NHK大河「軍師官兵衛」で豊臣秀吉を怪演中の竹中直人さんが、「京都に大仏を造るんじゃ~」と叫んでいた。それを見て「京都に大仏なんてあったの?」という声がちらほら。あったんです、これが。今もあったら間違いなく京都名所の上位ランクを占めただろうに、残念ながら、地震や火災に見舞われ続け、ついに後世に残ることはなかった。豊臣家と同様、悲運の仏様だったのだが、その名残が京都の通り名に残っている。さて、その名前とは…。奈良よりも大きかった 大仏といえば、奈良・東大寺か鎌倉が有名で、京都にかつて大仏があったことを知る人はそう多くない。五重塔などもそうだが、こういう巨大建造(建築)物はなかなか残るのが難しい。 例えば、奈良の大仏は、奈良時代に聖武天皇が造らせたが(開眼供養は752年)、平安時代と戦国時代に焼損失している。秀吉が天下人となったころは2度目に焼けた時期で、秀吉はその代わりに、京都に自ら新しい大
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