前回、ヨーロッパ大陸法はローマ法に基づくとはいっても、歴史の流れから観た場合、実のところはローマ法の「移植/焼き直し」といったほうが事実に近い、というお話しをしました。今回は、日本という国は法制度の「移植/焼き直し」を2回半してのけている国であるということを説明したいと思います。また現在の2回半目も、日本人の心に宿る「経典主義」という癌を克服しないかぎり、遅かれ早かれ破綻するであろう、ということを述べたいと思います。 日本が最初に異国から法制度を「移植/焼き直し」したのは、7世紀後半から8世紀の中頃までにわたる時期です。皆さんご案内のとおり、これは大化の改新(645年)以降、天皇家を中心とした中央集権国家の樹立を目指した時期にあたります。この間、天智天皇による近江令(668年?)、天武天皇の指示により制定された飛鳥浄御原令(689年)、そして藤原不比等がそのエネルギーと博識を注ぎ込んだ大宝
![道理:日本人の法律観と経典主義という癌 - 矢澤豊](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5ca3e12d98a36e5b182766185b63cd33c26a509a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fagora-web.jp%2Fcms%2Fwp-content%2Fuploads%2F2021%2F07%2Fagora-twitter.jpg)