサブリノの大洞窟:なぜここで人が消えるのか?
  • ロシアのキラキラネーム9選

    まず、ニュージーランドに「ナンバー・シックスティーン・バス・シェルター」ちゃん、「マフィア・ノー・フィア」ちゃんと名付けられた新生児がいた。それからロシアでも子供に新奇な名前が付けられ始めた。そして期待を裏切らなかった。 ロシアでは2017年に、数字、暴言、約物(句読点、括弧、疑問符などの記号)、職業を含む名前を禁じる法律が施行された。法律がもう少し早くできていれば、これらの不幸な子供たちの何人かは救えたかもしれない。彼らには同情するしかない。 Пофистал(ポフィスタール) 共産主義に関係する名前から始めよう。この名前は「ポベディーテリ・ファシーズマ・イオーシフ・スターリン」(「ファシズムに対する勝利者ヨシフ・スターリン」)を略したものだ。なんて素敵。 あるロシアの名前解読ウェブサイトによると、この名前を持つ人は「決断力、機転、反応の速さなど、集団の中で主導的な地位に就くことを可能に

    ロシアのキラキラネーム9選
  • チェチェンへ行く前に(行かずとも)知っておくべき7つのこと

    ロシアで最も危険な地方の一つだったチェチェンが、国内で最も安全な場所になった。だが依然として、チェチェンへ行く前に知っておくべき注意事項がいくつかある。 安全だ。だが、ムスリムが過半数を占める保守的な地域であり、島での休暇のように酔っ払って騒いだり羽目を外したりすることは容認されないということを覚えておこう。 現地の警察は常に親切だが、あなたが少しでも問題を起こせば、躊躇なく後ろ手に捻られ手錠を掛けられるだろう。 彼らは銃を抜くのも早い。チェチェンの警官は皆、調整済みのカラシニコフ小銃(AK)と拳銃で武装している。そして彼らはこの地域の特殊性ゆえ、銃の扱い方を大変よく知っている。2000年代後半にロシア政府と法執行機関とが反テロ政策を効果的に遂行するまで何十年もの間、この地方はテロ組織によって分断されていた。 したがってこれはコインの表裏のようなものだ。身の安全を確保したければ、大学生さな

    チェチェンへ行く前に(行かずとも)知っておくべき7つのこと
  • 「子供たちの友」:スターリンと少女の写真の暗い後日談

    ヨシフ・スターリンに抱かれているエンゲルシナ・マルキゾワ(1936年)。2年後、大粛清の時期に彼女の両親は殺されてしまった。 Mikhail Kalashnikov撮影/Sputnik ソ連の独裁者スターリンの有名な写真がある。花束を手に持ち、少女を抱いたもので、優しい指導者のイメージを伝えた。にもかかわらず、これは写真の少女、エンゲルシナ・マルキゾワを救わなかった。1930年代の大粛清の時期に彼女の両親は殺されてしまった。 アメリカのポップアートの旗手、アンディ・ウォーホルは、1968年にこんなことを言った。「将来は、誰もが15分間で世界的に有名になれるだろう」。もちろん、その32年前の1936年に、東シベリアのブリヤート出身の7歳の少女、エンゲルシナ・マルキゾワが、その言葉を知っていたわけはない。だが、彼女の身に起きたのはまさにそういうことだった。 ソ連の全能の指導者、ヨシフ・スターリ

    「子供たちの友」:スターリンと少女の写真の暗い後日談
  • ロシアの最高齢者:どんな人がどんな風に長生きしているのか?

    バターと甘い紅茶が好きで、50歳を超えて出産し、薬を飲まず、20人ものひ孫を持ち、3世紀をまたいで生きた、そんな人々。 今から数年前、アストラハン州の田舎にある小さな村イスラムガザ(モスクワの南およそ1,400キロ)がロシアのあらゆるニュースで取り上げられた。この村に住むカザフ人女性、タンジリャ・ビセムベーエワさんが120歳の誕生日を祝ったのである。現在、彼女は122歳だ。 タンジリャさんは1896年、帝政ロシアに生まれた。彼女の最初の夫は大祖国戦争中、前線で戦死し、2人の子どもは幼いころに亡くなった。終戦を迎えたとき彼女は49歳、家族もなく、子どももなかった。しかしまもなくして、年老いたカザフ人から結婚の申し出を受けたタンジリャさんはその男性と結婚、子宝にも恵まれ、53歳、54歳、57歳のときに男児を出産した。しかも彼女は家で出産、親戚の話によれば、100歳まで医者にかかったことがないそ

    ロシアの最高齢者:どんな人がどんな風に長生きしているのか?
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2018/04/20
    “タンジリャさんはその男性と結婚、子宝にも恵まれ、53歳、54歳、57歳のときに男児を出産した。しかも彼女は家で出産、親戚の話によれば、100歳まで医者にかかったことがないそうだ”
  • 背筋が寒くなるソ連アニメ3作:人生に絶望させてくれる実存的恐怖

    なぜ、たいていのロシア人は、むっつりと押し黙り、悲観的に見えるのか?ここに一つの解答があるかもしれない。それは彼らの子供時代にさかのぼる。ソ連時代のテレビは、死、喪失、そして無駄な試みといった実存的なテーマをもつ、実に不気味なアニメを放映していた。そのなかでもとくに重苦しいものをいくつか選んでみた…。 ソ連のアニメは巨大産業で、子供のための娯楽だけでなく、いわゆる「大人のためのアニメ」も生み出した。だが、「大人のための…」といっても、セックス、冒涜、アル中などはほとんど含まれていない。いや、そんな類のものとはぜんぜん違うのだ。 「大人のアニメ」の多くは、人間のようにしゃべる動物など、子供向けのテーマで始まるが、やがて重苦しいストーリーの展開を経て、暗い帰結に至る。しかも、そういう「大人のアニメ」には、放映時間が指定されていなかったため、あらゆる時間帯で放送される可能性があった。その結果、ア

    背筋が寒くなるソ連アニメ3作:人生に絶望させてくれる実存的恐怖
  • 永久凍土の地で日本との温室事業

    企業は、サハ共和国やハバロフスク地方で、野菜生産の増産に寄与している。現在、これらの地域に季節外野菜を供給しているのは、中国のみだ。 サハ共和国の行政中心地ヤクーツク市(東京の北北西3000キロ)郊外にある温室栽培施設「サユリ」で今月、永久凍土の地で温室栽培されたトマトの初収穫が行われる。有限責任会社「サユリ」のマクシム・スレプツォフ最高経営責任者(CEO)が、ロシアNOWにこれを伝えた。日の「北海道総合商事」株式会社が共同出資しているサユリ社は、世界で初めて極北条件の下でハイテク通年温室を運営開始した企業となったと、サユリ社広報部は伝えている。 永久凍土の地の貴重な野菜 スレプツォフCEOによると、トマトの最初の苗が植えられたのは今年10月。全面稼働になれば、年間トマト470トン、キュウリ1692トン、葉物野菜28トンを生産できるという。総事業費は13億ルーブル(約22億7500万

    永久凍土の地で日本との温室事業
  • ロシア語を学ぶことで人生が永遠に変わった5人の外国人

    トルストイを原語で読むことから、仕事やロマンチックな愛、新しい友人たちを見つけることまで。ただ文法を勉強しているだけだと思っていたら、まったく新しい世界を発見してしまった外国人たちの物語。 「私はジョンズ・ホプキンス大学でロシアのことを格的に勉強し始めました。ジョンズ・ホプキンス大学は、1960年代初めに、終身雇用でない講師が一人で非常に小さなカリキュラムを行っていたんです。とても小さなロシア語のクラスは、私が高校で読み始めていた、とても大きな文学の言語へと私を導いてくれました。『エヴゲーニー・オネーギン』が私のおもな教科書でした。 当時は特別な方法論なんかまったくありません! あの先生じゃなかったら、私はロシア研究の世界には入っていなかったでしょう。おそらく私の人生は、もっと「普通」のコースを選んでいたはずですが、でもロシア建築は最も活動的な支持者を1人失っていたことでしょう。 ロシア

    ロシア語を学ぶことで人生が永遠に変わった5人の外国人
  • ロシアの船の死に場所は?

    時として、船を“退役”させることは、新しい船を造るのと同じくらい手間がかかる。したがって、複雑で労働力を要する解体の過程を省いて船体を海底に沈めるか、はるか彼方の湾の沿岸に打ち捨てるかして“船墓場”を作ってしまうことも珍しくない。

    ロシアの船の死に場所は?
  • ロシア人の英語学習の四苦八苦:どこがそんなに難しいか

    外国人がロシア語を学ぶのは難しいと、誰もが思っているが、英語の勉強はもっと簡単なのだろうか?ロシア人は、英語学習の難しさについてどう考えているだろうか? あなたの母国語で何かしゃべろうと苦労している外国人を見ると、正直言って、いつも滑稽かもしれない。ただし、あなた自身が外国語を話そうとして、嘲笑の的になるまでの話だが。 2014年の「レヴァダ・センター」の世論調査によると、英語を話すロシア人の割合はたったの11%だった。こんなに少なくても、それでもロシア国内では最も人気のある外国語で、多数のロシア人が学校や大学で学んでいる。とはいえ、英語を頻繁に使う人は少ない。では、ロシア人が英語を学ぶときに何が問題になるのか?英語のどこが難しいか? ロシア人が聞きとれない英語の発音 “is”や “there is”のような、ありふれたフレーズが、ロシア人にとっては頭痛の種になり得る。発音しにくい母音が混

    ロシア人の英語学習の四苦八苦:どこがそんなに難しいか
  • ロシアのシリア難民たち

    最新データによると、ロシアには約1万2000人のシリア人がいる。ヨーロッパでは難民が駅に殺到したり、公園や道端で野宿したりしているが、ロシアではそのような光景は見られない。ここはヨーロッパを目指す難民の最後の中継地となる。シリア難民の状況はどうなっているのだろうか。ロシアNOWが特集する。 150人以上のシリア難民が、ロシアを経由してノルウェーに入国したと、ロシアの経済紙「ヴェドモスチ」がアメリカの経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」の情報として伝えている。ヨーロッパでは今年初めから約50万人が難民申請をしていることを考えれば、ごく一部の話にすぎない。ロシアはシリア人にとって通過地点であると、専門家は言っているが、それでもロシアに来る人は、難民として来る人と同様、多くはない。 通過ルート シリアの内戦を理由にロシアに入国したシリア人の正確な人数を数えるのは、かなり難しい。というのも、

    ロシアのシリア難民たち
  • ロシアならではの博物・美術館7選:おかしな施設におかしな展示品

    ロシアには変わった博物館、美術館がある。国内でも例外的であるが、海外でこういった施設を見つけるのはなかなか難しいだろう。核戦争に備えてつくられたスターリンの地下壕を歩き、棺のコレクションを見学し、車泥棒の道具を見ることができる。 1.ブンケル42、モスクワ ブンケル42(地下壕)は、モスクワ市中心部にある冷戦博物館。地下を歩きながら、ソ連とアメリカの核対立について学ぶことができる。長距離航空部隊の司令部として1950年代に建設された。地下65㍍に、7000㎡の施設が広がる。1960年代には、生命維持装置、給水設備、将校の長期滞在に十分な料が装備されていたが、1980年代に条件が悪くなっていった。国家機密だったこの施設は、1995年に公にされた。 防空壕への主な入口となっている縦坑の床面まではエレベーターがあり、厚さ6㍍以上のコンクリートの蓋によって保護されている。それはさらに、枠だけの見

    ロシアならではの博物・美術館7選:おかしな施設におかしな展示品
  • 単一産業都市の暮らしPart1

    ロシアにはいくつもの単一産業都市がある。つまり、ほぼすべての住人が同じ大企業に勤務している街である。ロシアNOWがこのような都市をシリーズで特集する。第一弾は、世界最大の鉄鉱石鉱床の一つが位置するコストムクシャ市。 ロシア北西部のカレリア共和国の面積は、チェコやオーストリアの国土に匹敵する。だが人口は圧倒的に少ない。共和国には63万人しか暮らしていない。大都市はなく、サンクトペテルブルク市からムルマンスク州まで伸びる幹線道路に沿って、人口集積地があるだけだ。 特別な街アンドレイ・イスクロフ カレリア共和国の中心都市の一つはコストムクシャ市。世界最大の鉄鉱石鉱床の一つが近郊にある。コストムクシャ市は新しい街で、1970年代に2つの村を合併してつくられた。現在は人口でカレリア共和国第三の都市であり、最も豊かである。鉄鉱石を採掘、精鉱する地元のコンビナート(ロシアの製鉄・鉱山採掘大手「セヴェルス

    単一産業都市の暮らしPart1