「擬人化」して言えば、ChatGPTは文章を書く。ただし、いまのところ大半のひとは次のように考える。ChatGPTは、少なくとも重要な意味で、決して人間と同じような仕方で「文章を書くこと」ができない、と。ではそれはどういう意味か。じつにChatGPTは〈自分の書いたことに責任を負う〉という仕方では文章を書けない。じっさい、ChatGPTが私たちにとって邪悪と感じられる文章を生成したとしても、〈そのかどでChatGPTを責める〉というのはナンセンスである。「いや、自分は責める」というひとがいるとすれば、そのひとは自分で何を言っているか分かっていない。 以下、ChatGPTについて、感じることを徒然なるままに書く。 ひとつ。これは便利である。いろいろ使い道がある。 ふたつ。新しい技術が生まれると、ひとびとの文学的センスが刺激される。その結果、「この技術は仕事を奪う」などと言われたりする。とはい
![ChatGPTについて感じること|山口尚|note](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/154f9d25d20af1cb442633d5f374b41af2f817ee/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fd2l930y2yx77uc.cloudfront.net%2Fproduction%2Fsocial_images%2F8bd96771dabe93a0822ed7856796aeb8f445970a.png)