11月29日には警察庁長の王固盤が辞任し、12月1日には国際難民区の行政権が南京市から国際委員会に移行、難民区以外については首都衛戍司令官・唐生智に移行しています。 つまり、南京市の行政組織は1937年12月1日頃に撤退し、以降は機能していないわけです。 国際委員会は難民区の運営・管理で手一杯ですから、難民区以外の状況を調査できる余力はなかったでしょう。 唐生智は、目前に迫っている日本軍への対応で手一杯で、民間人が何人いるかなど調査する余裕がありません。 南京陥落直前の南京城区にどの程度の人口がいたのかわからないのは、こういった事情によります。 追記 ちなみに、スマイス調査は南京陥落後の1938年3月時点でのサンプリング調査であって、陥落前の12月について調査はしていないのですが、その知識がないと、以下のような反応をしてしまいます。 jjtaro_maruこれはひどい, 歴史捏造主義, 南