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知は本当に人間を解放するのか?: あんたジャージでどこ行くの
押井守が「インターネット嫌い」って言っていて、それも意外だったんですけど「僕はスタンドアローンな... 押井守が「インターネット嫌い」って言っていて、それも意外だったんですけど「僕はスタンドアローンな人間でいたいので」と続けていたのが面白かったです。 知ることとは快楽でもあるけれど、拘束であり不自由になることでもあるのかも知れないです。そう考えるとギリシャ哲学者なんてしょうもないなあ、とも思えてくる(笑) よく知らないけど、脳みその中身も、いろんな細胞がいろんな線でつながってるわけでしょう。多分、知るとか記憶するっていうのは、細胞と細胞のつながりを多くしたり、強くしたりすることなんですよ。そうすると、分子の結合と同じように、硬直化するわけですよね、変化する余地がなくなる。 書きながら自分でトンデモ論法だなあ、と思っていたのですけど、でも、あながち間違いではないのかも知れない。人間は知ることによって合理性や効率性を獲得できるかも知れないけど、自由を得ることはできないのではないか、とか。じゃあ、
2006/05/25 リンク