今よりもずっと人々が霊魂の存在や死後の世界、風水や吉凶の類いを信じ、恐れていた平安時代。そんな平安時代の京都には「冥界と現世の境界」とされていた場所があり、京都市内には今もその名残をみることができる。 火葬や土葬は皇族・貴族のみ 人が亡くなると、現在の日本では火葬されるのが一般的だが、平安時代、火葬や土葬が行われていたのは皇族や貴族に限られ、多くの民衆は風葬、要するに野ざらしにされていた。 京の都における代表的な風葬地のひとつが「鳥辺野(とりべの)」と言われるところで、清水寺の南西側の山裾一帯にあたる。この頃は鴨川の流れる辺りが平安京の東端であり、大内裏(皇族の居所や政務施設のあるエリア)からみれば、"郊外"のような地域。それよりさらに東にある鳥辺野一帯は、ほとんど人の寄り付かない辺境地とも言える場所だったのだ。 あの世へとつながっている井戸 鴨川から松原通(旧五条通)という通りを鳥辺野方