女帝・斉明天皇の墓として確実視されていた奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)の南東隣接地で、孫の大田皇女(おおたのひめみこ)の墓とみられる同時期の古墳が見つかり、村教委が9日発表した。 飛鳥時代、斉明天皇陵のそばに大田皇女を葬ったとする「日本書紀」の記述と出土状況が合致し、牽牛子塚古墳を真の斉明陵と決定づける発見といえる。 宮内庁は別の古墳を斉明陵に指定しており、指定のあり方を巡って論議を呼びそうだ。 村教委によると、牽牛子塚古墳の墳丘のすそで、石室の床石と、石材をドーム状にくりぬいた天井の一部が見つかった。 床石には天井の石材と接合するためのほぞ穴が施され、接合部には漆喰(しっくい)を塗った痕跡が見られることから、精巧な造りだったらしい。さらに黒い漆膜の破片十数点と鉄くぎ数本も出土、高貴な人物の墓にふさわしく、高級な漆塗りの木棺があったとみられる。