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2010年8月13日のブックマーク (74件)

  • 4Gamer.net ― 「タクティクスオウガ 運命の輪」,オリジナルのクラスに加えて,新クラス「ローグ」が明らかに。戦略性を演出するバトルシステム情報も公開(タクティクスオウガ 運命の輪

    「タクティクスオウガ 運命の輪」,オリジナルのクラスに加えて,新クラス「ローグ」が明らかに。戦略性を演出するバトルシステム情報も公開 編集部:Chun スクウェア・エニックスは,PSP用に発売を予定しているSRPG「タクティクスオウガ 運命の輪」の最新情報を公開した。 オリジナル版の初期汎用クラスは男性が「ソルジャー」、女性が「アマゾネス」。作ではそれらを刷新。男女共に「ウォリアー」として生まれ変わりました 作では,主人公デニムが自分の騎士団を率いて戦っていくことになる。デニムと共に戦うキャラクター達を「ユニット」と呼び,そのユニットを育成・強化してバトルに勝利しながら,ストーリーを進めていく。 ユニットは,バトルに勝つことで成長するほかに,ショップで購入できる装備品や魔法を覚えることでも強化できる。ユニット達は,武器の種別や魔法に特化した専門の職業についており,この職業の事を「クラス

    4Gamer.net ― 「タクティクスオウガ 運命の輪」,オリジナルのクラスに加えて,新クラス「ローグ」が明らかに。戦略性を演出するバトルシステム情報も公開(タクティクスオウガ 運命の輪
    karatte
    karatte 2010/08/13
    "本作にて新規しく登場したクラス、ローグ。相手からアイテムを盗んだり、バトルフィールドにトラップを仕掛けたりすることができるトリックスター" / 4Gamer.net ― 「タクティクスオウガ 運命の輪」,オリジナルのクラス
  • 異性にモテる管楽器、トップは「サックス」

    音楽が好きだからという理由だけではなく、モテたいという思いから、楽器を練習したことがある人も少なくないだろう。楽器の中でも管楽器では、何を演奏するとモテると思っている人が多いのだろうか。 アイシェアの調査によると、「異性が演奏していると最もカッコイイ!と思う管楽器は何ですか?」と尋ねたところ、トップは「サックス(サクソフォン)」で32.5%。以下、「フルート」が19.8%、「トランペット」が11.2%、「トロンボーン」が4.0%、「オーボエ」が2.5%で続いた。一方、「カッコイイと思う管楽器はない」という人も23.8%いた。 男女別に見ると、女性のトップは「サックス」(男性23.1%、女性41.9%)だったが、男性のトップは「フルート」(男性34.9%、女性4.7%)と好みが分かれた。年代別に見ると、「サックス」は上の年代になるほど割合が高くなっており(20代26.1%、30代34.0%、

    異性にモテる管楽器、トップは「サックス」
    karatte
    karatte 2010/08/13
    モテたくて、サクソフォンっすよ!(ギ・おならすいこみ隊)
  • 4Gamer.net ― 「タクティクスオウガ 運命の輪」,オリジナルのクラスに加えて,新クラス「ローグ」が明らかに。戦略性を演出するバトルシステム情報も公開(タクティクスオウガ 運命の輪

    「タクティクスオウガ 運命の輪」,オリジナルのクラスに加えて,新クラス「ローグ」が明らかに。戦略性を演出するバトルシステム情報も公開 編集部:Chun スクウェア・エニックスは,PSP用に発売を予定しているSRPG「タクティクスオウガ 運命の輪」の最新情報を公開した。 オリジナル版の初期汎用クラスは男性が「ソルジャー」、女性が「アマゾネス」。作ではそれらを刷新。男女共に「ウォリアー」として生まれ変わりました 作では,主人公デニムが自分の騎士団を率いて戦っていくことになる。デニムと共に戦うキャラクター達を「ユニット」と呼び,そのユニットを育成・強化してバトルに勝利しながら,ストーリーを進めていく。 ユニットは,バトルに勝つことで成長するほかに,ショップで購入できる装備品や魔法を覚えることでも強化できる。ユニット達は,武器の種別や魔法に特化した専門の職業についており,この職業の事を「クラス

    4Gamer.net ― 「タクティクスオウガ 運命の輪」,オリジナルのクラスに加えて,新クラス「ローグ」が明らかに。戦略性を演出するバトルシステム情報も公開(タクティクスオウガ 運命の輪
    karatte
    karatte 2010/08/13
    "本作にて新規しく登場したクラス、ローグ。相手からアイテムを盗んだり、バトルフィールドにトラップを仕掛けたりすることができるトリックスター"
  • 2chまとめサイトの殆どは同じ奴が作ってる ー断絶タンブラー

    “ 358 :名無しさん必死だな:2010/08/10(火) 22:51:38 0 http://hmtk37.blog28.fc2.com/blog-entry-334.htmlgoogle_hints?=がワードの並び順も一致してたりしたのは共有してるからだったのかな? google_ad_client = ‘ca-livedoor-blogmedia_js’; blog001 VIPワイドガイド 小太郎ぶろぐ blog003 ゴールデンタイムズ カラパイア blog004 らばQ V速ニュップ blog005 痛いニュース(ノ∀`) スチーム速報 VIP blog006 暇人\(^o^)/速報 ひろぶろ blog008 ハムスター速報 blog009 VIPPERな俺 blog010 ぶる速-VIP blog011 ねたたま blog012 カゼタカ2ブログch blog013 

    2chまとめサイトの殆どは同じ奴が作ってる ー断絶タンブラー
    karatte
    karatte 2010/08/13
    ほほう
  • 西洋が見た日本人史ネタになり続けて600年異質論にようやく終止符?

    歴代のジャパンウオッチャーは日人像をどう伝えてきたのか。文化的に最も相容れぬ存在だった西洋人の指摘を追って見ていくと、中世以来の類型がようやく崩れつつある様が読み取れる。 (ダイヤモンド・オンライン編集長 麻生祐司) 第二次大戦末期に米軍の依頼で執筆され、その後の日人論の指南書となった『菊と刀』。著者で文化人類学者のルース・ベネディクトは、与えられた題材の難しさについて、こう吐露している。 「困難は大きかった。(中略)まじめな観察者が日人以外の他の国民について書くとき、そしてその国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるというとき“しかしまた不遜で尊大である”と付け加えることはめったにない」 ベネディクトは、戦前はおろか戦後も日を訪れたことはない。その門外漢が、行動を規制する“恥意識”と損得で宗旨変えする“機会主義的倫理”という日文化の型を見出せたのは、当人の異文化理解力の高さも

    西洋が見た日本人史ネタになり続けて600年異質論にようやく終止符?
  • 本当にジャンプの女キャラには世話になりっぱなしで申し訳ない :アルファルファモザイク

    ■編集元:ニュース速報板より「当にジャンプの女キャラには世話になりっぱなしで申し訳ない」 1 ネット乞(兵庫県) :2010/08/09(月) 22:56:37.98 ID:e+5zYwyd ?PLT(12001) ポイント特典 河下水希、ナミやサクラなどジャンプ作ヒロイン21人を描く 日8月9日に発売された週刊少年ジャンプ36+37号(集英社)には、「あねどきっ」で知られる河下水希が同誌連載作品のヒロインを描く「WJヒロイン百花繚乱ポスター」が封入されている。 ポスターに描かれているのは「NARUTO-ナルト-」の春野サクラ、「ONE PIECE」のナミ、「BLEACH」の井上織姫をはじめ、「PSYREN-サイレン-」の雨宮桜子、「メタリカメタルカ」のシノ、「保健室の死神」の鏑木真哉、「ピューと吹く!ジャガー」のビューティ田村、「少年疾駆」の朝希ちか、「逢魔ヶ刻動物園」の蒼

    karatte
    karatte 2010/08/13
    "I's世代とToLoveる世代に囲まれたいちご世代って本当にかわいそうだよね"
  • 国宝:当麻曼荼羅厨子の落書き、初の公開へ 奈良 - 毎日jp(毎日新聞)

    当麻曼荼羅厨子の内部に描かれていた落書き=奈良県葛城市の市歴史博物館で2010年8月12日午後1時58分、高島博之撮影 奈良県葛城市の当麻寺が所蔵する国宝・当麻曼荼羅厨子(まんだらずし)(8世紀末~9世紀初め)の板に描かれた落書きが13~16日、同市忍海の市歴史博物館で初めて一般公開される。落書きは男性2人の横顔で、製作時(平安初期)に職人が描いたとみられる。1958年に見つかったが、寺の収蔵庫に保管されており、平城遷都1300年関連事業に合わせて公開することにした。 厨子(高さ・幅約5メートル、奥行き約1.3メートル)は尊・当麻曼荼羅を納め、曼荼羅の厨子では国内最大で最古。 県教委が57~60年に厨子の解体修理をした際、6ある柱の下に厨子を安定させる6枚の板があてられ、そのうち1枚の板(縦約40.9センチ、横10.6センチ、厚さ1.8センチ)に墨の落書きを確認した。 描かれた男性は烏

    karatte
    karatte 2010/08/13
    "落書きは男性2人の横顔で、製作時(平安初期)に職人が描いたとみられる。1958年に見つかったが、寺の収蔵庫に保管されており、平城遷都1300年関連事業に合わせて公開することにした"
  • 孟子 × 荀子

  • 孟子 × 荀子

  • 恵子 × 荘子

    知魚楽 色紙に何か書けとか、額にする字を書けとか頼んでくる人が、あとを絶たない。色紙なら自作の和歌でもすむが、額の場合には文句に困る。このごろ時々「知魚楽」と書いてわたす。すると必ず、どういう意味かと聞かれる。これは「荘子」の第十七篇「秋水」の最後の一節からとった文句である。原文の正確な訳は私にはできないが、おおよそ次のような意味だろうと思う。  ある時、荘子が恵子といっしょに川のほとりを散歩していた。恵子はものしりで、議論が好きな人だった〔編者注:恵子は荘子と同時代の思想家で名家(論理学派)の代表者だが著作は伝わっていない。おちゃめな役で『荘子』によく登場する〕。二人が橋の上に来かかった時に、荘子が言った。  「魚が水面にでて、ゆうゆうとおよいでいる。あれが魚の楽しみというものだ」 すると恵子は、たちまち反論した。「君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか」 荘子が言うには

  • マッハ × レーニン

    「科学論」について レーニンのマッハ(主義)批判は、「お前らなんか結局バークリーだ」というに始まる。バークリーは哲学史上悪名高き「物なんてない」と主張した主観的観念論者で、おまけに僧侶だ。唯物論者(ということは当然無神論者)を自認する(くせにマッハにかぶれてた)連中にはこれ以上にない悪口だ。けれどマッハ人は別にマルクス主義者じゃない。だからレーニンはすかさず畳み掛ける。「世界は私の感覚だ、という。ならば、私の感覚から独立して物は存在しないし、私の感覚を離れて他者も存在しない。とにかく私以外にはなにもない。こいつは独我論だ」。独我論だとどうしていけないのか? バークリーはともかく、科学にコミットするマッハは困ったことになるだろう。科学が持つべき客観性=共同(相互)主観性(みんながそうだと認めること)を構成できないからだ。だからマッハは「私の感覚」というべきところで「我々の感覚」というのだと

  • マッハ × ボルツマン

    科学と仮説 マッハが目指したのは、科学の方法についてのクリティーク(一種の「科学論」)であるが、それはいわゆる「科学論」の方法までもその射程にふくめている。マッハは科学(知識)の基礎について考え始めるとき、「世界について何か述べる」ということ自体を一旦棚上げする。(客観)「世界」とそれを認識する「主体」といった二分法は、科学だけでなく多くの科学論が前提としてきたものであるが、その分割の境界設定(→ボーア対ノイマン)、あるいは分割することそのものが間違っている可能性は否定できない。  そこでマッハのいう「一般的方法論」は、(客観的)実在も、そして感覚も、前提としない。「感覚」について語ることはすでに一つの理論(仮説)を前提にしているからである(マッハ『感覚の分析』)。実在や感覚抜きで、しかし科学について何かいえること;科学の要素は、結び付き合って、より高度な複合状態を作るだろう。その作り方は

  • ポパー × 論理実証主義

    検証について 論理実証主義の「検証」は、全称命題をめぐって早晩行き詰まってしまった。全称命題は検証できないために「疑似命題」に追いやられてしまう。つまり「すべては〜だ」といった命題を、確かめようとしたら、すべての場合について実験なり観察なりをしなきゃならない。そんなことは実際には不可能だ。そして「科学法則」というのは、いつでもどこでも妥当であるのだから、全称命題の形を取るのである。「科学」と「うそ科学」の峻別を行なおうとする論理実証主義の企図は、経験と普遍を巡るあのアポリアに再び頓挫する。「Humean predicament is human predicament.(ヒュームの窮状は人間の窮状)」とはよく云ったもんである。  それで彼らは「累進的確証」といった「一種の帰納法」まで後退する。個々の証拠は、それだけで全称命題を検証することはできないが、しかしまるっきり無駄という訳でもない。

  • ベンサム × ムーア

  • ベルクソン × 木村敏

    純粋な持続は可能か ベルクソンは二種の時間を区別する。  例えばアナログ時計が表すような時間は時間に等間隔の刻みをほどこしている。だが、ベルクソンは、時間に刻みなどあるのだろうかと問う。むしろ、等間隔に刻むことができるというのは空間や物質の性質、「もの」的な性格なのではないだろうか。だとすれば、時計が刻む時間とは、実は、「空間化された時間」でしかない。だから、「来の」時間とは、そうした空間的な要素を一切排除したような純粋な時間の流れ、即ち「純粋持続」に他ならない。それは分割することも、固定することもできないものである。我々はそれを「分析」することはできない。我々はそれを「直観」するのだ。「分析」は科学の仕事であって、哲学のやるべきことは「直観」に他ならないのである。純粋持続は純粋である以上、いかなる夾雑物も含まず、したがって「直観」も極めて「単純」なものでなければならない。  ベルクソン

  • ヘーゲル × レヴィナス

  • ヘーゲル × ベルクソン

    「時間」について ヘーゲルが哲学史に加えた決定的な衝撃の一つは、発展、もしくは展開の思想であると言えるだろう。例えば、カントが感性から構想力、悟性、理性へと、我々の認識の構造のアプリオリな(したがって時間的な順序ではない)秩序を打ち立てたのに対して、ヘーゲル『精神現象学』は「感覚的確信」に始まる「意識」から「自己意識」へ、そして「理性」、やがては「精神」へというように、発展していく「過程」を詳細に描いて見せた。こうした発展の思想は、単に我々の認識の発展としてばかりではなく、我々の歴史にも当てはめられ、それによって壮大な体系が打ち立てられたのである。そこではあらゆるものが発展過程の各々の「段階」として位置付けられ、残る隈無く包括されている(→ダランベール対ヘーゲル)。  こうした体系化の発展的な観点による構成を可能にしたのが、ヘーゲルの弁証法である。つまり、ある段階についてヘーゲルはそれを常

  • フロイト × ユング

    二つの精神分析 フロイトは決定論的な傾向を持っていた。現在の病的状態の原因、起源があるはずであり、我々はそれによって決定されているのだ。これが自由を標榜する哲学の反発を買うのは当然である(→フロイト対サルトル)。こうした(外的)決定論と自由(な=内的決定)論との対立は、ベルクソンが整理したように、時間軸上に並べれば、過去に眼を向ける指向(決定論)と、未来に眼を向ける指向(自由の哲学)との対比であるとも言える。  精神分析(これはフロイトの学説を言うのだと限定するなら、より広い意味で深層心理学と呼んでも好い)の流れの中で、未来、あるいは、個々の人間の場合で言えば「将来」と言った方がいいかも知れないが、とにかく、前に向かっていくことを重視したのがユングである。ユングとフロイトの関係は、最初の幸福な出会いから、互いの激突に至る決別の過程に見られる人間的、気質的な対立とか、ユングが強調したオカルト

  • ロック × フレーゲ

    観念について 「人が話しをするとき、彼が言葉によって表しているのと同じ観念を、聞き手の内に引き起こすのでなければ、彼は知解可能な形で話しているといえない」とロックは言っている。ここで問題になっている「正しい言葉の使い方」は、観念に対して語を正しく使うことである。観念まで正しくたどり着ければあとはお任せなのだ。17世紀の哲学者は、誰も「観念の一致」を改めて定義したり、観念の間主観性を問題にしたりしない。例えば「三角形の観念」は誰にとっても同じなのである。また同じスミレを見たときに我々に内に生じる観念(心象)が同じものであるという理論も用意されている。同じ原因(感覚)からは同じ結果(観念)を生み出す能力が生得的は否かは意見の分かれるところであってもだ。自我にとってはこの観念のみが現前しており、我々が自己の中にある観念を精神的洞察とか内省によって見るという理論は、誰に帰されるべきなのか、たとえば

  • ミル × フレーゲ

  • ベルクソン × ブラウワー

  • フッサール × ベルクソン

    「………そやから、面白いと思たら、その人の全部読んでみる方がええよ」 「庄さん、全部読んだっていうと?」 「チェスタトンとかは全集読んだ」 「へー、ブラウン神父ものとかですか?」 「あれも面白いけど、評論とかが結構凄い」 「フッサールの他に哲学者では?」 「ほとんど読んだのは、ベルクソンかな」 「へえー。ベルクソンて面白いですか?」 「フッサールとベルクソンは同年生まれやけど、全然性格が違うね。ベルクソンは、何ちゅうか、『思い付きの人』やね」 「『時間と自由』とか………」 「うん、『時間と自由』が一番典型的やけど、『思想と動くもの』でも、僕らの考えをくるっとひっくりかえしてくれるようなとこがある」 「フッサールは?」 「何か、いつまでもおんなじことをぐちぐちぐちぐちと繰り返してるようなとこがあるね」 「頭悪い?(笑)」 「フッサールの授業に出た人とかの話では、郵便ポストがどう見えるかっ

  • ヘーゲル × フォイエルバハ

    転倒としての唯物論 若いフォイエルバハは通常「ヘーゲル左派」と分類されている。その学位論文が圧倒的なヘーゲルの影響下に書かれたことは勿論、フォイエルバハの思考の枠組みがほとんどヘーゲルによるものだからである。  「ヘーゲル左派」と言う場合、「ヘーゲル右派」と「ヘーゲル中道派」もいるわけで、右派の方はキリスト教寄りの立場、中道は哲学史へ向かったということになっている。ヘーゲル左派は「青年ゲーゲル派」とも呼ばれるように、「進歩的・ラディカル」な少壮の哲学者で構成されていた。  しかし、いわゆるヘーゲル左派の中で、哲学史の中に名を残しているのは、フォイエルバッハとシュティルナーだけ、無理に付け加えてもマルクスくらいのものである。他にもバウアーとかルーゲとかの有象無象が沢山いて、それぞれに面白いのだが、マルクスにインパクトを与えたのは、やはりフォイエルバッハだった。同時に、そのインパクトは、一時的

  • ピタゴラス × ヘーゲル

  • ベルクソン × バシュラール

  • ベルクソン × バシュラール

  • ハイデガー × 和辻

    時間と場所 和辻哲郎『風土』は、その序言にあるように、ハイデガーの『存在と時間』を意識したものだった。  ハイデガーは「存在」そのものの意味への問の通路として、現存在(つまりは人間のこと)の分析(基礎的存在論)を構想した。人間=現存在は、漠然とではあるが、存在について理解を持っており、そして、そうした了解を持っているのは人間だけだからである(現存在の存在論的優位)。しかし、ハイデガーは、一般的な人々(ダス・マン=「世人」などと訳される)の日常的な姿を、来的な自己に関わらない非来的な、堕落したあり方だとする。それは来的な自己に背を向け、死を忌避し、「おしゃべり」(パスカル的に言えば「気晴らし」)に埋もれた在り方である。むしろ、現存在は、来的な自己へと向かって、自分自身を投げ込む(投企)のでなければならない。そうした人間の来性を全体として完結させるのが、「死」である以上、死つまり、ハ

  • ハイデガー × 木村敏

    時間と自己 木村敏の精神医学に関する試みは、既に狭い意味での精神医学の領域を超えて、哲学・思想的な拡がりを持つものとなっている。そうした拡がりは、フッサール、ハイデガー、ベルクソン、西田幾多郎、和辻哲郎らの哲学に対する独自の読解から得られたものである。しかし、彼の精神医学理論は、そうした哲学的な成果の単なる摂取だけではなく、臨床の現場にあって、実践的に獲得されたものであることも忘れてはならない。ひょっとすると、木村敏は哲学の理論的成果が実践的な場面と結び付いた最良のケースであると言えるかも知れない。あるいは、そこには彼が読み込んだ哲学者たちへの批判的な応答が含まれているかも知れない。  木村の理論の鍵概念は、代表的な著作の一つである『自己・あいだ・時間』に集約して表されている。人間を「あいだ」において捉えること、時間との関わりにおいて捉えることである。勿論この二つの観点は切り離されたもので

  • プラトン × ハイデガー

    異国風哲学の存在忘却 ハイデガーは、アリストテレスがプラトンが南イタリアのピタゴラス派の影響の下に出発したと記している点を強調して、プラトン哲学はギリシャにとって異質なもの、異国風なものであると述べている。  ハイデガーがここで言いたいのは、いわゆるプレ・ソクラティカーたちのフィシス(自然)についての思索と、プラトンのイデア論から始まる「哲学」との間には決定的な断絶がある、ということである。  ハイデガーによれば、プレ・ソクラティカーたちのフィシスとは、単なる物質的自然、死んだ自然ではなく、むしろ生成する自然、そして存在の根源そのものである。これに対して、プラトンが数学的な世界観(ピタゴラス主義)によって持ち込んだイデアという不変なるものは、存在そのもの(Sein)ではなく、あるものが「何であるか」という意味でのもの(Was-Sein)でしかなかった。この「質-存在」に対置されるのが、現

  • フッサール × ハイデガー

    現象と存在 「現象学」というものを始めたフッサールの一番弟子と思われていたハイデガーは、『存在と時間』をフッサールに捧げたが、同時にそれは強力なフッサール批判でもあった。  フッサールの「現象学」は、我々の意識に直接的に現れてくるもの、つまり「現象」を出発点にするということだった。これは言い換えれば、そうした現象以外のものを前提にしない、ということである。こうした無前提から始めることが、フッサールの言う「厳密な学」の基である。  ハイデガーは、『存在と時間』を「現象学的な方法」に則るのだと言う。しかし、その序文で「現象」の概念を、ギリシャ語の語源的な解明から始めた時、既にその「現象」はフッサールの言う「現象」ではなかった。  ハイデガーは、「現象」とは、元々は「自らをあらわにするもの」という意味だったとする。これはなるほど、「意識に直接与えられたもの」というフッサールの現象概念をギリシャ

  • ハイエク × ポラニー

  • Twitter / ツイートボタン

    このボタンをあなたのWEBサイトに表示すれば、ユーザーはあなたのサイトを離れることなく、あなたのWEBサイト上のコンテンツをTwitter上で共有することができます。TwitterからあなたのWEBサイトへとトラフィックを呼び込むのと同時に、戦略的なTwitterアカウントをユーザーにおすすめすることができます。 ボタンを選択してください。カスタマイズすることもできます。

    karatte
    karatte 2010/08/13
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  • ロック × バークリー

  • ロック × バークリー

  • バークリー × ポパー

  • ホッブズ × バークリー

  • バークリー × ヒューム

    自我について 「存在するとは知覚されることである(Esse est percipi.)」。  バークリーは「抽象」を退けることで、比類なき観念論に到達した。バークリーによれば、存在するものはすべて、思考にとって現前する対象でなくてはならない。物体などというものは、それ自体実在する訳でなく、自我の中における(色、味、感触といった)表象の束にすぎない(→ロック対バークリー)。  それでは、とヒュームは更に問うてみる。「私」、「私の心」、自我なるものは存在するや否や?何を馬鹿な。そう問うているのは一体誰なのか、考えてみればわかるではないか。しかし改めて問うてみれば、自我なる感覚印象はない(我々はさまざまな印象や仮説から「自我がある」と推論しているに過ぎない)。自我は知覚されない。したがって(バークリーに倣って「抽象能力」の乱用を制限するなら)、自我なる観念は存在しない。  ヒュームは決して皮肉を

  • ボーア × ノイマン

  • ニュートン × ボスコヴィッチ

    karatte
    karatte 2010/08/13
    哲学
  • ニュートン × ヘールズ

  • プラトン × トマス・モア

    ユートピアと性1 モアとプラトンは西洋ユートピア思想の二大巨頭である。しかし、勿論の事ながら、顕著な違いが幾つもある。  例えば、当時のイギリスの資主義化に対して、モアは、なるほど私有財産は否定しているものの、むしろ中世的な家族主義を強調しており、この点ではプラトン式共産主義の方がラディカルである。そこでは家族、夫婦も否定され、女性、子供は共有されるのである。  ところで、トマス・モアはイタズラ好きであった。後に「思想」、「学問」の用語として定着する「ユートピア」という言葉にしろ、周知のように、「ウ+トポス」というギリシャ語からの造語であり、「どこにもない理想の国」という意味であるよりは、モアの意図としては単なる駄洒落のつもりだったのである。そもそも、」非」とか「無」とか「不」とかといった否定語は、ヨーロッパ言語の中では言葉遊びの恰好の素材だった。ホメロスの「オデッセイア」に現れる巨人は

  • フッサール × デリダ

  • ヒポクラテス × デューラー

  • デカルト × フレーゲ

  • ボルツマン × ツェルメロ

  • ディドロ × ヘーゲル

    叙述の順序 ヘーゲルは、彼の『哲学史講義』の序論で、「アホの画廊」ということを言っている。哲学史といっても、単に古典的な学説をあれこれ集めてきて展示して見せるだけでは、単なるアホの画廊に過ぎないというのである。「なぜなら、博識とは、単に無用な事柄をどっさり知るだけのことだからだ。」  ヘーゲルは、自分の哲学体系の最もまとまった叙述に「エンチクロペディー」の名を冠したが、この言葉は要するに、今で言う「百科辞典」である。ヘーゲルも、最初は、「哲学の全領域を扱う」という網羅的な意味でこのタイトルを付けたようだが、哲学史において「アホの画廊」を排除しようとする彼のことだから、百科辞典と言えども、単なる知識の集積にはしないのである。そして、そのために必要なのは、内在的な論理である。つまり、あらゆる知識をまとめあげ(統一し)、配列する原理である。それがいわゆる弁証法的展開である。そのことは、ヘーゲルの

  • タレス × プラトン

  • ダランベール × ヘーゲル

  • ダーウィン × 今西

  • ソクラテス × プラトン

  • ソクラテス × ディオゲネス

    貨幣改鋳者としての哲学者 ソクラテスは神託を受けて哲学者としてデビューし、キニクのディオゲネス(樽の中の哲学者)もまた神託を受け、まずは貨幣改鋳者(贋金造り)としてスタートした。  ソクラテスは著名な知恵者のところへ赴き、問い尋ねることで、知恵者の持つ知が偽物であることを、知恵者が無知であることを、明るみにだした(それで彼はひどく怨まれたし、処刑されもした)。  ディオゲネスに下された神託は「ポリティコン・ノミスマ(国の中で広く通用してるもの=諸制度・習慣=道徳・価値)を変えよ」といったものだった。彼はそれに従って、実際に通貨=価値を変えてみせた。ディオゲネスはそのため、国外に追放されたのである。  ソクラテスは、つまり通用している知が「贋金」に他ならないといっているのであり、一方ディオゲネスはあえて貨幣偽造を行ないそれを発行することで、あらゆる通貨が「偽物」に過ぎないことを示して見せてい

  • プラトン × ショーペンハウアー

  • トマス × シゲルス

  • ヘーゲル × シェリング

    第一ラウンド後半-決別 「世界精神が馬にのって通る」。  ナポレオンを見たヘーゲルは、書簡でそう述べている。  フランス革命後、ヨーロッパの命運を握ったナポレオンはドイツにも進駐し、イエナも占領した。1806年、10月13日であった。この時ヘーゲルの手に握られていた原稿が、やがて『精神現象学』と呼ばれる書物となるのである。  ヘーゲルをイエナに招いたシェリングは既にヴュルツブルグへと移り、ヘーゲルが助教授となっていた。シェリングはシュレーゲル兄のカロリーネと恋愛関係に陥り、シュレーゲルと別れた彼女と結婚し、イエナに居られなくなったのである(1803)。  イエナでのシェリングとヘーゲル、彼らはシェリングの同一哲学を中心として強固に結び付いていた。それから三年、ヘーゲルは今やシェリング同一哲学の最も強力な敵対者として現れる。そのシェリング批判が劇的に表現されたのが『精神現象学』序言である。

  • ヘーゲル × シェリング

    第一ラウンド前半-蜜月時代 ヘーゲルとシェリング、それにヘルダーリンを加えた三人はチュービンゲンの神学生の仲良しグループ。フランス革命の知せを聞いて学校の庭でファイヤー・ストームをしたりしたし、ヘーゲルの遺稿の中に残されていた「ドイツ観念論最古の体系」という断片は、未だにヘーゲルのものなのか(筆跡はヘーゲルである)、シェリングのものなのか(内容的にはシェリングっぽい)論争が尽きない、それくらい密着した関係であった。  しかし、ヘーゲルはシェリングよりも年長さんだったが、ちょっとボーっとしたところがあったので、才気渙発なシェリングの方が先に世に出ることになった。ヘーゲルはシェリングに導かれ、付き従う形で進んで行った。実際、ヘーゲルの最初期の出世作である「フィヒテとシェリング哲学の差異」(いわゆる「差異論文」)は、フィヒテを叩いてシェリングを持ち上げる、というものだったのである。この時既にシェ

  • シェリング × ヘーゲル

    ドイツ観念論の展開 ドイツ観念論の展開はカント→フィヒテ→シェリング→ヘーゲルという単線的な系列として説明されることが多い。カントに拠って立てられた観念論的な基礎の上に、カント的な理論理性と実践理性との一元的な体系的統一を、自我の側面から目指したのがフィヒテ(主観的観念論)であり、自然の側からしたのがシェリング(客観的観念論)であり、その両者の同一性によって真の統一を果たしたのがヘーゲル(絶対的観念論)だということになる。しかし、こうした説明はむしろ、哲学史というものがヘーゲルから始まったことによるものである。ヘーゲルが始めた哲学史だから、ヘーゲルが頂点に立つのは当然なのだ。しかし、勿論こうした哲学の発展図式は抽象的なものであって、ドイツ観念論の史的展開の過程はむしろ、「哲学史」そのものの理念の検証の絶好の機会となるはずである。  例えば、ヘーゲルはシェリングよりも年上である。哲学史が純粋

  • トマス × シェリング

  • ベルクソン × サルトル

  • フロイト × サルトル

  • バシュラール × サルトル

    想像力 バシュラールの詩学・想像力論は、そもそもは彼の科学哲学に起因している。彼は科学者がなぜ間違うのかを問い、そこに、物質そのものが持っているイマージュを見出したのである。したがってバシュラールにとって、イマージュとはすべて、「間違ったもの」である。だがバシュラールはやがて、彼自身がそうした物質のイマージュに取り付かれてしまう。ここに科学哲学者バシュラールは詩学者へと変身することになるのである。  サルトルはその処女作以来想像力の問題に焦点を宛て、それは前期の主著とされる『存在の無』における存在論に至るまで重要な観点の一つとなっている。その際サルトルは、デカルト以来の想像力論を批判し、とりわけベルクソンのイマージュ論を批判的に検討している。ベルクソンのイマージュを批判して、それが知覚とイマージュを混同したものだと批判したのである(ベルクソン対サルトル)。  したがってサルトルからすれば、

  • ゲーリンクス × マールブランシュ

  • デカルト × ゲーリンクス

  • ラッセル × ゲーデル

    数学の哲学について 数学や論理学についての規約主義が信じられている間は、ゲーデルの「プラトニズム」など、検討される余地もなかった。数学的対象が我々の私意や理論とは無関係に(我々が知ろうと知るまいと)「客観的に」実在するなどということは、たとえ数学者の「実感」としてはそうであっても、そこに「数学の哲学」が成立するなんてことは考えられもしなかった。論理実証主義者たちが「形而上学」と切って捨てたどれよりも、すごぶるナンセンスであり、ある種の「信仰」告白をすませ色眼鏡で見られることも辞さない覚悟なにには、口にすることだってはばかられる「神学上の命題」と思われたのだ。  論理実証主義者は、武器を持っていた。あの偉大なる先達たちラッセル&ホワイトヘッドが、数学の体系を組み立ててみせたあの方法だ。我々の直感的対象であるかにみえた、自然数や単純な演算でさえも、彼らは「一から」作ってみせた。我々は記号使用の

  • ヒルベルト × ゲーデル

  • クワイン × 論理実証主義

    「検証」はできるか カルナップをはじめとする論理実証主義の主張を無理に「煎じ詰め」れば、意味のあるまともな命題は、(トートロジーな分析命題をのぞけば)「観測」によって検証される命題、およびそのような命題に還元される命題のみ、ということである。いわゆる自然科学はこのような、ひとつひとつ検証される諸命題で構成されるのであって、検証され得ないような命題は「疑似命題」であり、ようするに「形而上学」でしかない。  ところがクワインは、デュエムの「決定的実験の否定」を援用して、そのような「還元主義」が前提としている「検証観」を否定した。カルナップらは、実験結果が仮説から予想されるそれと一致すればその仮定は検証され、逆に一致しなければその仮定は反証されたと考える。しかしデュエムは、仮説のテストをこのように考えることは決定的に誤っていると指摘する。つまり仮説Hから、そのとき予想される結果を導き出すには、必

  • クワイン × ローティ

  • クワイン × デイヴィドソン

    経験主義の第三のドグマ クワインが言う「翻訳の不確定性」というのは、つまり翻訳の多すぎる可能性、ということだ。「翻訳が不可能」なのではない。いくつもある翻訳の、どれかひとつを正当化するということが不可能なのだ。翻訳がただ一通りしかできないなら、それが唯一の翻訳なら「不確定」なことはない。いくつもの翻訳が可能で、そのうちのどれかひとつを「いちばんよい」とか「標準的」とかいう基準で選ぶことができないなら、翻訳はひとつに定まらず、不確定となる。  では、「いったい概念枠(パラダイム)や言語が異なるとは、どういうことを言うんだろう」と考えた人がいた。これにはすぐ答えが返ってきて「翻訳不可能なら、概念枠(パラダイム)や言語が異なっている」。 ところで、今比較されているのは、概念枠(パラダイム)同士、言語同士だから、概念枠(パラダイム)や言語の相違は、「翻訳できないが、相手は言語である」ってことになる

  • 「トリビアの泉」が生まれるまでの経緯 - 笑いの飛距離

    TOKYO FM「よんぱち 48hours」に、吉田正樹さんがゲスト出演した放送を聞きました。 「よんぱち 48hours」は金曜日の13:00〜16:30、半蔵門アースギャラリーから生放送されているラジオ番組です。パーソナリティは放送作家の鈴木おさむさん、柴田幸子さん。 よんぱち48 hours - TOKYO FM 80.0MHz - 鈴木おさむ 柴田幸子 「夢で逢えたら」を見て、それに憧れてテレビ仕事を目指した鈴木おさむさん。「笑う犬」の大ファンだったと語る柴田幸子さん。このラジオだからこそ引き出せたであろう興味深い話の連続でした。途中、ユニコーンの曲「スターな男」を挟み、最後は部下を育てることについて話題が及びます。 人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ ~『笑う犬』プロデューサーの履歴書~ 作者: 吉田正樹出版社/メーカー: キネマ旬報社発売日: 2010/07/14メディ

    「トリビアの泉」が生まれるまでの経緯 - 笑いの飛距離
    karatte
    karatte 2010/08/13
    "で、『トリビアの泉』は塩谷(塩谷亮)君と木村(木村剛)君って人が、え〜、むちゃくちゃつまんない企画書を持ってきた、それは(ビートルズ)『Hey Jude』の音楽が流れて、『へぇ〜15』って"
  • サバン症候群について - 井出草平の研究ノート

    仁平義明・神尾陽子,2007, 「自閉症者の「並外れた才能」再考 (特集:自閉症の認知研究の現在)」 『心理学評論』 50(1), 78-88 を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション) 作者: オリバーサックス,高見幸郎,金沢泰子出版社/メーカー: 晶文社発売日: 1992/01/30メディア: 単行購入: 3人 クリック: 47回この商品を含むブログ (44件) を見る このでは自閉症者は特定の認知能力は定型発達者と比べて並外れて優れていることが紹介されている。自閉症者の特異的な能力のことを「サバン症候群」と呼ぶことがあり、このの影響もあり、一般的に広く信じられている。しかし、明確になっていない部分も多いため、サバン症候群について再考したのが、仁平・神尾の論文である。 1.絶対音感について 絶対音感(absolute pitch:AP)について。自閉症者には絶対音感を持つ

    サバン症候群について - 井出草平の研究ノート
    karatte
    karatte 2010/08/13
    1.絶対音感について 2.自閉症者の音楽記憶能力 +スービタイジング
  • マヤ文明の古代都市、コパン遺跡

    ホンジュラスの首都テグシガルパ(Tegucigalpa)の西438キロに、古代マヤ文明のコパン遺跡(Copan Ruins)がある。紀元3世紀ごろに興ったマヤの古代都市で、1980年に世界遺産(World Heritage)に認定されている。 写真は、コパン遺跡で撮影された彫刻の彫られた石(2010年8月6日撮影)。(c)AFP/Jose CABEZAS

    マヤ文明の古代都市、コパン遺跡
    karatte
    karatte 2010/08/13
    かっこいいっす
  • TechCrunch | Startup and Technology News

    A data protection taskforce that’s spent over a year considering how the European Union’s data protection rulebook applies to OpenAI’s viral chatbot, ChatGPT, reported preliminary conclusions Friday. The top-line takeaway…

    TechCrunch | Startup and Technology News
    karatte
    karatte 2010/08/13
    "これはTwitter.comサイトの訪問者を推計したもので、各種クライアント・アプリからAPIを通じてTwitterを利用したユーザーの数字はまったく含まれていない" / Twitterの急成長、全世界で続く―この6月は109%
  • シャチがサメやクジラより強いって嘘だろ…俺でも倒せそうなのに

    シャチ「ナミ」お待たせ公開 名古屋港水族館(名古屋市港区)で特訓を重ねていたシャチの「ナミ」が9日、展示用プールに移され、一般公開された。水槽前には公開を心待ちにしていた大勢の客が詰めかけた。 「ナミ」は、同水族館が6月に和歌山県太地町立くじらの博物館から譲り受けた。7月半ばに猛暑で欲が落ちたが、現在は健康状態も良好で、順調に水族館の環境に順応している。 今後は1日に5~7回展示用プールで訓練を行い、秋をメドにメーンプールで行われるパフォーマンスショーへのデビューを目指す。 家族5人で訪れた岡崎市の小学6年生酒井結さん(11)は「きょうから公開だとは知らなかった。とても大きい」と目を見開いていた。 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aichi/news/20100809-OYT8T01010.htm

    karatte
    karatte 2010/08/13
    それに引き換え北斗の拳のシャチときたら…
  • Engadget | Technology News & Reviews

    Parrots in captivity seem to enjoy video-chatting with their friends on Messenger

    Engadget | Technology News & Reviews
    karatte
    karatte 2010/08/13
    うちにも無愛想なメールが来たなあ
  • TechCrunch | Startup and Technology News

    A data protection taskforce that’s spent over a year considering how the European Union’s data protection rulebook applies to OpenAI’s viral chatbot, ChatGPT, reported preliminary conclusions Friday. The top-line takeaway…

    TechCrunch | Startup and Technology News
    karatte
    karatte 2010/08/13
    "これはTwitter.comサイトの訪問者を推計したもので、各種クライアント・アプリからAPIを通じてTwitterを利用したユーザーの数字はまったく含まれていない"