武力衝突、爆弾テロ、空爆、そして民間人の犠牲…そんなニュースがとても多い気がするイスラエルとパレスチナ。ちょっと遠い地域の出来事だけど、「この問題を知らずして、世界を知ることはできない」んだそうです。これからグローバルな世界でのビジネスを目指す大学生が、最低限知っておいた方がいい基礎知識について1から聞きました。
先週の7月8日は、なかなか作品を発表してくれないことで知られるダンス・ミュージックの二組の雄、アヴァランチーズとエイフェックス・ツインが共に作品をリリースした日となった。そこで、今回は彼らの作品を含む、ダンス・ミュージックの歴史を永遠に変えることになった40枚の名作を御紹介しよう。 1. クラフトワーク『ヨーロッパ特急』(1977年) まずはクラフトワークの画期的なアルバム『ヨーロッパ特急』だろう。これこそ彼らを比類なき革新者たらしめた、ハイセンスで知的な名盤だ。 2. デヴィッド・ボウイ『ロウ』(1977年) デヴィッド・ボウイのベルリン3部作は、彼の作品の中でも最も大胆で挑戦的なものとして際立っているが、『ロウ』はその中でも頂点に立つと言える。ブライアン・イーノとコラボレーションした実験的かつ先進的なこの作品はクラフトワークなどからヒントを得ているが、このアルバム自体が影響力の強い1枚
ブフッ、ブギッ、ブキキィ~~! こんにちは、豚です。「政治的な話題って荒れそうで怖いナァ」などと思いつつ、「意外とまとまって書いてる記事が無いなー」と思ったので自分で書いてみようと思います。 我が町大阪。道頓堀周辺も随分変わりましたな。大阪市長選、大阪知事選で維新の候補が勝ったし、奈良に維新の会の知事が爆誕した上、奈良県議会でも維新大躍進との事で、相変わらず関西圏で強いのが維新なのですが、「なんで維新が大阪で強いのか」をなんとなく書いてみようと思います。あくまで僕の主観だしひょっとしたら間違ってる事もあるかもしれない。異論反論ウェルカムです。 なんでこれを書こうと思ったかと言うと、「イソジン吉村を支持してる大阪人はクルクルパー」「大阪ではあれだけコロナで人が死んだのにまだ維新を支持するのか」「大阪人は大阪のメディアに騙されてる」みたいな言説をたくさん見るからです。 維新のダメな部分に具体的
ラッダイト運動では主に織機が破壊の対象とされた ラッダイト運動(ラッダイトうんどう、イギリス英語: Luddite movement[1])、または機械うちこわし運動(きかいうちこわしうんどう)[2]は、1811年から1817年頃、イギリス中・北部の織物工業地帯に起こった機械破壊運動である。 産業革命に伴い低賃金、生産の効率化による低賃金、失職、技能職の地位低下などの影響を受けた労働者階級が使用者である資本家階級への抗議として工場の機械を破壊した[3][4]。 『ラッダイトたちの指導者』、1812年 ラッダイト運動は初期の段階では組織化された機械破壊運動であったが、後に殺人未遂を行うなど過激化していった[5]。 ラッダイト運動はイングランドのノッティンガムで始まり、1811年から1816年頃まで地域全体の大衆運動として続いた[6][3][4]。製粉所や工場の所有者は抗議者に発砲し、最終的に
福沢諭吉がデザインされた1万円札をはじめ、5千円、千円の各紙幣(日本銀行券)の製造が9月までに終了していたことがわかった。日銀関係者が明らかにした。渋沢栄一ら新デザインの紙幣の量産を始めており、2024年度上期をめどに新しい紙幣の発行を開始する予定だ。1万円札には福沢諭吉、5千円札は樋口一葉、千円札は野口英世の肖像画がデザインされている。財務省は19年4月にそれぞれ渋沢栄一、津田梅子、北里柴三
tofubeatsさん tofubeats(とーふびーつ) 1990年生まれ神戸出身のラッパー/プロデューサー。中学時代から音楽活動を開始し、高校3年生で国内最大のテクノイベント「WIRE」に最年少で出演。代表曲は「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」「水星 feat. オノマトペ大臣」など多数。2022年には中村佳穂らが参加した4年ぶりのフルアルバム「REFLECTION」、初の著書『トーフビーツの難聴日記』を発表する。 目標とするECDと小西康陽 ――アルバム「REFLECTION」と同日に出版される『トーフビーツの難聴日記』のゲラを読ませていただきました。tofubeatsさんは2015年にご自身の会社・HIHATT(ハイハット)を立ち上げましたが、創作以外にも、サンプリングのクリアランスや楽曲の権利処理、契約書の内容を弁護士さんに相談したりといろんな実務を並行されているん
一本の電話が鳴った。 「すいません〇〇銀行ですがー」 なにやら投資信託というものの勧誘らしい 投資信託・・?単語には聞き覚えがあるが何のことかはわからない。 パチンコやスロットで生計を立てるようになってからもう数年が過ぎた。 その数年間、銀行から出金したのは車を買った時くらいで 後は全て月の始めにその前の月の利益をまとめて入金しにいくことでしか銀行を使うことは無かった。 だけどまだ歳も20そこそこの若造が毎月決まって数十万を入金していることがどうやら銀行側の営業の目に止まったらしい。 とりあえずその場は適当に流して電話を切ったのだが 内心はその初めての銀行側からの電話に自分は興奮を覚えていた。 世間的には無職の若造に銀行側から営業の電話がきたのだ。 投資信託という言葉も合わせて何か急に大人の世界の話に入り込んだ気がした。 「とりあえず調べにいこうーー」 そう思い駅の近くの本屋に行き、今まで
旅人が見た京都はおもしろい。 旅人が京都で過ごした日々の寄稿シリーズ 「エッセイステイ ~あの人が見た京都~」第二弾をお届けします。 今回のエッセイ・ステイを書いてくれたのは、編集者でありジャーナリストでもある江口晋太朗(えぐちしんたろう)さん。都市や地域に着目し、街の課題や可能性を発見していくという説明がなかなか難しいお仕事をしています。 東京を起点にこれまでたくさんの街を見てきた江口さん。そんな知識と経験に基づいて書かれたエッセイは、京都に住んでいるとかえってわからない「京都が京都たる理由」をあぶりだします。東京という大都市とコンパクトな街・京都。双方を比較しながら語られる京都の姿を、ぜひご自身の視点とも比べながらお楽しみください。 *** 九州で育ち、大学から東京に出てきて、もう十数年。7、8年くらい前から京都に足を運ぶことが多くなり、ここ数年は年に何度か訪れている。 泊まりはホテル
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ヒラリー・クリントン氏のトレードマークと言うとパンツスーツですが、実はクリントン氏が着るスーツのほとんどにはポケットがないそうです。今では当たり前のように衣服についているポケットですが、「服にポケットがついているか否か」には政治や社会に大きく関わる、知られざる歴史がありました。 The Politics of Pockets - Racked http://www.racked.com/2016/9/19/12865560/politics-of-pockets-suffragettes-women 男性のスーツやジャケットには古くから目に見える形で大きなポケットがついていましたが、一方で女性の衣服にはポケットがなく、100年以上も女性は自分たちの衣服にポケットがないことに不満を募らせていました。1905年に出版されたニューヨーク・タイムズでは、ライターのCharlotte P. Gilm
みなさんこんにちは。突然ですが問題です。 すんなり「受け」と答えると「腐女子」認定される、あまりにも有名な「魔女狩りクエスチョン」です……って、私も初めて知ったのですが。(ちなみに普通に「守り」と答えました) ※ちなみにこの記事では腐女子=「BLを好む女子」くらいのユルい意味です 先日、ヴィジュアル系オバンギャ座談会という記事を書いた際、 ・定額小為替を使ったチケット先行予約、超大変だった ・文通相手の募集欄、個人情報ガバガバ みたいな思い出エピソードがたくさん出たんです。 そしたら、知人の腐女子から「昔のバンギャと腐女子、あまりにも文化が似てるんだけど!!」と興奮したLINEが届きました。 「自分の好みのBL作品をたくさん楽しむ」 平成の腐女子たちはそんな当たり前のことすら、ものすごく大変だったのだそう。 今回は、そんなBL沼にドップリ浸かった腐女子のみなさんに集まっていただき、「あの頃
教えたいのに生徒が集まらない 1970年5月。青年海外協力隊(JOCV)の隊員として岡本秀樹がシリアに派遣され半年近くが過ぎようとしていた。彼はこのとき28歳、空手を始めて12年になる。 時代錯誤の高下駄に「蒙古放浪歌」。しかも何を思ったか岡本は羽織袴はかま姿である。通りを行き交う地元住民が、怪訝けげんな顔でこの男の通り過ぎるのを見るのも無理はない。 一方、こうした芝居がかったことをしている岡本本人には時代錯誤の思いは微塵みじんもない。体中を突き抜けんばかりに沸き起こる怒りに自分が抑えられなくなっている。 岡本はこの国の若者に幻滅していた。シリアの警察学校で空手を教えていたが、この伝統武道の知名度は低く、生徒が集まらない。ブルース・リーの主演映画「ドラゴン危機一発」が香港で大ヒットするのは翌71年である。当時のシリアでは戦える技としてはボクシング、レスリングが主流であり、続いて自己防衛とし
新型コロナウイルス感染症の対策を検討してきた専門家会議の議事録を政府が作成していないことが28日、分かった。「歴史的緊急事態」に指定された新型コロナ対策の検証の妨げになる可能性がある。
平成とは、どのような時代だったのか――。 その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。 プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。 第11回は、宇多田ヒカルの「First Love」です。 800万人と1人 「First Love」 大晦日の夜は“First Love”というバラードの歌入れをしてた。パーティー中の友達から「ひかるなにしてんの? 早くおいでよ!」的な電話がたくさんかかってきた。なんだかすごく遠い世界に感じた。結局、スタジオで新年を迎えた。1999年だー。わーい。(宇多田ヒカル『点 -ten-』) それは嵐の前の静けさだった。 1998(平成10)年12月9日、宇多田ヒカルはメジャーデビューを果たす。当時、15歳。デビュ
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