ブリキの兵隊とニクソンがやってくる ついに僕らだけになってしまった ドラムの響きを聞いて過ごした夏 オハイオでは4人の死者が出た 1970年5月4日。オハイオ州ケント州立大学で、州兵が学生集会に集まった若者たちに発砲し、4人が死亡するという事件が起きた。 この事件を知ったニール・ヤングは、その場で「オハイオ」を書き上げる。曲は5月21日にレコーディングされ、翌月リリースされた。 ケント州立大学は何人かのミュージシャンを輩出しているが、事件当時、学生集会に参加していたのが、ジェリー・キャセールである。ジェリーはその日のことを次のように語っている。 私は(ケント大学の)学生でした。そして私はSDSのメンバーでした。民主(D)社会(S)を求める学生(S)たちという反戦グループです。リンドン・ジョンソンとニクソンが蹄鉄を打ちつけようとしていた民主主義を、元ある姿に復元しようとしたのです。 ジェリー
