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2006年5月25日のブックマーク (5件)

  • 才能は欠落から生じる - 萌え理論ブログ

    Invitation (インビテーション) 2006年 05月号 [雑誌] 書籍 対談で、宇多田ヒカルが「犠牲」という言葉を使い、さらに「ギリシャ神話」に触れていたのが興味深い。たぶん冥界のシシュポスの話だろう。何度も石を山の上に押し上げるが、石は転がり落ちてしまう。賽の河原に似ているが、フロイトのFort-Daのような感覚は時代や地域を超えて共通しているのかもしれない。そして彼女はまた、欠けているものを埋め合わせることが創作であると認識しているようだ。 これは布施英利が紹介した話だが、養老孟司は才能は欠落であると言っていて、ある踊りの名人がいて彼の踊りは独特で他のものが真似ができないと評されていたが、死後脳を解剖してみると運動機能に欠落があったという。しかし、乙武洋匡のような、ハンディキャップを乗り越えて努力する、それはそれで尊い姿とは微妙に別の話である。そこのところをもう少し展開しよう

    才能は欠落から生じる - 萌え理論ブログ
    junkMA
    junkMA 2006/05/25
    他者の行動成果そのものを、感情的感覚を越えて逆手に取ることができるかどうか。
  • オタクの目 - オタキングの涙・・・・

    またロフトプラスワンに行った。今月はこれで3回目だ。きょうのイベントはオタキングこと岡田斗司夫氏の独演会、題して「オタク・イズ・デッド」。 昨年のドラマ「電車男」のヒットあたりからやたらと「オタク」という言葉が一般マスコミでもてはやされ、「萌え」というわたしのような歴史の長いオタクにとってはどうでもいいような言葉が、さもオタクの代名詞のように語られ、どんどん薄くなっていくオタクシーンに、オタキングがついに鉄槌を下す!!という趣旨で開かれたイベントだが、すごい展開となった。 まず、岡田氏がこれまであまりやらなかったという「オタク」の定義づけから。岡田氏など40歳代を第1世代、30代から20代後半を第2世代、そして20代前半以下を第3世代と分けた上で、それぞれの世代で「オタク」の質がだいぶ違うと説明する。中森明夫氏がその名を付けたといわれる第1世代の、ひらがなで「おたく」と表した層は、自分が好

    オタクの目 - オタキングの涙・・・・
    junkMA
    junkMA 2006/05/25
    おたく、というカルチャーが死んだのかな。
  • Yahoo!ポッドキャスト - JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力

    ・エントリー数: 148件 ・番組サイト: http://www.tbs.co.jp/radio/junk/ ・RSS: http://www.tbsradio.jp/ijuin/rss.xml ・作成者: TBS RADIO 954kHz ・言語: 日語 ・Copyright: Tokyo Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved. ・公開日: -

  • 2006-05-16

    特集のゲスト編集長である小熊英二さんのほか、次の各氏へのインタビューが、きれいな写真入りで紹介されています。――後藤和智、貴戸理恵、笹野みちる、雨宮処凛、中村佐知江、中島岳志、やなぎみわ。 ▼私と斎藤環さんの往復書簡「ひきこもり社会論」今号は、斎藤さんの「自由のパラドックス(1)」です。 屋さんにはなく、すべて路上での手売りです。 販売場所は、こちら。 横浜にぎわい座であった上記イベントの筆記録が、有志の皆さんによって冊子化されました。 前半が斎藤環×玄田有史の対談、後半は私と岩田充功さんが参加して4人でのトーク。 300円です。 【問い合わせ:ヒッキーネット事務局】 昨日取り上げた「怒り」についての箇所を、同冊子から引用します。 玄田 許容される怒りというのは、仕事の中での怒り。この怒りは社会的に正当化されるんだな。これが突然電車の中で、この野郎とかブツブツ言ってると、あんたアブナイ人

    2006-05-16
    junkMA
    junkMA 2006/05/25
    精神弱者を問題視していながらも幻想教育をやめる気がなさそうに見えるのは、カモが居なくなるとそれはそれで困るから、という見解をしてみる。
  • 知は本当に人間を解放するのか?: あんたジャージでどこ行くの

    押井守が「インターネット嫌い」って言っていて、それも意外だったんですけど「僕はスタンドアローンな人間でいたいので」と続けていたのが面白かったです。 知ることとは快楽でもあるけれど、拘束であり不自由になることでもあるのかも知れないです。そう考えるとギリシャ哲学者なんてしょうもないなあ、とも思えてくる(笑) よく知らないけど、脳みその中身も、いろんな細胞がいろんな線でつながってるわけでしょう。多分、知るとか記憶するっていうのは、細胞と細胞のつながりを多くしたり、強くしたりすることなんですよ。そうすると、分子の結合と同じように、硬直化するわけですよね、変化する余地がなくなる。 書きながら自分でトンデモ論法だなあ、と思っていたのですけど、でも、あながち間違いではないのかも知れない。人間は知ることによって合理性や効率性を獲得できるかも知れないけど、自由を得ることはできないのではないか、とか。じゃあ、

    junkMA
    junkMA 2006/05/25
    知にのっとった自由はあるかもしれないけど、自由にのっとった自由はないかな……と思ったり。blogを書くための日常生活か、日常生活からはみ出したものをblogに昇華させるか、という話に近い感も。