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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (879)

  • 仏教入門おわり(補遺): 極東ブログ

    今月の文藝春秋の仏教特集を読みながら、自分と仏教との関わりをちょっと書いてみたくなり、書いてみると、思ったより長くなりそうなので、4回に分けた。書き残しはいろいろある。が、あとは余計なことだ。とはいえ、その余計なことを少し書いて、終わりにしたい。 法華門については触れなかった。日の仏教は天台宗を基軸としているし、私は比叡山から坂の地が好きだ。酒井阿闍梨も素晴らしいと思う。法華経は教養として誰も読み下し文なり、口語訳なりは読んでおくべきだとは思う。日蓮の主要著作も歴史的には興味深い。特に、その弟子たちの活動が歴史的には面白いと思う。日蓮については、私は千葉の誕生寺とその界隈の伝説が好きだ。私の気質はむしろ日蓮に近いかもしれない。が、それ以上の関心はない。ご覧通り、私は、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊である。 仏典については、法華経以外に、ドラマティックな維摩経や勝鬘経など教養人は口語

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2017/03/13
    "仏教をいくら書籍で学んでも、日本の歴史に刻まれた仏教文化はわからない。なぜ阿弥陀、薬師、観音がセットになっているかを知るには、まったく違ったアプローチが必要になる。"
  • 仏教入門その4: 極東ブログ

    禅について書いても、無意味なのではないかという気もする。世人は玄侑宗久「禅的生活」で満足しているようだ。日の禅は臨済禅か。私には関係ない。が、今禅について思うことを少し書いてみたい。 禅について書かれたは面白いが。それは罠だ。禅の障害である。そうわかっていても、面白いものは面白い。この一冊というなら、臨済録だろう。最後にオチもある。臨済の禅は臨済の死をもって終わる。当に終わったのだ。 臨済に関連して中国禅の話は柳田聖山「禅思想」が面白いには面白い。柳田聖山のものはよく読んだが、もういい。我が邦の禅師では一休宗純。その狂雲集はどうか。隠元、白隠、鈴木正三の語録はどうか。もういいなと思う。 碧巌録はどうか。無門関はどうか。趙州無字。犬に仏性はあるか。くだらない。この公案の答えは、くだらない、だ。 なぜか。それは「一切衆生悉有仏性」をなんと読み下すかにかかっている。そこに禅は極まると思う。

  • 仏教入門その3: 極東ブログ

    浄土教については、自分の宗教的な関心から歴史的な関心がおろそかになりがちになる。だが浄土教に宗教的な救済を求めることは無意味だとも思う。が、それは確実に私の一部となっている。 15年くらい前になる。一人熊野詣で山を越えて歩き回ったことがある。山の中腹でふと振り返ると、眼下に昔の大社跡が、それがなるほどというくらい、浄土のように美しく見えた。浄土教というのは、あの美しさや輝きを持つものだと思った。また、のたれ死にも悪くないと思えるほどの孤独に感覚が麻痺していたころ、当麻寺の練供養会式の後の春の夕暮れが浄土を連想させるほど美しかった。飛鳥のレンゲ田にたたずみながら、多数の天人たちが今、大空から駆け下りてきても不思議でなく思えた。あの陶酔感や、沖縄のエイサーのもつ躍動感のなかに、浄土教の歴史的な扉があるのだと思う。その美に惹かれる。それでいて私は宗教的にはいつも浄土教にはなにかに戸惑っている。

  • 仏教入門その2: 極東ブログ

    密教には随分と心惹かれた。が、今はほぼその興味を失ってしまった。そんなことを書くのもどうかと思うが、なにしかしら書いてみたい気だけはする。 日人として密教といえば、空海ということになる。空海は非常に難しい。原典もなんどか挑戦したが歯が立たないという感じがする。この恐ろしい知識人は当に古代人なのか。人間離れしている。道元も恐ろしいほどの知識人だが、それでもまだ人間という感じがするが、空海に至ってはほぼ人間とは思えない。空海、つまり弘法大師はそれ自身が伝説のようでもあり、その伝説からもアプローチしたが、よくわからなかった。 日人はなぜこうも御大師様に惹かれるのだろうか。10年以上も前だが高野山密厳院に泊まった小雨の深夜、人っ子一人いない奥の院を詣でたことがある。四方墓ばかりの暗く湿った参道を歩きながら、そうして行けば、生きていらっしゃる大師に会いできそうな気がした。神秘的な体験はなかった

  • 仏教入門その1: 極東ブログ

    私は仏教を理解しているとはとうて思えない。私の仏教入門など、お笑いぐさだろうと思う。が、メモがてらに書いてみたい。自分の人生のちょっとした追想のようなものであるからだ。 仏教を知るのに最適な書籍はなにか。私の結論は「大乗起信論」である。現代語訳付きで安価な岩波文庫のものが近年出ているのだが、アマゾンを見たらすでに在庫がない。ある意味、よいことだと思う。大学の教科書などで利用されているのだろうと推測する。皮肉を言えば、よって、古書でより安価にありそうなものだが、アマゾンの古書にもない。 現代思想かぶれには、井筒俊彦の「東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 中公文庫BIBLIO」が受けるだろうが、井筒俊彦はあまりお薦めしたくない。デリダとかお薦めしたくないのと同じ理由だ。私は井筒のファンとも言ってもいいのだが、こうしたは若い人には害があるように思う。 現状、大乗起信論は安価なも

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    jiangmin-alt 2017/03/13
    "井筒俊彦はあまりお薦めしたくない。デリダとかお薦めしたくないのと同じ理由だ。私は井筒のファンとも言ってもいいのだが、こうした本は若い人には害があるように思う。"
  • 産経新聞さん、ポチ保守ではいられないよ: 極東ブログ

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2017/03/13
    "あいつらの頭の良さに向き合うなら二歳から千字文を書き、四歳で四書五経を読み、六歳で「葉隠」を読むという素養が必要だろう。"
  • 漢字という虚構: 極東ブログ

    さらに漢字について書く。ご関心のないかたも多いことだと思うので、おつきあいを願うものではない。そして、おつきあい頂いたかたの反論や反感も多いのではないかと思う。ある程度、しかたがないと思う。というのは、これまでの漢字についての私の話は虚構といえば虚構なのだ。「白川静は『と』だと思う」(参照)で、なぜソーシュールなんかをひっぱり出したかというと、虚構を打ち立てるためだ。 虚構は、ここでは、嘘という意味ではない。言語学の方法論というのは、こういう虚構を必要とする。そして、この虚構がなければ、果てしない混乱になるし、私は白川静の漢字研究はその混乱の果てであると考えている。以上の考えに変更はない。 が、もう少し述べる個人的な必要性を感じている。私のこの分野の思想を少し展開してみたい気がするのだ。 関連して余談めくが、この間、暗黒日記から批判のようなものがあった。ご関心のあるかたは、先の記事の長いコ

  • とても賢い14歳のベトナム人少年の話: 極東ブログ

    だと弥生時代、中国では漢の時代。第七代皇帝・武帝は隣国を攻め国を広げたが、たびかさなる戦争のための徴兵で人々の生活は苦しいものになっていった。そこで八歳で武帝を継いだ第八代皇帝・昭帝は若いながらも、徴兵を軽減し、内政に力を注ごうとした。内政の充実には、民間から広く賢者を集めることが大切である。昭帝はその自覚のもと、自らその賢者の選抜にも当たった。 その選抜の年は昭帝が十八歳であっただろうか。宮殿内の庭に壮年から初老まで見るからに賢そうな学者の並ぶなかに、みすぼらしいと言えないまでも質素な身なりで小柄で色の黒い少年が一人が混じっている。あれはいったいなんなのだと若い昭帝は思ったが、自分より若いその少年の目の輝きに興味を引かれ、少年が自分の前に現れるのを待つことにした。 少年の番となった。眼前にすっと立つ少年に昭帝はまず年を聞いた。 「おまえは何歳だ?」 「十四です」 「十四だと。賢者を集

  • 朱子学は道教: 極東ブログ

    朱子学なんていうものは、道教できまりと思っていたが、ネットをちょっとぐぐってみたら、まだ定説にもなっていないのかと、ちょっと唖然とした。そしてちょっと反省した。こりゃちょっくら世間様にすり寄るべきだったか、なと。 そう思ったのは、ryoさんの次のコメントだった。 それに朱子学が道教だというのはいったいどっから来てるのですか.超越性の内在という点で禅と似てるというのならまだしも(もちろん朱子は道教も仏教も批判しますけど,一面では相当継承している箇所があるわけです).それこそ(やな言い方ですが)「と」じゃないですか(笑)極言なんていうけど,単に不用意だと思います. とご指摘いただいて、あれ、と思ったのだ。 ただ、ryoさんは、極東ブログのレトリックをお楽しみにならないようなので、ちょっと残念。というのは、次の指摘は、ちょっと、トホホ。 以上の話は実はどうでもよくて,僕は単に読みながら冷笑的に傍

  • 風力発電に意味があるのか?: 極東ブログ

  • 「マスク依存」の何がいけないのだろうか?: 極東ブログ

    朝方時計代わりにNHKを流していることがあるが、昨日だったかたまたま「マスク依存」という話を見かけた。ああ、これだ。NHK「自分を隠したい 広がる“マスク依存”」(参照)。ここで、「意外な使われ方が広がっています」として、①ファッション、②心の不安からマスク依存を挙げ、この二番目を「取材」していた。 マスクがないと不安を感じ、手放せなくなる、いわば“マスク依存”ともいえる状態。 精神科の医師は、深刻な事態を招くこともあると指摘します。 精神科医 渡辺登さん 「他人に自分の喜怒哀楽を読まれずに済みますから、自分がどのように相手に見られているか気にしないで済む。 マスク依存を続けていると、社会との壁を高く作ってしまう。 ひきこもりに陥ってしまう危険性もある。」 “マスク依存”から抜け出すためにはどうすればよいのか。 カギは、やはり人とのコミュニケーションにあると精神科医は指摘します。 精神科医

    「マスク依存」の何がいけないのだろうか?: 極東ブログ
  • 罪深いという感じについて: 極東ブログ

    米国大統領選挙の副大統領候補が民主・共和ともに決まった。それはそれなりに思うことはあるのだが、なんとなく私は「ジョン・エドワーズ元上院議員(54)」のことが気になっているというか、このところ、罪深いという感じについてぼんやり思うことがあるので、そんな雑談。 エドワーズ元上院議員は今年の1月までは大統領選挙での民主党候補指名争いで三番手に残っていた。前回の大統領選挙のケリー候補のときでも副大統領指名になっていたから、今回も副大統領に指名されるのではないかという話もあった、が、がっちょーんと崩れたのは8月8日に不倫を認めたことだった。日でどのくらい話題になっていたか知らないが米国では話題っていうかすごい話題だった。日で報道が無かったわけではないので、クリップ。AFP”エドワーズ元上院議員、不倫認める”(参照)より。 米大統領選に2度の出馬経験があるジョン・エドワーズ(John Edward

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    jiangmin-alt 2017/02/04
    "最初に罪なきものが石を投げろというなら、この手の話題に関係ない俺なんか最初に石投げてやりそうな感じがしないでもないが、「罪」というのをもっと広義に捉えていくと、多少微妙かなという感じはする。"
  • 男の幸せ: 極東ブログ

    ちとわけあって、「男の幸せ」というのを問われた。ついでなんでブログのネタにする。なお、この話、これ以上のフォローはなしです。ま、そういうこと。 Q 酒井順子「負け犬の遠吠え」を巡って、女性の幸せについて話題になっていますが、それでは男としての幸せとは、いったいなにが決め手になるとお考えですか? A 結婚っていうことだと、男の場合、その意味は世代で随分違うと思うんですよ。私は昭和32年生まれですが、上の団塊の世代で大学とか行けた中産階級予備軍はフリーセックスとか不埒なことを言っていたし、下の世代になると大学をレジャーランドにして不埒なことをしていたこともあって、って冗談ですが、私の世代くらいまでは、結婚というのはまだ性欲とかに結びついていました。富島健夫の青春小説とかまだ読まれていた時代です、って、そんな作家知らないですよね。女性は性的な憧れであり、それは20代中頃くらいまでは、けっこう幸せ

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2017/02/04
    "どういういきさつか知れないけど、不埒男の元米大統領クリントンも1994年天皇皇后両陛下の訪米のスピーチで、「独楽吟」から一つ引用しています。"
  • [書評]男の人って、どうしてこうなの?(スティーヴ・ビダルフ): 極東ブログ

    「男の人って、どうしてこうなの?」(草思社:スティーヴ・ビダルフ)について、「これってどう、あなたにあてはまるの?」と訊かれた。女にである。「よく当てはまるし、男についてこれほどきちんと書かれたはないと思う」と答えた。「ちょっと、オーストラリアっぽい感じはするけど」と付け加えた。女はけげんそうな顔をして、またそのをぱらぱらとめくっていた。読んでもわからないと思うよ、とは口に出せなかった。 自分でもいつ読んだものか、まだ書架にあったのかすら忘れていたのだが、翻訳は2003年3月とあるのでそんな昔でもないのか。原作"Manhood"は1994年が初版。オーストリアのだ。米国でも売れたと聞くが、どの程度だったのだろう。原作と翻訳との差がきつそうなので、原書も読んでみたいと思いつつ忘れた。訳は日で売れただろうか。自分では面白いだなと思ったが、書評などをみかけたことはない。 もともと、こ

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    jiangmin-alt 2017/01/27
    "これはどれもけっこう重要な問題だ。が、なるほどと実感できるのは40歳過ぎてからだろう。この構成からはわからないが、男の40歳のというのは、この本の大きなキーワードになっている。"
  • [書評] セクシーに生きる(ジェイミー・キャット・キャラン): 極東ブログ

    『セクシーに生きる(ジェイミー・キャット キャラン)』(参照)、副題は「フランス女性がいくつになっても若々しく美しい18の秘密」とあるように、そういう秘密が18個書いてある、とのこと。そんなことに関心があるのか? というと、正直、さしてない。じゃあ、なんで読んだの? そもそもこの、面白いの? いや、それが微妙なんだ。 先日といっても、もうけっこう前になるのか、『私はラブ・リーガル』というドラマを見た。ええと、シーズン6のファイナルまで見ました。ロサンゼルス舞台のラブコメというか、内容はほとんどありえないアニメのような気軽さのなかに、からっとした明るいリベラリズムと法律から見た社会問題が扱われてとても面白かった。米国での放映の最終は2014年6月なのでもう2年くらい前の作品になる。 このドラマについては別途記事を書くかもしれないが、ラブコメということもあって恋愛シーンがよく出てくるのだけど

    [書評] セクシーに生きる(ジェイミー・キャット・キャラン): 極東ブログ
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    jiangmin-alt 2017/01/14
    "ジェイミーおばさんは、印象でしかないが、フランス人というより、おフランス趣味の米国人女性に見える。そういう著者が、フラン人はデートしないのよ、下着を決めるのよ、とかと熱弁している"
  • これこそがテロなんだと思った: 極東ブログ

    23日の宇都宮城址公園付近で複数の爆発については、昼頃何かのニュースで聞いた。複数の爆破があり、一人死亡ということで、テロかなと思った。しかし、米国での同種のテロ事件から想定していた規模ではなさそうなので、不審な思いを残しつつそれほど関心は持たなかった。その後、同日の7時のニュースでは、すでにその死者は72歳の元自衛官で、自殺図ったと見られると知り、自分としてはあらかたの関心を失った。 その後、なにか思い出すなと心を探り、2015年6月30日の東海道新幹線での71歳の男性の焼身自殺を思い出した。あれは、巻き添えの死者を出した点で、恐ろしいものだと思っていた。ネットでは、たしか低年金者の下流老人という視点や、こうした世相を導いたのは安倍政権だとかいう批判を見たように思う。今回はどんなネットの反応があるだろうかと連想したが、探ってみる気力もなかった。 その後、連日このニュースは続いたが、米国大

    これこそがテロなんだと思った: 極東ブログ
  • 同日2つの国民投票雑感: 極東ブログ

    日付的には、10月2日同日、ハンガリーとコロンビアで国民投票があった。国家のあり方を国民に問う投票という点で重要なのは当然だが、ある程度予想されていたこととはいえ、蓋を開けてみると「国民に問う」ということ、それ自体の問題性が浮かび上がってきたように思えた。 この2つの国民投票については日でも報道があるが、簡単に触れておくと、ハンガリーの国民投票では、中東や北アフリカなどからの難民をEU加盟国が受け入れるよう所定数割当てされることの是非を問うものだった。投票を起案した右派のオルバン政権としては、簡単に言えばハンガリーはこれ以上、難民を受け入れたくないという国民の意思をEUに示す意図があった。 結果は、「受け入れ反対」は有効票の98%を超えたものの、投票率としては43%と低く、国民投票を成立させる50%に及ばず、全体としてはハンガリー国民の良識を示す形になった。もともとハンガリーの政局からす

    同日2つの国民投票雑感: 極東ブログ
  • 曾野綾子(85)が夫・三浦朱門(90)を自宅介護する話に関連して: 極東ブログ

    週刊誌が比較的安価にオンラインで読めるようになって、週刊現代といった雑誌もざっと目を通すようになった。週刊ポストのほうに曾野綾子の連載があるのは知っていたが、週刊現代のほうにもあるのを見つけ、そしてそのテーマが夫・三浦朱門の介護であるのを知って少し興味をもった。彼ももう90歳でボケてもいいころではあるが、彼の友人の阿川弘之などは90歳でも明晰だったなとか思い出し、調べ直すと、阿川はボケはないものの90歳で介護が必要になっていた。まあ、そういうものだろう。 曾野綾子自身は85歳で、先の文章を読んでもまだ気迫がある。というか、ちょっとありすぎるかなと、先日の同コラム『自宅で夫を介護する』の第3回で思った。 話は表題通り、夫・朱門を自宅で介護するというものだ。率直なところ、それは無理じゃないかなあと思った。タレント兼エコノミストの森永卓郎も当初自宅で親の介護をしようとしたが断念した話をどこかで読

    曾野綾子(85)が夫・三浦朱門(90)を自宅介護する話に関連して: 極東ブログ
  • [書評] ピンクとグレー(加藤シゲアキ): 極東ブログ

    最初に映画のほうを見た。行定勲監督・蓬莱竜太脚映画『ピンクとグレー』である。今思うと幸いであった。映画のキャッチフレーズである「幕開けから62分後の衝撃! 」についてはなにも知らなかったからである。 映画の手法としてはおそらく、そう特異なものでもないだろう。映画の作り手の側の、ある意図がこのような手法を採っているのだろうということは、自分なりにも理解できた。映画ツウ的な映画であろう。と同時に、70代に少年時代を過ごした私の世代にとってはATG的な映像の作りにも似ていて共感していた。 先に触れたキャッチフレーズにあるように、映画作品としては、というか興行的には大きなどんでん返しがある。『シックスセンス』のような最後のどんでん返しというより、映画の中盤にあり、その部分は、いわゆるネタバレに属するのだろうと思う。その意味では以下は、ネタバレを含む。 だが、これはネタバレというより、現代小説

    [書評] ピンクとグレー(加藤シゲアキ): 極東ブログ
  • [書評] 最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常(二宮敦人): 極東ブログ

    中三女子がサブカル風でカラフルなペーパーバックスのを夢中になって読んでいるので、何?、ときいたら、の背を見せてくれた。『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常 二宮敦人』(参照)とある。 東京藝大の学生のルポルタージュ。そのテーマだけで面白いのだろうなと推測できる。ふと『もやしもん』も連想する。ヤボを承知の上で、「面白い?」ときいてみると、「面白い」と答えてくれたのだが、すでに読書に夢中でさらに話をしてくるふうはない。読後にまたきいてみるかと思ったが、数時間後には読み終えていた。「読む?」と私は聞かれる番である。「読むよ」と受け取る。 読んだ。面白いを通り越して、若い人には劇薬的なだった。自分が中学生のころにこれを読んでいたらやばいことになっていた、かもしれない。このに描かれる東京藝大生の純粋でフリーダムな生き方に、確実に魅了されていただろう。 若いってこういうことができる時

    [書評] 最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常(二宮敦人): 極東ブログ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2016/09/21
    "実際には池田理代子『47歳の音大生日記』(参照)のように年配者もいないわけではない。"